目醒めー記憶喪失、歩行不能、嚥下障害を経て/SLE(全身性エリテマトーデス)という難病とともに生きる(9)

<2017年11月>

 病室で寂寥感を抱えたまま、私は地元のフットサルチームの仲間たちにLINEを入れた。友人たちは、私の14歳の頃の発病から知っている仲だったので、家族を除いては、気兼ねなくこの込み入った事情を打ち明けられる一番の相手だった。

 友人たちから、すぐに私のことはもとより、妻や子供たちの事も気にかけてくれる返事が来た。一通りのやり取りをした後、私は、自分の上半身が震えていることや記憶が曖昧なこと、骨髄液を取って炎症反応を検査している事などを現状報告として伝えて、眠りについた。

 それから数日の間に、私を取り巻く世界は混乱のひと言に尽きる状況となっていった。

 唾液が出なくて辛い為、妻に市販の口腔ケア用品を買ってきてもらうように依頼した。医師に相談したが、SLEとは関係ないとの事で、薬局で売っているものでも良いとの事だったからだ。数日後に、妻が買ってきてくれたが、私はその説明書きの意味がよく理解できず、舌に塗り込んで飲み込んでしまった。その事を妻に伝えはしたが、気をつける様に言われたぐらいで、この時、私を一人前の成人男性として疑う者は誰一人としていなかった。

 また二日後には、自分がお漏らしをしているのではないかと疑い始めた。何だか自分の病室にアンモニア臭が漂っている気がしたのだが、それと言うのも、あまりにも尿意を頻繁にもよおし、括約筋も衰えていて、堪えるのが難しかったし、更には点滴台をつけて、トイレに入らなければならない為に、実際間に合わない様な事も出始めていたからだ。私は妻にその自分の失態を、惨めな気持ちで相談し、介護用のオムツを買ってきてもらうことにした。

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 数え切れないぐらいトイレに行っていた為に、尿の回数を朝昼晩に分けて書く様にしていたのだが、この通りの異常な回数と状態の酷さを表すものだった。(果たして、このメモを見て、目の前の30代の患者にとんでもない事が起きているとは看護師の誰も思わなかったのだろうか?)

 また数日経ち、私は自分が誤嚥性肺炎になっているのではないかと疑い始めた。唾が出なくて食事も喉を通らなかったが、何か栄養を取らなければと、無理に飲み下していたからだ。

  そして遂には、空咳が続くことや胸の痛みがあることなど、TVやネットや自分の見たこと想像したこと、あらゆる事をこじ付けて、とうとう自分が癌になったと思い込んだのだ。このままでは大変な事になると焦り、病名を宣告される前に、保険契約をしてしまおうとネットで書類申請などしようとした。当然、既に入院中の身で、そんな手続きを完了できる訳がないのだが、とにかく焦っていたのだ。仮に、契約出来たとしても、自分が癌になっている事が分かっていて契約するなら、告知事項違反にもあたったのだろう。
 そして、妻にそのことをLINEした。妻は、子供たちと自分の両親と一緒に私の為に厄払いを行おうと、遠くの神社までわざわざ行ってくれていた。私のことや子供たちの世話で、精神的にも肉体的にもまいっていた所に、そんな突拍子もないショッキングな報告が入って、妻は激昂して電話してきた。私は、泣きながら「ごめん、ごめん」とただひたすらに謝り、それでも本当にそう感じていることを伝えた。妻は、私のもとに来て直接話し合うつもりだったが、面会時間には間に合わなかった。妻が帰宅後に再度電話で話して、悩んでいても仕方ないから、とにかく検査をしてもらおうという事にした。

 数日後、胃カメラで食道から胃まで検査した。そして、この時もまた、私は喉に留めてから吐き出すべき麻酔薬をうっかり飲み込んだ。少量なら問題無いとの事だったが。結果的に、食堂も胃腸も状態は綺麗そのもので、何も癌を疑う要素は無いということだった。

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 この様に、嚥下の問題があり、思考の混乱した状態だったにも関わらず、私は常々自己流の考え方を持って決断・行動する性格だった為、周りはそこまで私の行動を疑う事は無かった。そして、病院側との対応もそれなりにまともにして、この通りかろうじて自署して、重要な検査を受けて、一旦は事なきを得たような形となっていた。

〜次章〜途切れる

ありがとうございます!この様な情報を真に必要とされている方に届けて頂ければ幸いです。