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【大学入試#07】有力御家人の主導権争いは北条家が完全勝利
頼朝が圧倒的であった平家の天下を覆すも源氏政権は三代で終了。主導権争いが続く中、天下を握ったのは頼朝を最初から補佐し続けた北条時政でした。
(超高速講義)
北条家が天下取りへ。時政が比企能員と畠山重忠、義時が侍所別当、和田義盛を討ち幕府掌握。源氏は三代で途絶える。最初の摂家将軍九条(藤原)頼経、親王将軍宗尊親王、歴代の執権と関連事象が必出。将軍と御家人は御恩(本領安堵・新恩給与)と奉公(京都大番
【大学入試#06】「寿永二年の十月宣旨(1183)」が頼朝勝利への号砲
この世の春を謳歌した平家も、貴族的権力構造としたことで、天皇側からも武士側からも不満の声が聞こえるようになりました。あれだけの権勢を誇った平家の一番の誤算は、清盛が途中で死去してしまったことだったでしょう。たった5年で源氏に政権をひっくり返されてしまいます。
(超高速解説)
以仁王の令旨(1180)によって源氏挙兵。頼朝は侍所を設置、初代別当は和田義盛。清盛は無念の死去。「寿永二年の十月宣旨(1
「院政」開始で天皇家の権力頂点に達するも武士の活躍を許す結果に(超高速日本史#04)
後三条天皇が藤原摂関家に遠慮せず、摂関家や寺社の荘園を整理する「延久の荘園整理令」を出したことで、天皇家が俄然勢いを増してきます。その流れをさらに増したのが子の白河天皇。150年ほど続く院政を編み出しました。権勢の維持のため、武士の力も借りたことで武士が台頭することにもつながった時期を見ていきます。
(超高速解説)
後三条の後、白河天皇が即位。堀河天皇に譲り上皇となり院政開始(1086)。 鳥
後三条天皇「延久の荘園整理令」藤原摂関家の思い通りにはさせないぜ(超高速日本史#03)
武士が表舞台に登場したとはいえ、まだまだ中央政府は強大な力を持っています。中央政府は藤原摂関家が牛耳っていましたが、一矢報いようと改革に動いた天皇が登場します。
(超高速解説)
延久の荘園整理令(1069)で後三条天皇が登場。形骸化していた荘園整理令の審査対象を摂関家、寺社まで拡大。大江匡房を重用。なお、ひ孫の大江広元は幕府制度を考案。審査機関として記録荘園券契所を設置。道長の子で宇治殿と呼ばれ
140字で学ぶ!「超高速日本史」(大学入試)スタート
教科書通りに勉強する必要なんて全くない。まず真っ先に武士が主役の「平安時代末期から江戸時代」の約900年を一気に学ぼう。理由は「世界に全く例を見ない『幕府』について学ぶ必要がある」から。『幕府』の成り立ちを知れば、何をどう覚えていけばいいか、押さえられる。
こんにちは。日本史の受験指導をしている二宮剛(にのみや・たけし)と言います。今日からnoteを使って140字で学ぶ!「超高速日本史」(大学