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戦略理論で降伏の論理を説明したStrategic Surrender(1958)の紹介

1958年、アメリカで将来の戦争で降伏に追い込まれる可能性を視野に入れ、戦略の観点で降伏の利害を分析した著作が発表されました。もともとアメリカ空軍の受託研究であったことから、連邦議会では一部の議員がこの研究を問題視する事態になりましたが、結果として、終戦論の先駆的な業績と見なされるようになりました。

その著作がケチケメートの『戦略的降伏:勝利と敗北の政治(Strategic Surrender: The Politics of Victory and Defeat)』と題されたものであり、1957年にランド研究所で作成された報告書のバージョンはオンラインで読むことが可能です。

Kecskemeti, P. (1958). Strategic Surrender: The Politics of Victory and Defeat. Stanford University Press.

この研究は、降伏とは何か、どのような状況で成立するのかを確認するところから始まっています。最も一般的な意味で述べると、降伏は戦争状態にある交戦者が交渉を通じてまとめた合意の内容に基づいて成立するものです。通常、降伏する敗者は、勝者に対して敵対行為の停止と、安全の保証を求めます。その代わりに敗者は最後まで徹底して抗戦するという選択肢を手放すことを約束するのです。

降伏を理解する際に重要なポイントは、たとえ戦場で決定的な敗北を喫した軍隊であっても、最後の最後まで徹底抗戦を続ける意志と能力があることを示すことによって、勝者に何らかの要求を受け入れさせることが可能な場合があるということです。戦闘で勝利を収め、圧倒的な優位を確立した軍隊は、さらに戦闘を続けることで、敵の軍隊により大きな損害を与えることが可能であり、また最終的に殲滅することができるかもしれません。

しかし、戦いが長引けば、それだけ勝者が負担する費用や犠牲は増加します。そのため、目的を達成できるならば、敵が求める降伏の条件を受け入れ、早期に終戦に持ち込んでしまった方が合理的である場合があります。これは選択可能な行動方針の利得と損失を比較して意思決定を下すことを想定した合理的選択アプローチに基づく考え方であり、著者はこの考え方に沿って降伏をめぐる両者の行動を分析しようとしています。

降伏に関する理論的な分析で著者はハンス・デルブリュックの戦略理論を参照しています。デルブリュックによれば、「あらゆる戦略的な思考と行動は、必然的に完敗の戦略と消耗の戦略という二つの問題によって支配されている」のであって、もし交戦者が完敗させることを目指す殲滅戦略を採用するのであれば、敵に決戦を挑んで撃滅し、まったく無防備な状態に追い込まなければなりません。しかし、交戦者が消耗戦略を採用するならば、一か八かの決戦になる行動は努めて避けるようにします。

この議論は、古代から19世紀までの戦争史に依拠しており、その範囲であれば一定の妥当性があると認められますが、著者は1914年に勃発した第一次世界大戦で、この2種類の類型だけでは十分に理解できない戦略のパターンが出現したと論じています。それは敵国が軍事的に動員することが可能な人員と物資のすべてを消耗させて降伏に追い込み、その後は敵国に実質的な戦力を保有することを許さない戦略です。この戦略が画期的だったのは、戦争目的に「戦略的降伏(strategic surrender)」を据えたことであり、これは従来の降伏に関する通念とは異なる考えだったと著者は指摘しています。なぜなら、戦争の歴史において降伏は個別の戦場における小単位部隊が行う「戦術的降伏(tactical surrender)」を意味すると考えられてきたためです。第一次世界大戦以降に国家の政治的行為としての降伏が語られるようになったことで、戦術的降伏という概念より広い意味を持つ概念になりました。

著者が与えた定義によると、戦略的降伏とは敗戦国が保有する残存部隊をすべて降伏させることであり、すべての敵対行為を終了させることを意味しています。戦略的降伏はさまざまな条件で行われることがありますが、無条件で行われることもあります。無条件降伏を追求した事例として、1943年にアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相が開催したカサブランカ会談が挙げられています。この会談で両者は第二次世界大戦においてアメリカ、イギリスと敵対しているドイツ、イタリア、日本に対して妥協的な立場をとらないこと、無条件降伏に追い込むことが合意されました。

この合意は当時の連合国で政治的な支持を受けていましたが、著者は敵と降伏の条件に関して交渉を行うことを妨げる副作用があったと指摘し、それが引いては連合国の戦争遂行を長引かせることになったと主張しています。どのような国家の指導者であれ、無条件降伏は受け入れることが極めて難しい要求であるため、軍事的に勝利が期待できない絶望的な戦局であっても、徹底抗戦を続けることしかできなくなるかもしれません。無条件で戦略的降伏することを要求すると、戦争の長期化に繋がりやすくなります。

著者は戦略的降伏の理論を発展させるために、1940年のフランスによるドイツへの降伏、1943年のイタリアによる降伏、1945年のドイツと日本による降伏を取り上げ、それぞれにどのような特徴があったのかを定性的に分析しています。日本の読者にとって興味深いのは、やはり1945年の日本の事例の分析でしょう。著者の事例分析の内容をすべて紹介することはできませんが、日本の敗色が濃厚になり、各地で手痛い敗北を積み重ねていたにもかかわらず、あくまで抵抗を避けることになった理由は、日本だけにあるわけではなく、アメリカが無条件降伏の原則にこだわったためでもありました。アメリカは、戦後の天皇の地位を含めた国体護持について保証を与えようとはせず、そのため日本の首脳部ではアメリカから譲歩を引き出すために、多くの犠牲を出してでも戦い続けることを選んだと著者は説明しています。

著者は、アメリカが日本と降伏に関して積極的に交渉しようとしなかったために、日本はソ連に仲介を依頼したことも取り上げています。この動きはソ連が日米交渉に大きな影響力を及ぼすチャンスを与えました。最終的に、ソ連は日本を裏切って、対日参戦に踏み切り、東アジアにおける勢力を拡大しましたが、それは日本の外交的な失敗であっただけでなく、その後の冷戦でソ連と対峙することになるアメリカにとっても痛手でした。著者は、アメリカは日本と接触を断つことなく、また交渉の余地を残しておくことができたという立場から、当時のアメリカの終戦に向けた交渉行動に批判的な評価を与えています。無条件降伏を追求することは核の時代に現実的ではないことも述べられていますが、これは限定戦争の戦略理論に通じる議論です。

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