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研究紹介 ASEAN諸国は米中対立にどう対応するつもりなのか?

東南アジア諸国連合(ASEAN)はベトナム戦争が続いていた1967年に発足した国際機構であり、ブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムの10ヶ国が加盟しています。歴史的には東南アジアで共産化の動きが広がることを恐れたアメリカの支援を受けて設立されましたが、冷戦が終結してからは反共同盟の性格が薄れています。

現在、ASEAN諸国が直面する大きな課題の一つが中国とアメリカの対立が深まっている状況への対応です。研究者はASEAN諸国が政治的な影響力を拡大するために、アメリカと中国の両方と対外関係を強化する動きを見せていると分析しています。

David Cai. 2014. ASEAN'S strategic approach towards security relations with the U.S. and China: hedging through a common foreign and security policy. U.S. Army Command and General Staff College.

ASEAN諸国の間にはさまざまな利害の不一致があり、必ずしも一貫性がある対外政策を遂行することができているわけではありません。

まず、ブルネイはアメリカと政治的、経済的、軍事的な関係を強化し、中国が南シナ海で行っている軍事活動に反対しています。しかし、カンボジアは中国から多額の投資を受けており、カンボジア軍も中国軍から装備品の提供を受け取ってきました。インドネシアには1950年代からアメリカの対外援助を受け取って来た歴史があり、最近では対テロ作戦の分野でアメリカ軍から教育訓練を含む軍事援助も受けていますが、ラオスはベトナム戦争以来、中国と緊密な関係を保ってきた国家であり、経済の発展に必要なインフラの開発も中国が主導しています。

マレーシアはアメリカとの経済連携が強化されており、アフガニスタンにおける作戦のために部隊を派遣した実績もありますがミャンマーでは軍部同士が強固な関係を構築しており、国内の人権状況がアメリカから問題視されています。フィリピンは1991年までアメリカに軍事基地の設置を認めるなど、防衛協力の関係を維持してきましたが、近年では中国との経済関係が重要になってきました。ただ、2014年にアメリカ軍の部隊がフィリピンの軍事施設に入ることを認めています。

シンガポールの政策はASEANの中でも特徴があり、アメリカと中国の両方と均等な協力関係を構築し、あくまでも中立的な立場を保持できるように注意しています。タイに関してはアメリカが主要な同盟国として認めており、飛行場と兵站基地を確保しています。ベトナムも中国の脅威に対抗する上でアメリカの軍事的な関係を重視するようになっており、最近では海軍基地にアメリカの軍艦が寄港することを認めるなど、中国の海洋進出の動きを牽制しようとしています。

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つまるところ、ASEAN諸国は全体としてアメリカと中国のどちらか一方に肩入れすることを避けていると言えます。アメリカ寄りの立場をとっているように見えるベトナム、タイ、フィリピン、マレーシア、インドネシア、ブルネイも中国との関係を一定の水準で維持しており、分野によっては関係を強化する動きさえあります。同じことは中国寄りの立場をとっているように見えるカンボジア、ラオス、ミャンマーについても当てはまります。シンガポールに至ってはアメリカと中国のどちらとでも友好的な関係を構築しつつ、独自の外交を展開できる立場を占めていると言えます。

著者はこのようなASEAN諸国の外交的な曖昧さは、それぞれの国々の能力の弱さによるものというよりも、計算された対外政策の結果であると解釈できると主張しています。ASEAN諸国は中国の勢力が無制限に拡大し、その攻撃的な戦略で地域の安全保障環境を悪化させないように、アメリカの勢力を東南アジアへ誘致しようとしますが、中国との経済関係を強化することによって得られる利益を追求することをあきらめようとはしません。そのことによって、ASEAN諸国は米中対立の中で東南アジアにおける独自の地位を築くことが期待できます。著者はこれをヘッジング(hedging)として捉えました。

もともと国際政治学の対外政策分析では台頭する新興国の動きを封じて現状維持を目指すバランシング(balancing)と台頭する新興国に追従して現状打破を目指すバンドワゴニング(bandwagoning)を区別するのですが、著者はASEAN諸国が米中対立を踏まえて行っている政策は両方の要素を組み合わせたヘッジングとして説明できると主張しています。ただ、これは著者が初めて主張したことではなく、マレーシアとシンガポールを対象にした過去の分析をASEAN諸国全体に拡張して当てはめて得られた知見と言えます(Cheng-Chwee 2008)。

Cheng-Chwee, K. (2008). The essence of hedging: Malaysia and Singapore's response to a rising China. Contemporary Southeast Asia: A Journal of International and Strategic Affairs, 30(2), 159-185. DOI:10.1353/csa.0.0023

ただ、この微妙な性質を帯びた対外政策は際どい均衡によって成り立っており、今後も長期的にその路線を維持するならば、ASEAN諸国が共通の外交、安全保障政策を追求できなければなりません。この点に関してASEANの体制には課題があると著者は考えています。

ASEANの最高意思決定機関にはASEAN首脳会議があり、加盟国の首脳が定期的に集まって開催しています。実務的な政策協議は、その下位に位置づけられるASEAN調整理事会で行われており、これは加盟国の外務大臣で構成されます。これらの会議を支えているのが300名を超える常勤職員で組織されたASEAN事務局です(参考:外務省HP「ASEAN(東南アジア諸国連合)」)。

ASEANの体制は今なお拡張が進められているところですが、著者は加盟国の外務大臣、防衛大臣、法務大臣から構成される政治・安全保障共同体理事会の機能に注目しています。もしこの理事会がASEAN諸国の政策を調整し、共通の外交、安全保障の枠組みを維持できなくなれば、ヘッジングは意図した効果をもたらさず、米中対立によって東南アジア地域が分断されるかもしれないというのが著者の見解です。

米中対立の時代にASEAN諸国が結束を保てるかどうかについては専門家の間で議論が分かれるところです。例えば、ロバート・カプランは『南シナ海が"中国海"になる日:中国海洋覇権の野望(Asia's cauldron : the South China Sea and the end of a stable Pacific)』(2014)でASEANが名目的な独立性を保ちつつも、最終的に中国の指導に従うようになるのではないかと予測しています。しかし、著者の見解によれば、ASEANが国際機構としての機能と構造を充実させ、高い水準で加盟国の外交上の結束を保ち、一致した政策を採択できるようになれば、ヘッジングによって中国の勢力に飲み込まれることを回避できるはずです。もちろん、著者の結論の妥当性については議論の余地が残るでしょうが、東南アジアの国際情勢を研究する上で、これは興味深い仮説だと思います。

Robert D. Kaplan, Asia’s Cauldron: The South China Sea and The End of a Stable Pacific. New York: Random House, 2014.(邦訳、カプラン『南シナ海が"中国海"になる日:中国海洋覇権の野望』奥山真司訳、講談社、2016年

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