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先入観を「仮説戻し」する途中にある障壁はなに?

またまたまたまた「先入観」について、このテーマは今日までです。

昨日触れた「先入観の仮説戻し」ですが、実践しようとするときには障壁があります。例えば確証バイアスや認識の固定化といったモノによって僕らは先入観から動けなくなっていると感じます。

コレを突破するためには「メタ認知」が必要です。具体的には他者と自分双方の視点から「言語化」することがメタ認知の最初のステップかと。メタ認知を支えるのって、言語化だなぁと感じるんですよね。

まずは「他者の語り方」から始めていけばイイと思います。事実であれ解釈であれ、知識として自分の中に入ってきたモノですね。いまの先入観を形成するプロセスでどんな知識を得たのかを振り返ると、一つの取っ掛かりになると感じます。

で、ここで思考の対象を自分に移します。得た知識に対して、自分は何らかの「印象」を抱いているはずです。好ましいモノであれ、嫌悪感があるモノであれ、何かしら「感情の揺らぎ」がある。

「感情の揺らぎ」はどんな自分の価値観によって生まれているのかを言語化してみる。そうすると、「自分の捉え方」が見えてきます。捉え方が分かれば、動かし方も見える感覚なんですよね。

一旦は凝り固まった自分の認識を「仮説戻し」するためには、「他者の語り方」と「自分の捉え方」から言語化しメタ認知する。このプロセスによって認識を獲得するに至った経緯が見えてくるので、逆にこの経緯に該当しないケースも想像できるようになる。ここまで来れば「いまの認識は仮説に過ぎない」とも捉えられる。そんな思考変遷です。

自分の認識を「仮説」と捉え直すことのメリットってすごく大きいと思っているんですよね。認識をゼロにすることはできないですし、固定観念を取り払うと言えば聞こえはいいけど同時に「これまでの自分の辿った道への否定感」も出てしまうから、なかなか実践できない。

でも、「仮説」と捉えることで「いまこの瞬間においてはこの認識を主体的に取る」と自己決定するスタンスを持つことと「この先で自分の決定を変えることも受容する」と変化を受け止めるスタンスも持つことができます。

「いまこの瞬間の結論を出す」と「先々での変化を受容する」を両立させるのは「仮説」という捉え方であるように感じています。特に自分にとっては「仮説」と捉えることで自由度と意志度を両立させることができるようになりました。「言葉」によってもたらされる影響って大きいなぁと感じるのです。

と、先入観について何度か連作で考えてみました。まだまだ掘り下げ甲斐がありそうなテーマですけどね。どこかでガッツリ深掘りするnoteを書いてみようかな🤔

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