見出し画像

空海の言葉を関西弁で超訳するのでご一緒にどうぞ。②

空海の言葉を本で読むと
内側に響くお大師様の声は
僕には関西弁で聞こえてくるのです。

この記事では、
そんな「内なるお大師様」を
そのままの言葉で表してみました。

前回の記事でも
僕が空海の言葉を腹に落とす過程を
ご紹介しました。

有難いことに、お楽しみ頂けた方も
多くいらっしゃったようなので、
まだまだある空海のお言葉、
引き続きご紹介していきます。

恐れ多くも、素人による超訳ですので
正確な訳語ではない可能性をご承知おきください。

ただ、僕にとっての純な表し方での
空海の言葉であるというのはお約束します。

また原文の美しさを損なわないよう
そのまま書き写しています。

【原文】(引用元)
関西弁超訳
・・・僕の感想

という順に記載しています。

ほなまた、空海が表した
ほんま美しい言葉の世界を
ご一緒に嗜みましょう。


元にさせて頂いたのは
苫米地英人「超訳 空海」PHP文庫です。
※表紙画像は金剛峰寺収蔵、紺綾地錦弘法大師像より

<11>薬

薬は病にって無数なり。乗は器にうて無量なり。

最勝王経開題

薬は病気の種類によって処方が変わってくるわな。
おんなじように、俺らの能力の違いによって、
悟りの道はなんぼでもあるねん。

・・・
僕には僕の、悟りの道があると
言って頂けるだけで、
なんだか元気が湧いてきます。

「薬」という喩えも抜群ですね。
身近な例えで浮かんでくるニュアンスが
遠く時を超えて伝わってくるというのも
趣深く、繋がりを感じる。

<12>万里

福慧を崇めんとならば、須く明師に問うべし。菩提に趣かんとおもはば、善知識を求むべし。当処にもし智解ちげ のものなくんば、万里に方に広く尋ぬべし。

五部陀羅尼問答偈讚宗秘論

知識を増やしたいんやったら
物知りに聞きや。
悟りたいんやったら
ええ指導者を求めや。
もしそういうことを教えてくれるような
先生がおれへんのやったら、
世界中どこへでも探しに行きなはれよ。

・・・
司馬遼太郎も、
「あんなベニヤ板でできたような簡素な船で
よう唐まで渡ったな。」
と言うてました。
4隻のうち着いたのは2隻。
万里を超えるような命がけの旅をしてまで
お大師様は師を求めた。

いわんや今の世の中をや。
いくらでも学べますね。

<13>珠

しゅを持てば善念生じ、剣をる殺心の器。

五部陀羅尼問答偈讚宗秘論

宝珠を持ったんやったら
清らかな心が生まれて
剣を握ったら、
人を斬りたいという心が
起こってくるもんやで。

・・・
環境や周りに置く道具が
人の心を容易に左右する。

また自分にとって、
「珠」や「剣」とは何か。
想定しておくのも大事やねんで、と
仰られているようにも思います。

<14>月輪

何が故にか月輪がちりんをもって喩とするならば、いわく、満月円明まんげつえんみょうの体は、則ち菩提心と相類せり。

菩提心論

なんでダルマ(法)を
月輪に喩えるんかいうたら
お月さんみたいに丸く明るい形は
そのまんま悟りを求める心と
似てるからやねんで。

・・・
お大師様はあらゆる喩えをもって
私たちの心がどういうものなのか、
小出しに表して頂いてます。
満月の夜、「悟りを求める心」を
思い浮かべながら眺めるのも
乙な瞑想かもしれましません。

また曼荼羅に「円」という意味が含まれていること、
無関係ではないはずです。

<15>宝

心暗きときは即ち遇う所悉く禍なり。眼明らかなれば則ち途に触れて皆宝なり。

遍照発揮性霊集 巻第八

あんたの心が真っ暗のときは
巡り会うもん全部が禍いになってまう。
あんたの心がお日さんみたいに
明るいんやったら
出合うもん全部がお宝になんねん。

・・・
いつもだったらなんてことない
誰かの一言も、
気分が暗かったらイラっとしてしまう。
経験があります。
心が明るく保てたなら
お宝みたいな楽しい友人関係なのに。

原文に「触れて」とあるのも
明るさが共振する動作に思えてくる。

<16>理

辞達して理挙がらんことを要す。故に冗長を取ること無し。

文鏡秘府論 南

言葉が思いを伝えて
論理的であることが基本やで。
せやから、
まわりくどくて
何いってるかわからへん文章が
一番あかんねんで。

・・・
大学でお世話になった先生も
これは強く言っていて、
ずっと気をつけてきました。

文章を書くとき、
あれこれ付け加えたくなって
収集がつかなくなったり、
自分の思いが定まっておらず、
あやふやな表現を多用してしまうのは
気をつけて避けるべきだ、と。

「理、挙がらんこと」。
これからも自信を持って
戒めにしていけます。

<17>衆縁

われ諸法を観るに、 喩えば幻のごとし。すべて是れ衆縁の合成ごうじょうするところなり。

性霊集

この世のぜーんぶは、言うたら
幻のようなもんやねん。
ぜーんぶは
アホほどに多いご縁によって
生じた仮の姿やねんで。

・・・
例えばこの記事。
お大師様の多大なご縁、
読んでくださる方、書く自分、
noteを作った人と運営されてる人。
キーボード、パソコン、光通信、
机、本、部屋、家。
それぞれを作った人、運んだ人、
売った人、知らせた人の、
アホほど多いご縁によって
この記事は、幻から仮の姿で現れています。

どれ一つ欠けても、
存在しませんでした。まさに幻。

<18>種

うことなかれ此の華今年開くと、まさに知るべし往歳種因おうさいしゅいんを下せることを。

拾遺雑集

花が咲いたんを見て
今年ひとりでに咲いたと
思ったらあかんで。
ずっと前に撒かれた種が、
今日咲いた花の原因になっていることを
知っときや。

・・・
散歩の道すがら、綺麗に咲いた花を
見つけると、「ああきれい」と思う。
その花が、ずっと前には種だったことなんて、
すっかり忘れてる。

誰かが撒いたのか、風に運ばれてここに
やってきたのかはわからないけど
確実に種だった時期はある。

目の前にある幸せも、かつて種だった。
未来にある幸せも、今は種として
どこかにある。

<19>恩

我を生じ我を育するは父母の恩、高天よりも高く、地よりも厚し。身を粉にして命を損じても、何ぞ却って報ずることを得ん。

教王経開題

あんたを生んで育てた父ちゃんと
母ちゃんの恩っちゅうのはな、
天よりも高いし、大地よりも深いねん。
その恩は、どんなけ頑張っても
ぜったい報いることが
できへんくらいに尊いもんやねんで。

・・・
僕の親とはとても良好な関係とは
言い辛かったりしますが
その恩の大きさのことを思うと
父と母の尊さから
目を背けてはいけない気がしてきます。

いくら報いることが
できへんくらいと言いつつも
恩を返したいという気持ちは、ある。

<20>わが親

もし恵眼をもってこれを観ずれば 、一切の衆生はみな、これわが親なり。

教王経開題

もしあんたが仏の眼で
世界を見たんやったら
ぜーんぶの人と生きものは
自分の親になんねんで。

・・・
一つ前の言葉と呼応します。
親のない生きものなんていないし
ずーっと元をたどれば
命ある地球を一つの親として
全ての生きものが子として生まれてきた。

天より高く、大地より深いくらいの
恩を受け継ぎながら。

さっき仰っていた
「アホほど多いご縁」というのは
たぶん「親の恩」によって
広がっているとも考えられるし、
自分が生きている尊さを実感する手がかりになる。

そこに一番近くにいるのは、
父ちゃんと母ちゃんやねんな。おおきに。

まとめ


ここまで関西弁で超訳してみて
深く感じたのは、
空海の言葉に含まれる、
「喩え」の奥行きと多様さです。

薬、万里、珠、剣、月輪、
宝、種、花・・・

仏の世界に表される、
高度で難解な概念の集まりを
私たちに親しみやすい言葉に当てはめて
お伝えしてくださる。

1200年も隔ててなお、
鳴り響いてくる言葉には
これほどまで工夫が凝らされていた。

その言葉の色彩を
減じないように気をつけながら、
関西弁に落とし込んでみました。

噛めば噛むほど
滲み出てくるような言葉の旨味を
あなたはどんなふうに
味わいましたでしょうか?

コメントで教えて頂けると嬉しいです。

アホほど多いご縁が
もっと広がることを願ってます。

南無大師遍照金剛

次↓


ここまでお読み頂きありがとうございました。 こちらで頂いたお気持ちは、もっと広く深く楽しく、モノ学びができるように、本の購入などに役立たせて頂いております。 あなたへ素敵なご縁が巡るよう願います。