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たからばこ

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#エッセイ

秋のワイン・ハイキング ー ウィーン

9月下旬、ここロンドンにも気持ちの良い秋晴れが訪れた。穏やかな太陽の光が嬉しく、風がまた心地よい。そんな時は、ハイキングにでも出かけたくなる。そんな秋の気持ちを見通しているかのように、9月最後の週末に、ウィーンでは毎年「ワイン・ハイキングデー」という名のイベントが開かれている。 あまり知られていないかもしれないが、オーストリアにも数々のワイン生産地があり、首都であるウィーンでもワインが作られている。国立オペラ座やシュテファン寺院、リンク通りなどがある中心地から、地下鉄や市電

京都人がリピートする美味しいもの5選

「旦那さんの実家が京都」と言うと、京都好きの方は大体「京都の美味しい店、教えて」と聞いてくれます。 生粋の京都人が愛用するのは、ズバリ長く続いているお店です。こんな格言もあるそうです。「人気のある飲食店の法則。大阪では安い店、東京では新しい店、名古屋では量の多い店、京都では歴史の長い店、神戸では本当に美味しい店」。これは神戸の人の格言で、京都のくだりはいわゆる皮肉なんですが、いずれにしても「京都人は歴史のある店しか認めない」というのは公然の事実ということです。 ひとつだけ

「鬼が来るよ」と息子に言わない

先日、友達の店に息子たちを連れて行ったら少し騒いでしまった。状況を落ち着かせようとしてくれたその友達が「うるさくすると、そのドアから鬼が出るんだよ〜」とおどかしたら、ふたりとも黙って硬直してしまった。 それに対し友人が「え?ごめん!言い過ぎたかな」と心配していて、そのとき「ごめんこの子たち、鬼が来るとか言われた事なくて耐性がないんだわ!」と私が笑って返したら、帰り道、謝罪のメールが来た。 「騒いではいけない理由をちゃんと伝えるべきだったのに、鬼のせいにして楽してしまった結

110. 親が子どもにかけるべきたった一つの言葉

今日、大学の授業で興味深いデータを見ました。それは、 アメリカでは毎年約4000万人のこどもがスポーツをしているが、そのうちの70%が13歳になるまでにドロップアウトしており、4人に3人のこどもは高校入学前にスポーツをやめている。Every year in the united states, about 40 million children play youth sports yet 70 % of those kids drop out and quit by th

「こんまりメソッド」をあきらめ「菅田将暉メソッド」を思いついた話

いまつくっている本が難産だ。平日は起きているむすめとほとんど会えていない。カリカリ梅と源氏パイとコーヒーで空腹をごまかす。そんな状況なので、よくわからないアホなことを思いついたりする。 客観的に見て明らかにキモいけれど、しかし案外筋のいいことをやったのでは……と自分を評価したいアイデアが浮かんだので、noteに残しておこうと思う。 ◆   ◆   ◆ われらがバトンズのオフィスは、基本的に散らかっている。モノが多い——というか、どこに仕舞うか決められていない「住所不定」

米津玄師、 刹那に宿る光を見つめて

一つずつ集まったピースがいつのまにか新しいパズルの絵を描くみたいに。バラバラに散らばる人生の断片を、音楽が結び目となって引き寄せるときがある。 過去、現在、未来は地続きであり、ひっくるめて人生と呼ぶが、時折それらが交差する瞬間に出会う。 米津玄師の歌声を聴いていると、何かに似た胸の痛みを伴うと気付いた。その感覚を追いかけてみたら、夏終わりの空気だった。 冷たい夜風がふと腕肌に触れたときに、遠い過去へ押し込んだ記憶が声を上げるような鈍い痛みだ。 彼が楽曲の中で描く「人を想う

僕の服が好きな理由

執筆者:Na0ki Nagata (@nagat81) 京都出身・都内在住の会社員。ただの服好きが高じて、「服と僕」というブログを運営。心の琴線に触れた服の紹介や服を通じて考えたことを書いています。 このシャツをひと目見て、多くの人は何を感じるのだろうか? COMOLIというブランドのシャツ。このブランドを知らない人からすれば、ただの水色のシャツに見えるかもしれない。決して斬新なデザインがなされているわけでもないが、値段は1着2万円以上する。服にそこまでお金かけない人

天然オットに振りまわされてる

結婚8年目の夫がいる。 おっとりしていて優しく、マメで家事が好き。お酒はほどほど、煙草も博打も女遊びもやらない。とてもいい人だ。 しかし、どうにもトンチンカンである。度を越えたマイペースで常識がなく、オカルトやスピリチュアルが好きで、すぐ話をそっちの方向に持っていってしまう。共通の友人からは「半径5メートルが見えてないよね。自分か宇宙かって感じ」と評されていた。 そんな夫は売れないイラストレーターだ。売れないことに焦るでも卑屈になるでもなく、毎日を楽しそうに生きている。

自分の力でマニキュアを買おうと思ったら、初めて会った高校生に助けてもらった話

「わたしも最初はこれだったから」 今更来た夏に、自分を重ねる。 幸せになればなるほど、わたしは文章を書かなくなると思っていた。錆びた歯車を泳いでいる自分がいちばん、自分らしいのだろう、と。いつか亡くなる胸に手をあて、想いを透かしている。 「あれ、おかしいな」 朝起きて、夜眠るまで演じている自分に、愛想よく付き合っている。「前はこんなはずじゃなかったのに」。以前友達がプレゼントでくれたマニキュアを手に取る。深緑と潜る日常。贅沢が染み込まないよう、必死に手首と手首をこすり

母の日に恋人を紹介したら 返ってきた言葉のこと

「生きていてくれたら、それでいいのよ」 今すぐにではなくていいから、わたしはオレンジ色が似合う人になりたい。「純粋な愛」「清らかな慕情」は、オレンジのカーネーションの花言葉。わたしが好きな言葉ばかり。そもそもわたしは言葉が好きだから、なんだっていい。けれど人に聞かれた時、答えられるようにしておかなければいけない。わたしの母ならきっとそう言うはずだ。 段々と今日が何曜日かわからなくなって、今日が何日かわからなくなる。そのままわたしは今日が何月かわからなくなるのに、大切な日の

ツイートがバズったわたしは、口紅を買えていない

仕事を辞めた翌日、わたしは生きていた。 「当然である」と、言えるだろうか。わたしは自分のことを"よくやっている方"だと思っている。意味もなく宙を見上げ、水滴を仕舞う。人生を都合のいい妄想へ預けなければ、硝子のように心が割れてしまいそうだ。 「大丈夫ですか?」 歩きながら眠っていた。目が血走り、足が痙攣する。どこかから声が聞こえた気がしたが、辺りを見渡しても人は少なかった。ロクにごはんも食べていない。生命の境界線を、平均台を渡るようにしてふらふらと進む。 常に不安と手を

わたしの星には、裸足でおいで

いま、此処。蹠がやさしく掴む、潮の引いた浅瀬。 ―そう、此処はわたしの星の芝だ。 、 いつからか“此処”を、わたしの生まれた“星”と認識するようになった。途端に、生きやすくなった。 生きていれば、多様なひとと出会う。一緒くたにする訳ではないが、喩えるのなら、反りが合わないひとは遠い星の住人。攻撃的なひとは、軍人さんの多い星の住人だ。異なる星のひとだと思えば、自ずと興味は湧き、敬意も生まれる。違いに怯えることも、無理に愛おしく思う必要もない。 無論、同郷もいる。おなじ星

sannzui

ぼーっと空を眺めていた。 耳元をそよぐ風が髪をゆらす 運んだ音に耳をすませて ほら貝の中に波の音を聞いた。 社会はなんだか騒々しい。 でもぼくはただ眼前の雲の形を覚えておきたかった。 空があんまりにも碧いから、雲との距離が正確に掴めない。 指で区切った窓の世界にぼくたちは生きているけど 指をほどけば世界は360度だった 360度の世界の雲には 手を伸ばせば触れられそうで でもさわると溶けてしまいそうだから つかむフリをして、風に浸ってた。 透いた胸に

何かを、好きになるということ(後編) | 枕草子からブルーピリオドまでの千年

前回の投稿の続きです。 * 好き。エモい。良き。美しい。あはれ。をかし。よろし。 古い時代から、自分の中にある「なんかいい感じ」の感情を捕まえる言葉はいくつも使われてきた。『枕草子』は象徴的だ。 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。 夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。 ・・・ 千年以上前から、「春って明け方がいいよね〜