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あどけない話(夜のエッセイ)

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日々の暮らしから、あどけない話を綴ります。
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#読書

本を選ぶときに考えていること・本を読むときに考えていること

本を選ぶときに考えていること・本を読むときに考えていること

「近いうちに週末本屋を開けたら…」
そう思ってからこの方、加速度的に手元の本の点数が増えている気がする。

それはさておき、最近「どうやって本を選んでいるのか」、そして「本を読んでいるときには何を考えているのか」ということを立て続けに人から聞かれたので、自分用のメモも兼ねて少し書いておきたい。

①どうやって選ぶか結論から先に言ってしまえば、「直感」である。
だが、そう言ってしまっては元も子もない

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本は良いなぁ

この頃時々ご紹介している初台にある「fuzkue」さんの店主である阿久津隆さんによる『読書の日記』(2018年、NUMABOOKS)。2018年の最終日である今日もいつものようにそれを読んでいて、2016年11月25日(金)の記述にこんなくだりを見つけた。

自分で変えられるとは思っていないからこそ気にならないでいられることがこの世界にはたぶんものすごく無数にあるということでもありそうで、変えられ

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「読書日記」ではなく『読書の日記』

「読書日記」ではなく『読書の日記』

すみません、「今日はこれを書こう」と思っていたことがたしかにあったのですが、家に帰ってあれこれしているうちに、何を書こうと思っていたのかすこーんと忘れてしまいました…。昨日の門松に引き続いて、日中の街で目に入った風景から思いを膨らませていったことだけは、朧気ながら覚えているのですが…。

先ほどから30分間くらい思い出そうとしているのですが、どうにも思い出せません。どうしても思い出せないので、最近

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言葉を咀嚼して飲み込む

言葉を咀嚼して飲み込む

久しぶりに、かなり硬派な本を読み始めた。

ジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze)の『基礎づけるとは何か』(國分功一郎/長門裕介/西川耕平編訳、2018年、筑摩書房)。ちくま学芸文庫オリジナルで、訳者によって精選・新訳されたドゥルーズの初期論考集となっている。
表題の「基礎づけるとは何か」(Qu'est-ce que fonder?)は、1956年~1957年にかけてリセ・ルイ=ル=グラ

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本を「聴く」のはきっと難しい

本を「聴く」のはきっと難しい

ここ数年、広告などで目にするようになった「Audible」。Amazonが展開する、オーディオブックのサービスだ。

最近になって、Twitterのタイムラインにもかなり広告が流れてくるようになり、久しぶりに存在を思い出した。

「本を読む」ことについてついこだわってしまう私は、こうしたサービスを使ったことがない。というか、1冊の本を丸々聴き通せる自信がない。
本は手に持ち、目で見て楽しみたい。自

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本の中で出会う人

本の中で出会う人

今読んでいる本のジャンルがある程度ニッチなものだからかもしれないが、このところ、読んでいる本の中に見知った人の名前を見つけることが続いている。

ただ、「見知っている」といっても顔見知りなわけではないし、ましてや向こうがこちらのことを知っているわけでもない。一方的に、著作等を通じて存じ上げているだけのことだ。それでもある本の中に見覚えのある名前を見つけると、「おぉ!」と思う。

例えば、最近はもっ

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「読書」は「インプット」…?

「読書」は「インプット」…?

読書のことを「インプット」と捉えるのは、どうも気持ちが馴染まない。

「インプット」というと、どうしても「外にある知識・情報を自分の中に取り込む」というイメージが先行する。やや古い語法で言えば「入力」といったところ。
私にとって本を読むことは、そんなふうにまるでパンをちぎって食べるかのようにパクパク摂取しておしまい、というわけでは決してない。「取り込む」どころか、まるで私が書物に「取り込まれて」、

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本が好きです

本が好きだ。

読むのも好きだが、それだけではない。
眺めるのも、手で触るのも、内容について語り合うのも、そして(書籍の編集はしたことはないが)きっと作るのも好きだ。
そして何より、買うのが好きだ。

書店に行って、何を探すわけでもなく、ブラブラと歩き回るのは至福の時間。今より時間があった頃はよく、紀伊國屋書店の新宿本店に行き、一番上の階まで昇って、各フロアを一周しながら階段で降りてきたものだ。

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