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三両目の心地よい感覚

自分自身の心地よい感覚は大事にしたい。

「普通列車、間も無く出発します。」

深緑の車体から軽やかな音楽が奏でられる。

車内も深緑。とても落ち着く。

高校時代、京阪電車に乗って登校していた。

普段使う列車は普通列車。

特急列車は大阪まで行き着くので
サラリーマンの方々で溢れている。

京阪電車の普通列車はあまり混まない。

近場の学生達やご近所の方々だけが利用するので
乗客は少なく、また同じ顔を毎日見かける。

お爺ちゃんがうたた寝してたり
赤ちゃんがスヤスヤしていたり。

学生はお話ししていることもあるが
朝はみな弱いのか、声も小さめだ。

最寄りの駅まで途中まで地下を走るが
確か七条を抜けると、地上を走る。

東福寺という単語が懐かしい。

どんぶらこ、どんぶらこ。

緑色の車体がのんびりレールを走る。

高校の最寄駅の改札は一両目が一番近い。

だが、僕は三両目に必ず座った。

電車の中で本を読む時間が好きだったから。

一両目に座ると、同じ学校の人達が
沢山乗ってきて、何やら落ち着かないのだ。

喋り掛けられると、読書タイムがなくなる。

始業前の自身の時間をゆっくりと
味わうのが僕のこだわりだった。

とにかくジャンルは問わず
何だって読んだ事を覚えている。

両親に、僕の印象を聞けば

「文学少年」と言われた。

今でも、そのイメージらしい。

そのぐらい、当時は本の虫。

本の虫は三両目がお気に入り。


僕が京阪列車の時間を思い出すのは
顧問の先生の授業の影響かもしれない。

担当教科は国語。

眠たそうに怠そうに授業をする。
部活動はいつも張り切っているのに。

彼の授業で寝ると
いつものうたた寝より
机が湿っているのだ。

肌はほぼ真っ黒で白髪まじりの
大きな髭と短髪が印象的。

体育教師風であるが、内面は穏やかで
そして何かいつもぼんやりしている。

先生は自由の象徴だ。

毎日、授業の前に読書タイムがある。

そして、先生は本を読む。

偶に、どうしても本を読み進めたいのか、

「今日は授業しません。
 本を読みましょう。」

突然、こんな事を言い出す。

初めは、退屈で時よ、過ぎよ。と祈ったが
紙を毎日めくることで読書の楽しさを知った。

活字離れが煩く言われていた時代に
僕はまさに逆を突き進む子だった気がする。

だが、全員が本を好きなわけがない。

コソコソ話している生徒もいれば
グースカおねんねしている生徒もいる。

僕はお構いなし。黙って、本を開ける。

活字を目で追っていく。捲る。

面白い伏線。心は高揚。

黙っていることには変わらない。

ただ、僕の心は常に賑やかだ。

休憩。背中を伸ばす。

すると左右で聴こえるヒソヒソ話と
後ろの子はすやすや鳴いている事に気づく。

現実世界に引き戻された後
僕はまた本の世界に入っていく。

同じ空間に別の世界がゆっくり流れる。



京阪電車の三両目での時間に何やら近い。

誰も干渉してこない。ただ、周りに人がいる。

電車一両の中で、顔馴染みの人に囲まれながら、

生活音を感じながら、別世界に没入していく。

我儘かもしれないが、僕は程よい孤独が好きなのだ。

カフェで勉強している時も
同じ感覚だったのかもしれない。

同じ空間。人々と生活。自分の世界。

心地よい感覚を頼りに好きな場所に
勝手に引き寄せられていくのだ、僕は。


同じ学校の友達が三両目で
僕を見かけたらしい。

「三両目にいたやろ。
 お前ってさ、何かさ・・・」

(文学少年とでもいうつもりかい?)

「怪しいマジシャンみたいやな。」

「誰がやねん。」

と突っ込んだが、否定はしなかった。

誰とも被らないお気に入りの古着を羽織り
極太の本を抱えて幸せそうに眺め、読む。

奇術を使いそうな生徒ではあったかも知れない。

ただ、これも心地よい感覚を追求したまでだ。

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