第十夜。いよいよ、夏目漱石『夢十夜』も最後のエピソードに入る。第九夜も、やや未完の趣おもむきがある。が、先に第十夜について書いてしまいたい。

これまでは、あらすじを一通りまとめた上で、感想を綴つづったのだが、今回は筋を紹介しながら、感想を述べていくことにしたい。

第十夜の構造について

第十夜の構造は、〈語り手〉が、健けんさんから庄太郎の体験を聴くという形になっている。これは最初と最後の文章から明らかになる。それぞれ引用してみよう。

庄太郎が女に攫さらわれてから七日目の晩にふらりと帰って来て、急に熱が出てどっと、床に就ついていると云いって健けんさんが知らせに来た。

健さんは、庄太郎の話をここまでして、だからあんまり女を見るのは善よくないよと云った。
――『夢十夜』第十夜　青空文庫

〈語り手〉と健さん自体も気になるが、より気になるのは庄太郎の方である。熱を出して寝込んでいるらしい。一体、何があったのか？

水菓子屋で果物を眺める庄太郎

第十夜の前半では、庄太郎が水菓子（果物）の色味を好んでいることが語られる。果物屋に陳列されている水菓子を眺めては、その色彩をほめているようだ。

　庄太郎は町内一の好男子こうだんしで、至極善良な正直者である。ただ一つの道楽がある。パナマの帽子を被かぶって、夕方になると水菓子屋みずがしやの店先へ腰をかけて、往来の女の顔を眺めている。

　あまり女が通らない時は、往来を見ないで水菓子を見ている。水菓子にはいろいろある。水蜜桃すいみつとうや、林檎りんごや、枇杷びわや、バナナを綺麗に籠に盛って、すぐ見舞物みやげものに持って行けるように二列に並べてある。庄太郎はこの籠を見ては綺麗だと云っている。
――『夢十夜』第十夜　青空文庫　引用者太字

第十夜について、私はどうにも大したことを言えない。今回は、論理的な読解は期待しないでいただけるとありがたい。

ただ、水菓子屋を眺める庄太郎に、梶井基次郎『檸檬』のような雰囲気を見出す。ビビッドな色彩や舶来の果物に興味を示す点は、特に似ている。色彩感覚について、絵画で言えばセザンヌに近いだろうか。（もちろん、これらの意見は、一素人読者の発言でしかない。）

一方で、平安文学に登場しそうな色好みの男のようにも見えてくる。新しい物好きでありながら、中心には色好みの核があるのかもしれない。

店先にやってきた女

夕方になると、ある女が店先にやってくる。綺麗な衣裳をまとい、顔も良いらしい。色好みの庄太郎は、「家まで荷物を運びましょうか？」と女に声をかける。が、それきり七日間は帰れなかった。何があったのか？

庄太郎は女と電車に乗り、草原が見える駅で降りたらしい。駅を出て女としばらく歩いていると、崖が見えてきた。女は「この崖を飛び降りよ。さもなくば豚に舐められる」と言った。

すると女が、もし思い切って飛び込まなければ、豚に舐められますが好ようござんすかと聞いた。
――『夢十夜』第十夜　青空文庫

ひとまず結末まで……

庄太郎はそんな狂気的なお願いを辞退をしようと、パナマ帽を脱いでみせるも、有無を言わさず、豚は大群となってやってくる。

崖から落ちまいとして七日六晩、その鼻をステッキでつついては、豚を躱かわしていたのだが、精根つきて、しまいには豚に舐められた。そして崖下で倒れた。気づけば元の場所に連れ帰され、熱で寝込んでいるらしい。

　健さんは、庄太郎の話をここまでして、だからあんまり女を見るのは善よくないよと云った。自分ももっともだと思った。けれども健さんは庄太郎のパナマの帽子が貰いたいと云っていた。
　庄太郎は助かるまい。パナマは健さんのものだろう。
――『夢十夜』第十夜　青空文庫　引用者太字

引用部太字を見ればわかるように、庄太郎はもう助からないらしい。ゆえに、庄太郎がかぶっていたパナマ帽は健さんに渡るようだ。（個人的には、もう遺品の話をするのか、と思ってしまう。）

第十夜の疑問点について

さて、気になるものが沢山ある。これを箇条書きで示そう。

①　豚の正体について。
豚の大群のモチーフは、やはり「ガダラの豚の伝承」だろうか。マルコ福音書、マタイ福音書、ルカ福音書に採録されているエピソードである。（正確な詳細については、後日語ることにする。）

キリストが、悪霊に憑つかれた人々から悪霊を祓はらうのだが、その悪霊を今度は豚の群れに憑とりつかせる。悪霊の憑いた豚たちは崖をくだり、ガラリヤ湖でおぼれ死んだ。キリストを怖れたガダラ人はキリストに去るようにせがみ、キリストはその地を去る。

大体そのような話だった。が、これだ第十夜とどう結びつくのか？

②　女の正体
庄太郎を誘い出す女の正体も、よくわからない。候補を挙げようとすれば色々と考えられるが、証拠をどう捻りだすか。それが難しい。

③　パナマ帽は何のメタファーか？
これも色々と候補を出せそうではある。たとえば、パナマ帽という名称から、安直に「パナマ」という地名を指しているのかもしれない。またパナマ帽は、当時の紳士用の正装であったらしい。烏帽子えぼしや王冠の代わりに描写されていたのかもしれない。

④　健さんは何者か？
「健さん」という人物もよくわからない。庄太郎は第八夜でも登場しているが、健さんは第十夜にしか出てこない。青空文庫でページ内検索をした結果、第十夜の範囲内でしかヒットしなかった。つまり、健さんの正体については第十夜を中心に探るしかないようだ。

……私はこの続きを書けるのだろうか。