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📖倏目挱石『倢十倜』第六倜

※※ヘッド画像は Lonesome Pine ã•ãŸã‚ˆã‚Š

第六倜は本䜜で最も人気のある章ではないだろうか。運慶うんけいが倧朚から埋っおいる仁王におうを圫りだす話である。決しお”仁王の朚像を創る”話ではない。それに觊発されお、䞻人公も䜕か圫っおみるのだが、「぀いに明治の朚にはずうおい仁王は埋たっおいないものだず悟った。」ず蚀っお終わる。少なくずも〈語り手〉には、仁王は圫れなかったわけだ。

しかし、最埌の〈語り手〉の反応はどうだろうか 匕甚を芋ながら、その郚分を掘り䞋げおみよう。

 自分は䞀番倧きいのを遞んで、勢いよく圫ほり始めお芋たが、䞍幞にしお、仁王におうは芋圓らなかった。その次のにも運悪く掘り圓おる事ができなかった。䞉番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪たきを片かたっ端ぱしから圫っお芋たが、どれもこれも仁王を蔵かくしおいるのはなかった。぀いに明治の朚にはずうおい仁王は埋うたっおいないものだず悟った。それで運慶が今日たで生きおいる理由もほが解った。
――『倢十倜』第六倜 青空文庫

はたしお「明治の朚には、仁王が埋たっおいなかったのか」、それずも「〈語り手〉が埋たっおいる仁王を圫りだせなかっただけなのか」。疑り深い私は〈語り手〉の腕の問題ではないか、ず思っおしたった。

ずっず埅っおいた運慶、埅おなかった〈語り手〉

唐突だが、ここで第䞀倜第五倜の内容を思い出しおみよう。

① 第䞀倜癟合の花を埅った男
最初に第䞀倜。これは男が埅぀話であった。女は予蚀的な台詞を遺しお亡くなった。

「死んだら、埋うめお䞋さい。倧きな真珠貝で穎を掘っお。そうしお倩から萜ちお来る星の砎片かけを墓暙はかじるしに眮いお䞋さい。そうしお墓の傍そばに埅っおいお䞋さい。たた逢あいに来たすから」
――『倢十倜』第䞀倜 青空文庫

男は女の指瀺通りに、亡骞を埋める。苔の䞊に坐すわり、癟幎も埅぀。その末に男が芋たのは癟合の花であった。男は埅ったこずで、癟合の花が咲くその瞬間を芋たのだ 埅った甲斐があったずいうものだ。

これが第六倜にどう結び぀くのかは、蟛抱である。ただ説明せねばならないこずは倚い。ひずたず「埅っおいおくれ」ず請うのみである。

② 第二倜悟りを埅っおいた䟍
第二倜では、䟍が䞻圹である。和尚を殺すために、䟍は悟りを開こうず息巻いおいる。悟りを開くにあたっお、焊燥感を隠せない䟍であったが、圌に出来るのは結局、䞑䞉぀時の鐘を埅぀こずのみであった。䞑䞉぀時の鐘がチヌンず鳎ったこずで、䟍の芖界・粟神状態は倧きく倉化した。䜕もかもが”有るようで、無いように”芋える。少なくずも䟍は、埅ったこずによっお、その境地を埗たのだ。぀たり、䟍も”埅っおいた”のだ。

③ 第䞉倜青坊䞻ず圌を背負っお導いた〈語り手〉
第䞉倜で埅ち続けたのは誰か 倚くの読者から「青坊䞻」ずいう答えが返っおくるだろう。なぜなら、青坊䞻は癟幎も埅ったのだ。

䞀方で、第䞉倜の〈語り手〉も”埅っおいた”ずいう点は芋過ごせない。〈語り手〉は青坊䞻を背負いながら、青坊䞻が過去に亡くなった堎所ぞず導く。導くたでの間、〈語り手〉は青坊䞻の重さを受けおいる。そしお青坊䞻が蟿り着くべき堎所に着くこずを埅っおいる。

④ 第四倜手拭いが蛇になるのを埅っおいる爺さん
第四倜で埅ち続けおいたのは、間違いなく「爺さん」であろう。「手拭おぬぐいを蛇にしおみせる」ず䞻匵し続け、終぀いぞできなかったのだが。それでも「爺さん」は自分にできるこずをやり続けながら、埅っおいた。圌はたしかに埅っおいたのだ。

⑀ 第五倜鶏の鳎き声ずいう合図を埅ち続ける男女
第五倜は、叀代の戊争が舞台だった。〈語り手〉の男は敵将に捕らわれ、いくばくかの呜である。男は最埌の逢瀬の玄束を女ず亀わすのだが、鶏の鳎き声を埅おず蚀われる。぀たり、それを合図に䌚おうずいうのだ。最終的に倩探女あたのじゃくによっお、逢瀬は倱敗に終わった。終わったのだが、少なくずも、この男女は”埅った”のには違いない。

第䞀倜第五倜を振り返るず、そこには必ず”埅っおいた”人物が登堎する。では、第六倜では誰が”埅っおいた”のだろうか そしお、”埅っおいた”人物を浮き圫りにするこずによっお、䜕がわかるのだろうか

改めお、第六倜

※ここからは、ある皮、おずぎ話のような解釈になる。厳密な論蚌ずいったものは、ご期埅なさらないでくださるず幞いだ。

ふたたび第六倜の話に戻ろう。

第六倜では、運慶うんけいは埅っおいた偎であり、〈語り手〉は埅おなかった男である、ず解釈しおいる。぀たり、運慶は鎌倉時代から圫り続け、぀いには「暹朚に仁王におうが埋たっおいる」ず芋出した。圫り続けたこずによっお、その境地に蟿り着いたのだ。それを芋出すには、明治の䞖たで生き続けねばならなかった。

䞀方で〈語り手〉は、ただ手圓たり次第に朚を圫るのみで、「明治の朚には仁王がいなかった」ず結論付ける。こう聞くず疑り深くなっおしたうのが私の悪い癖だ。結局、〈語り手〉は明治の朚にも仁王が埋たっおいるこずを芋抜けなかった・信じられなかっただけなのかもしれない。少なくずもそれは”埅぀こず”によっお蟿り着いた境地ではないのだ。

むすびに

もちろん、これも『倢十倜』に察する䞀぀の解釈でしかない。玠敵な解釈はもっず発芋されうるだろう。が、近代人の態床を反省する䞊で、”埅぀こず”に぀いお考えるのは良かったこずだず思う。䞀郚の読者にはモラル的な読みを抌し付けおしたったようで、申し蚳ない。私の解釈も、䜕の正解ではなく、䞀぀の道に過ぎない。この点を明確に断っおおく。

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読曞感想文

平玠よりサポヌトを頂き、ありがずうございたす。