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村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』読書メモ

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は、全40のチャプターから成り立っている。奇数番号では「ハードボイルド・ワンダーランド」の物語が展開し、偶数番号では「世界の終り」の物語が展開する。

 ここでは、40のチャプターに対して1つずつ記した所感を、ツイート形式で紹介していきたい。

1~10

(1)精神世界に潜っていくためのエレベーターが提示されると同時に、主人公の一人称が「私」であることが示される。太った女のコロンから何かプルースト効果のような心理現象を想像させつつ、そこからプルーストに関する連想ゲームを発展させ、長い廊下を抜けていく様子を描写している。

(2)「金色の獣」の生態についての紹介を通じて、「世界の終り」の重層的な時間感覚を読者に提示している。「世界の終り」には、たしかに四季があり、年があり、週があり、一日がある。我々とは異なる時間感覚を「このようにして街の一日は終る。」という最後の一文でドラスティックに示している。

(3)「ハードボイルド・ワンダーランド」では、『組織』と『工場』、やみくろ、記号士、洗いだし、シャフリングといった概念が導入される。「音抜き」された滝の音は、想像してみると、心音や血のめぐる音に似ているのではないかと思われる。「太った女」は、老科学者の孫娘だったことが判明する。

(4)(2)で書きもらしたが「世界の終り」での主人公の一人称は「僕」である。僕は図書館で古い夢を読む〈夢読み〉となる。門番のキャラクターはカフカ『城』の登場人物のそれに近いかもしれない。儀式の結果として、僕は日光を失うことになったし、暗い場所しか出歩けなくなった。

(5)ここでは、計算士のある種では苛酷ともいえる生活が明らかにされる。また、私が離婚していたことも描かれている。音抜きに関しても、私がその思索を深めていた。サンドウィッチを食べるシーンはどんな意味を持つのか? 読者である自分にはわからない。小説内の弛みを担うチャプターだった。

(6)〈夢読み〉の仕事が描写されると同時に、影が登場するチャプターでもある。影は主人公に対して気さくに話しかける存在であり、一人称は「俺」。工場の閉鎖によって貧しくなった職工が住んでいる職工住宅も紹介される。産業革命で仕事を奪われた職人たちを表現していると思われる。

(7)「世界の終り」にて〈古い夢〉は動物の頭骨に収められていたわけであるが、「ハードボイルド・ワンダーランド」においても哺乳動物の頭蓋骨が登場した。主人公と記号士との駆け引きが熱いために、物語が面白く感じられてくる局面である。同時並行で進んでいた物語が、ここで接続してくる。

(8)「世界の終り」にて、主人公は大佐とチェスをしていた。軍事施設を必要とするほどの街なのかは不明だが、警察機関も兼ねているのかもしれない。この手の描写には、ガルシア=マルケスやバルガス=リョサといった南米文学の影響を感じた。また、街の壁に関する言及もあった。

(9)「ハードボイルド・ワンダーランド」では、ボルヘス『幻獣辞典』を引き合いに出しながら、一角獣の起源が探られていた。その中で浮上してきたのがレニングラード(現・サンクトペテルブルク)である。レニングラード包囲戦は人肉食が横行するほど苛烈な戦争だったため、飢餓が連想される。

(10)このチャプターにおいて、主人公のいる世界が「世界の終り」であることが、彼に知らされる。それと同時に、主人公は門番から壁に関する説明を受ける。街の壁はどんな攻撃や災害に遭っても破れたことがない、非常に強靭なものであるらしい。ここから「世界の終り」の方も物語が動いていく。

11~20

(11)ここで意識の二重構造について説明がなされる。この構造については、たぶん『若い読者のための短編小説案内』を読むのが、最もわかりやすいのかもしれない。シャフリング作業についても「誰かが私の知らない私の意識を使って何かを私の知らないあいだに処理しているのだ。」と読者に明かされる。

(12)「世界の終り」では、主人公が「世界の終り」の地図作成に取り掛かっていた。主人公たちは川に出る。川面は波ひとつ無いにもかかわらず下の方では渦を巻いている川であるらしい。このあたりの描写は、ポーの『メエルシュトレエムに呑まれて』を思い出す。そこから着想を得ているのだろうか。

(13)大男とちびが登場する。どうやら計算士と記号士の闘争は、情報戦争であるらしい。自由主義経済の競争に近いものなのだろうか。また、やみくろの生態についても言及される。大男とちびは道化師のような役割を演じる存在であり、このチャプターで笑いをとる構造になっていることがうかがえる。

(14)「世界の終り」において、冬は厳しい季節らしい。「冬になると壁は一層厳しく街をしめつける。」と、壁と季節にも関係があるようだ。一方で森の役割は希薄である。大江健三郎の小説では谷間の村の周囲を森が囲み、森が境界となっているわけだが、この小説はそうではない。壁と森の役回りとは?

(15)主人公は(13)で登場した二人組に下腹部を切られるという拷問をされた後、なりゆきとはいえ『組織』を裏切ってしまったことを自覚する。療養のさなか自省に至り、そこで「壁に囲まれた世界」のことを夢想する。「壁に囲まれた世界にとじこもったまま、彼は破滅へと進みつづけるのだ。」

(16)〈夢読み〉について教えてくれた女性について掘り下げられたチャプターだった。彼女は物心がつくまえから影と引き離されてしまったせいで、自分の中に心が存在していたことすら覚えていないらしい。……本作では抽象的だった彼女の造形は『ノルウェイの森』の直子として結実したのかもしれない。

(17)(学校や官僚機構といった)近代的で巨大な権力構造とシステムに対する老科学者の不信が語られているチャプターだった。〈世界の終り〉、シャフリング、時限爆弾……謎めいたキーワードを散りばめながら、主人公が切迫した状況にあることを伝えることで、読者の興味をうまく引っ張っている。

(18)主人公が〈夢読み〉をしている様子が、具体的に描写される。しかしながら〈古い夢〉から読み取れるのは、不確かな断片であり、その全体像をわかりやすい物語として把握することはできない。ポケットから両手を取り出して、月明かりに照らされている掌を主人公が眺めている描写が印象的だった。

(19)太った娘から、①シャフリングを身に着けた26人のうち25人は半年から1年の間に亡くなってしまったということ、②主人公は継続的にシャフリングを行っても全く問題がなく、これは稀有なことであるということ、を聞かされる。こういった主人公の特別性に対する演出を嫌う人もいるかもしれない。

(20)冬には多くの一角獣が死ぬことになるが、春にはまた新しい子供が生まれる。街の門番は一角獣の解体を行い、頭蓋骨を取り出して、残りは焼いてしまう。取り出した頭蓋骨は鍋で煮沸してきれいにする。〈古い夢〉はその頭蓋骨の中に収められる。「世界の終り」の雪景色は残酷でありながら美しい。

21~30

(21)主人公と太った娘は地下の暗闇を潜っていく。主人公は暗闇の中で太った娘の靴音に気を取られてしまい、催眠術によって、フィンランドの田舎道の石の上に年老いた悪魔が座っている幻覚を見る。その後、暗闇の中から「どっしりとした重い金属がこすりあわされる音」のような音を聴く。下巻へ続く。

(22)ここから下巻。街には晴天が戻ってきた。主人公の「僕」は雪で照り返した陽光を直接見てしまったせいで枕で目を覆うことになる。これは(4)で行った儀式のせいだ。その後主人公たちは図書館で古いタイプライターを発見する。また、彼は資料室のトランクで見つけたマフラーのことを思い出す。

(23)「世界の終り」の主人公である「僕」は光を嫌う一方で、「ハードボイルド・ワンダーランド」の主人公である「私」は暗闇の世界を抜け出したがっていた。シャフリング能力を獲得するための脳外科手術で、主人公は自身の記憶が奪われたのではないかと確信する。踊り続ける自身の影の描写も重要。

(24)主人公は門番に預けていた影と再会する。影は冬のせいで弱っていた。また、影は主人公の記憶のほとんどを持っていることが明かされる。影は冬になる前に主人公と街を脱出する計画を考えていたようだ。また、主人公は楽器について門番に尋ねたところ、発電所に行くように促された。

(25)主人公たちは老科学者と再会する。脳は記憶や認識の断片を束ね合わせて象(イデア?)を造る工場であることが、太った娘の祖父である老科学者から語られる。老科学者は26人の被験者に対して意識の核の映像化を行い、その映像の編集を行った。また主人公に対しては第三の回路を付した。

(26)発電所は森の中にあることから、図書館で〈夢読み〉を教えてくれた女性は行くことを嫌がっていた。発電所には自給自足で暮らしている人がいた。森の中で響いていた風のような音は、発電所の周辺にある地下空洞から発していたものだった。電気は地下ケーブルを通じて街に供給されている。

(27)「百科事典棒」についての話から、時間と思念、そして不死の話へと発展していく。「人間は時間を拡大して不死に至るのではなく、時間を分解して不死に至る」のだという。主人公はその思念の世界(=不死の世界)に引きずり込まれたようである。やみくろは銀座線に潜んでいるらしい。

(28)主人公たちは発電所の若い管理人から楽器をもらう代わりに、小型のトラベル・ウォッチとチェス盤を渡す。交換である。短いがこれ以上書くべきことがない。

(29)やみくろを避けながら地底湖を泳いで、地下鉄の線路に出てくるまでの話。やみくろの声は「無数の羽虫のうなり」のようなものであり、「地獄の穴から吹きあがってくる激しい風」のような憎悪があった。他に気になるのは”近藤正臣・中野良子・山崎努”という取り合わせである。一体何の意味が?

(30)官舎のわきにある空き地では、老人たちが穴を掘っていた。それは目的のない行為であり、したがって競争も優劣もない行為である。大佐はそのようなことを言っていたが、さて、大佐は主人公とどれくらいの年齢差があるのだろうか? そして、心を捨てれば安らぎがやってくるとも言っていた。

31~40

(31)太った娘は研究会に出席するらしい。研究会のテーマは、合成洗剤による魚の絶滅といった河川の汚染に関するものであるようだ。雰囲気づくりの面が色濃いものの、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の時点で、村上春樹が環境問題に言及しているのは意外だった。

(32)主人公と影は街を出るべきか否かについて議論していた。主人公は街に対して愛着を感じ始めている一方で、影は「完全さというのはこの世には存在しない」と指摘する。(『風の歌を聴け』みたいな話だ。)また、街の完全さは心の喪失によって成り立っているという。そしてそれには影の死が伴う。

(33)主人公は、どこにも至れない自我について不変を見出し、さらにはそこに不死の世界を見出す。不死の世界は絶望なのだろうか? ツルゲーネフなら幻滅、ドストエフスキーなら地獄、サマセット・モームなら現実と呼んでいたかもしれない。

(34)図書館で〈夢読み〉を教えてくれた女性の母親は、心(影)を残したために森に住まざるをえなくなった。女性の影は確かに死んでおり、りんご林に埋められているものの、母親の記憶を媒体とした心象風景の断片が彼女を揺さぶっているのだと主人公は予測し、彼女の心を探すことになる。

(35)自分の意識の中には「高い壁で囲まれた街があり、周辺には一角獣が住んでいる」ということについて、主人公が言及する。主人公は図書館でリファレンス係をしている女性に出会う。彼女には以前に夫がいたものの、バスの中で若い男性に鉄の花瓶で殺されてしまったということが明らかにされる。

(36)手風琴の音は風の歌であった。手風琴の音は唄に、唄は彼女の母親に、母親は彼女の心に結びついている。主人公は街の風景や人々を懐かしみながら、『ダニー・ボーイ』を奏でていた。彼女の心の断片は無数の光となって一角獣の頭蓋骨に散りばめられていた。主人公は最後の〈夢読み〉を試みる。

(37)一角獣の頭骨はクリスマス・ツリーみたいに光っていた。頭骨を掌で覆うと微かな残り火のような暖かみが感じられた。主人公はリファレンス係の女性にビールを用意させながら、太った娘の安否を心配していた。「ハードボイルド・ワンダーランド」では主人公の日常が戻ってきたかのように思われる。

(38)主人公は一晩中〈夢読み〉を行った後、彼女に光のぬくもりの暖かみを伝えることに成功する。それは心そのものではないが、信じていれば心そのものを伝えると主人公は誓う。午後2時に起きた主人公は、影と合流し、街を脱出するために「南のたまり」へ向かうことになる。影は弱っていた。

(39)私はこの世界から消滅しようとしていた。主人公は涙を流すことのできない悲哀を味わっていた。そんな折に太った娘と再会することになった。ボブ・ディランは『激しい雨』を唄い続けていたし、雨はいつでも公正に降り続いていた。主人公に眠りがやってきた。

(40)〈世界の終り〉の出口にたどり着いた。主人公は影に対してこの世界に残ることを告げる。影はたまりの向こう側へと行ってしまった。「降りしきる雪の中を一羽の白い鳥が南に向けて飛んでいくのが見えた。鳥は壁を越え、雪に包まれた南の空に呑みこまれていった。」行くことも戻ることもできない。

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