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📖夏目漱石『夢十夜』第八夜

第八夜は”鏡とマネキンの話”と形容すれば適切だろうか? 鏡の外の世界の人間には、ほとんど生気がない。床屋の主人(白い男)しかり。最後に出てくる金魚屋も不気味なほどに動かない。

一方で鏡の中の世界にいる人々は動的である。札を懸命に数えている女やラッパを吹く豆腐屋、パナマ帽をかぶった庄太郎、化粧をしていない芸者……といった色んな人間の影が鏡の中、鏡から映る格子窓の中を動いている。

〈語り手〉は自覚していないであろうこの徹底された対比は、話に不気味さをもたらしている。鏡の外では皆すました顔をしているのだが、その内では欲望の海をもがいている。安易にそう結論づけたくなるところをジッと我慢。第八夜をじっくりと眺めてみよう。

外の世界――動かない人々

第八夜にて、外の人々は動かないし、ほとんど喋りもしない。印象的なのは特にこの部分だろうか。

「さあ、頭もだが、どうだろう、物になるだろうか」と自分は白い男に聞いた。白い男はやはり何も答えずに、ちゃきちゃきとはさみを鳴らし始めた。
――『夢十夜』第八夜 青空文庫 引用者太字

〈語り手〉が白い男(床屋)に語り掛けたにもかかわらず、床屋は何も答えない。人間はあふれているのに、コミュニケーションが成立しない世界に来てしまった。そういう恐怖感を〈語り手〉だけでなく、読者にも与えてくる。

金魚屋もまた、読者に気味の悪さを感じさせる。

 だいを払って表へ出ると、門口かどぐちの左側に、小判なりのおけが五つばかり並べてあって、その中に赤い金魚や、斑入ふいりの金魚や、痩せた金魚や、ふとった金魚がたくさん入れてあった。そうして金魚売がそのうしろにいた。金魚売は自分の前に並べた金魚を見つめたまま、頬杖を突いて、じっとしている。騒がしい往来の活動にはほとんど心を留めていない。自分はしばらく立ってこの金魚売を眺めていた。けれども自分が眺めている間、金魚売はちっとも動かなかった。
――『夢十夜』第八夜 青空文庫

沈黙する金魚売が一番不気味だと感じた。

内の世界――鏡の中の格子戸に映る人々

鏡の世界に映る人々は、”華やか”とは言えないまでも、動的である。

① 喇叭ラッパを吹いている豆腐屋

豆腐屋が喇叭を吹いて通った。喇叭を口へあてがっているんで、ほっぺたが蜂にされたように膨れていた。膨れたまんまで通り越したものだから、気がかりでたまらない。生涯蜂に螫されているように思う。

② 化粧をしていない芸者

芸者が出た。まだ御化粧おつくりをしていない。島田の根が緩んで、何だか頭に締まりがない。顔も寝ぼけている。色沢いろつやが気の毒なほど悪い。それで御辞儀をして、どうも何とかですと云ったが、相手はどうしても鏡の中へ出て来ない。

③ パナマ帽を被っている庄太郎

庄太郎が女を連れて通る。庄太郎はいつの間にかパナマの帽子を買ってかぶっている。女もいつの間にこしらえたものやら。ちょっと解らない。双方とも得意のようであった。よく女の顔を見ようと思ううちに通り過ぎてしまった。
――『夢十夜』第八夜 青空文庫

ひとまず3人分の描写を取り出してみた。それぞれ戯画的な人間像となっている。が、決して鏡の外には出て来ない。

一方で〈語り手〉が鏡の中に入ることもない。アリスのような冒険はなく、ただ眺めているだけである。これを味気ないと評するか、滋味深いと評するかは読者に任せることにする。ただ、もしも〈語り手〉がアリスであったとすれば、読者も一緒になって鏡の中を探検できたのかもしれない。

鏡の中にも鏡の外にも

月並みながら、私は第八夜と『鏡の国のアリス』を関連づけて、作品の奥行きを想像してみた。しかしながら、可笑おかしいのは鏡の中ばかりではない。鏡の外の人たちも十分に可笑しい。

これをレコードのA面とB面と捉えて、それぞれ楽しんでみるのも一興ではないだろうか。

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