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エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』読書メモ③

 今回もエーリッヒ・フロム『自由からの逃走』第一章を読んでいきます。テーマは孤独について。長文を引用するので、ハードな記事になってしまうかもしれません。ですがぜひお付き合いください。よろしくお願い致します。

(1) 「孤独を避けようとする要求」について

 生理的に条件づけられた要求だけが、人間性の強制的な部分ではない。ほかにも同じように強制的な部分があり、しかもそれは肉体的過程にではなく、生活様式と習慣の本質そのものにもとづいている。すなわち、外界との関係を結ぼうとする要求、孤独を避けようとする要求がそれである。

自由からの逃走』第一章p.25 引用者太字

(1−1) 欲求? 要求?

 人間には性欲・食欲・睡眠欲という三大欲求以外にも、「孤独になりたくない」という欲求があることを指摘しました。欲求という言い方だと、少し軽い感じがするかもしれません。

 人間は食べなければ亡くなってしまいますし、寝なくても亡くなってしまいます。もちろん、そうなってしまう前に人々は食料をなんとしてでも得るだろうし、力尽きたら勝手に寝てしまうでしょう。性欲も完全に我慢できるものではありません。

 つまり、これらの欲求は満たさないと、場合によっては死んでしまいます。人間は生き延びていくために、三大欲求を満足させるように”要求されている”ということになります。「欲求」よりも「要求」。「要求」の方が義務感の伴った強い言い回しになっているように感じます。

 本書でも「要求」という単語が使われていますね。しかしながら、生物学的な要求だけが、人間に課せられている要求ではありません。生活様式と習慣に基づく要求が人間には課せられている、とフロムは言います。

(1−2) 孤独を避けようとする要求

 生理的に条件づけられた要求だけが、人間性の強制的な部分ではない。ほかにも同じように強制的な部分があり、しかもそれは肉体的過程にではなく、生活様式と習慣の本質そのものにもとづいている。すなわち、外界との関係を結ぼうとする要求、孤独を避けようとする要求がそれである。

『自由からの逃走』第一章p.25 引用者太字

「外界との関係を結ぼうとする要求」も「孤独を避けようとする要求」も、どちらも「要求」という強いものでした。どちらも満たされないと狂気に陥りかねないというリスクを伴っています。

(1−3) では孤独とは何か?

 では孤独とは何でしょうか? フロムは次のように定義しています。

個人は何年間も肉体的にはひとりぼっちでいても、しかも理想や価値と、あるいはすくなくとも共同感と「帰属」感をあたえる社会的な生活様式と、関係を結んでいるであろう。これに反し、ひとびとにまじって生活していても、極度の孤独感に打ちひしがれることもあろう。その結果ある限度をこすと、精神分裂症的な障害のように、狂気の状態となる。このように価値や象徴や行動様式へのつながりを失っていることを、精神的な孤独ということができよう。

『自由からの逃走』第一章p.26 引用者太字

 フロムが話題にしているのは、あくまでも「精神的な孤独」でした。では「精神的な孤独」とは何か? フロムは「価値や象徴や行動様式へのつながりを失っている」ことだと云いました。

「価値や象徴や行動様式」……この表現だとわかりづらいですね。どういう人間は孤独で、どういう人間は孤独ではないのか? ここからは3つの基準を踏まえつつ、その具体例を挙げていきましょう。

(1−4) この人は孤独? or 孤独ではない?

①「神を信じて室にとじこもっている僧侶」
 肉体的には孤独かもしれません。しかし、信じている「神」という象徴が存在するわけですから、僧侶は象徴について喪失感を覚えることはありません。したがって精神的な孤独は感じていないはずです。

②「隔離されながらも同志と一体であると信じている政治犯」
 刑務所の中ですから、当然、肉体的には孤独です。しかしながら、刑務所の外には同じ思想・イデオロギーを信じている同志がいるはずです。つまり同じ価値を共有している仲間がいると確信しているわけです。ですから、この場合も孤独を感じないでしょう。

③「外国で自分の晩餐服を着ているイギリス紳士」
 異国の地、イギリス人である自分は一人であったとしても、そこに価値を感じている限りは、孤独感を覚えないはずです。そこには晩餐服という価値とイギリス人という帰属意識が用意されているからです。

④「同僚からは深く引き離されながらもその国民やその象徴と一体になっていると感じている小市民」
 職場でも疎まれながらも、あるいは目立たないながらも、国民としての自覚を持つことで孤独を免れることは可能なようです。国民や国家の方に帰属意識が芽生えるからでしょうか。

(1−5) 孤独にならない方法

 人間は様々な方法で孤独を回避してきました。厄介なのは、「孤独にならない方法」は色々ある、ということです。特に、宗教や国家主義について。

外界との関係には気高いものもつまらないものもあるが、たとえもっとも平凡な行動様式であっても、それと関係を結ぶことは、孤独であるよりもはるかにましである。宗教や国家主義も、まことに馬鹿げた他の習慣や信仰と同じように、もし個人を他人と結びつけさえすれば、人間のもっとも恐れる「孤立」からの避難所となるのである。

『自由からの逃走』第一章p.26 引用者太字

 宗教や国家主義……ただならぬワードが出てきましたね。現在の私たちはこれらの単語に敏感にならざるを得ないことでしょう。それだけ現代にも通じる内容なのだということです。

 そしてもう一つ気になることがあります。「人間のもっとも恐れる『孤独』」という言い方です。記事の冒頭では「孤独を避けようとする要求」という表現をしていました。しかしながら、なぜ避けるのかについては触れていませんでした。

 ですがここでフロムは、人間が孤独を恐れていることを指摘します。では、なぜ人間は孤独を恐怖するのでしょうか? 

 長くなってしまいましたので、今回はここまで。次回は、「孤独への恐怖」について扱っていきたいと思います。

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