※※ヘッド画像は Sut さまより

今日は三島由紀夫の短編『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃』を読んでみたい。この短編は、『花ざかりの森』と同様、『仮面の告白』以前に書かれた最初期の作品である。三島にとっての第二の処女作といえるかもしれない。しかし、内容は抽象的で難しい。難解なこの作品を少しでもほぐしていければ、と思う。

※断らない限り、引用元は『花ざかりの森・憂国』「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」新潮文庫 八十四刷とする。

この短編の特徴

まずはあらすじを紹介しよう……と言いたいところだが、この短編にストーリーらしいストーリーはない。つまり、説明すべきあらすじはない。とはいえ何も説明しないのでは忍びない。この短編の特徴について箇条書きで言及しておこう。

○　日記形式の小説
○　書いているのは殺人者かと思われる。
○　殺人者が殺害したのは、将軍・足利義鳥、北の方・瓏子れいこ、乞食こつじき百二十六人、能若衆・花若、遊女・紫野、肺癆人はいろうじん。
○　航海者（海賊）は殺さなかった。殺せなかったのか、故意にそうしなかったのかは後で説明する。

この短編は日記形式である。「▢月▢日」という風にぼかされた日付から書き出されている。この日記を書いているのは、殺人者だと考えるのが自然だろう。内容は抽象的で謎めいている。

また、「殺す」といっても実際に事を起こすわけではない。「哲学的日記」と題しているのだから、あくまで思念の中で「殺す」のだ。すると「『殺す』とはどういうことか？」という問が出てくる。

しかし、遠回りになるが、その説明も後回しにしたい。むしろその前に、「誰が殺されたのか？」をはっきりとさせておく。手始めにそれを検めることで「『殺す』とはどういうことか？」という問に戻っていけるように思うからだ。

「殺す」という行為には、当然殺される相手が要るはずだ。では、誰が殺されたのだろうか？　

まずは室町幕府第二十五代将軍・足利義鳥である。察しの良い方はお気づきかもしれない。室町幕府は十六代で終わっているし、義鳥という将軍もいない。この架空の将軍を殺害するという仕掛けが、後々に効いてくる。ひとまず説明を続けよう。

この将軍はどうやら絢爛豪華けんらんごうかな生活をしているようだ。ひとつ引用してみたい。

　室町幕府二十五代の将軍足利義鳥を殺害。百合や牡丹をえがいた裲襠（うちかけ）を着た女たちを大ぜいならべた上に将軍は豪然と横になって朱塗の煙管で阿片をふかしている。（p.60）

なんと豪奢ごうしゃで退廃的な生活であろうか！　しかも室町幕府といえば不安定な政権であったはずだ。家督争いが最終的に応仁の乱に発展してしまうのだから。破滅が運命づけられている貴族の自堕落な浪費というものは、刹那的な美しさがある。殺人者はこれを敏感に察知したようだ。

しかも、この将軍は架空のものであった。つまり、この将軍の自堕落な生活も美もまた架空のものなのだ。このような視点から眺めると、現実にはあらわれない美を殺してやろうという殺人者の気概を感じずにはいられない。

ちなみに、この話は『金閣寺』に繋がっているように思う。あるいは、この話が『金閣寺』の予告編になっていると言ってもいいだろう。不安定な時代の中をエリートとして生きた三島が、室町時代の箱物である金閣寺に共鳴したとしてもおかしくない。金閣炎上事件が起きた際に、三島が心動かされたのも頷ける。

次に北の方・瓏子れいこ。彼女自身の美しさによって殺された。実にシンプルな動機である。この瓏子という人物には、どこか『暁の寺』に登場するジン・ジャンに相通じる部分があるかもしれない。ちなみに、北の方というのは、身分の高い人の正妻のことである。

百二十六人の乞食こつじきも殺害された。乞食（こつじき）というのは、物乞いとしての乞食（こじき）を指すこともあるが、托鉢たくはつ僧を指すこともある。私の読みが足りないのかもしれないが、この作品で用いられる乞食こつじきがどちらを指しているのかは、正確には判わからない。ただ、個人的には、托鉢僧のことを指していると考えている。

街角で錫杖しゃくじょう（鈴つきの杖）を鳴らしながら片手に木皿を持ち立っている僧侶をご覧になったことはないだろうか？　それが托鉢僧である。食料や金銭をめぐんでもらうために托鉢をする。

　汚醜のこぞり集った場所での壊相えそうは、そして、新らしい美への意志――といわんよりそれはそのまま徹底した美の証しと見える。（p.61）

殺人者はこのような托鉢僧に対して、醜さを突き抜けた美しさを見出したのだ。壊相えそうとは、死体が腐乱した際に、皮膚が破れることである。このような美はやはり『暁の寺』で描かれている。インドのヴァーラーナシーの光景として。

ただし、私にも分かっていない部分がある。百二十六という数字にどのような意味があるのかは分からない。何かを足し算した末に出てきて数字かもしれない。

ちょっと休憩

まだまだ説明は長くなりそうだ。途中にはなるが、一旦ここで止めておく。しかし、ここまでの収穫も多い。少し確認しておこう。

「『殺す』とはどういうことか？」をはっきりさせるために、その準備段階として「この日記の中で誰が殺されてきたのか？」という疑問に答えてきた。そして、殺されてきた人間（架空の室町将軍、高貴な人の正妻、百二十六人の托鉢僧）は、それぞれ美を秘めていることを確認してきた。

また、この短編を書いた後の三島が、こういうものをモチーフとして小説を書いてきたということも指摘してきた。

そう考えていくと、「殺す」ということは、芸術として描くということではないか。そのような予想がたつ。この点をはっきりさせるために、②でも頑張って解説していきたい。