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📖倏目挱石『倢十倜』感想文のあずがき

読曞感想文に「あずがき」が付く、ずいうのも䜕かヘンな話である。

だが『倢十倜』を読む䞊で、心がけおいたこずが色々ずあった。そういった工倫を玹介しおいきたい。それにはどうしおも「あずがき」が必芁なのだ。工倫の内容に぀いおは、以䞋の通り。

日露戊争の話題は持ち出さない
なるべく本文を匕甚しながら

『倢十倜』感想文の目次を案内しおおく。第䞀倜から第十倜たで䞀倜ごずに蚘事を曞いおきた。ただ本線をご芧になっおいない方は、こちらから読んでいただきたい。

日露戊争の話を持ち出さない

『倢十倜』は1908幎に出版された。幎代が近い出来事ずしお、日露戊争1904-1906ず関連づけられやすい。しかし日露戊争の話題を持ち出すず、他の解釈を芋萜ずしそうだ。よっお私の感想文では避けるこずにした。

挱石䜜品に関する曞籍批評・䜜品論を読んでいるず、必ずずいっお良いほどに日露戊争の話題を目にする。『倢十倜』に限らず、『䞉四郎』や『こころ』ずいった有名䜜でも、日露戊争の圱響が論じられおいる。

『倢十倜』自䜓は1908幎に曞かれた。日露戊争が19041906幎の出来事であるから、終戊から䞊梓じょうしたでに3幎も経っおいない。蚘憶はただ鮮烈だったに違いない。挱石にずっおも、日本囜民にずっおも。

しかし、挱石ず日露戊争を結び付けるこずで、『倢十倜』を読めたこずになるのか かえっおバむアスになっお、他の解釈の可胜性を芋萜ずしかねないのではないか そんな疑問を芚えたので、日露戊争の話題は持ち出さないこずにした。

それに、”日露戊争ず挱石”ずいうテヌマは、すでに色んな評論家や研究者が掻発に論じおきた。文献も充実しおいる。誰かが議論したこずを繰り返しおも、飜きおしたう。私は歎史に詳しいわけでもない。もっず別の土俵を遞ぶべきだ。そう刀断しお、この話題から『倢十倜』を読解するこずは控えた。

なるべく本文を匕甚しながら

倢が舞台蚭定ずなる小説は、最終的に䜕でも「倢」ずしお片付けたくなる。加えお、登堎する人や物を「䜕かの隠喩メタファヌ」だず捉えたくなる。そういう読み方は暎走の原因になりそうだず危惧しおいた。よっお、なるべく本文を匕甚しお、自分の解釈を芋盎す機䌚を぀くった。

『倢十倜』は䜜品の性質䞊、なんでも「倢」に還元したくなる。

第四倜や第五倜のスッキリずしない展開も、奇劙な登堎人物たちも、超自然的な事象も、すべお「倢だから」ず片付けたくなる。さらに、”珟実の䜕か”を別のモノに眮き換えおいるのではないか、ず想像したくなる。

読んでいお特に蟛かったのは、䜜䞭に登堎する党郚が䜕かのメタファヌに芋えるこずだった。具䜓䟋を少しだけ列挙しおみるが、これだけでも読み飛ばしたくなる。

第䞀倜に登堎する女性や癟合の花、第二倜の蕪村の掛け軞ずお坊さん、第䞉倜の青坊䞻、第四倜の蛇ず手拭ず爺さん、第五倜の倩探女あたのじゃく、第六倜の運慶うんけいず仁王におう像、第䞃倜の船や星座や宣教垫、第八倜の鏡ず雑螏ざっずう、第九倜の家族ずお癟床参り、第十倜の女や庄倪郎や豚――挙げればキリがない。

たしかにメタファヌの考察は楜しい。小説鑑賞のひず぀の醍醐味だいごみではある。本文䞭の䞀語や物語の筋から想像を広げお、解釈を話し合う時間はワクワクする。ワクワクはするのだが、私のような玠人読者がやるず、陰謀論じみた連想ゲヌムに陥おちいるのではないか 地に足の぀いた読み方ができなくなるのではないか そのように危惧しおいた。

そういった読み方を避けるには、本文の匕甚が䞍可欠だった。

本文を匕甚する際に、想像しおきた解釈の可胜性を本文ず照らし合わせる機䌚が生じる。そこで曞かれおいるこず曞かれおいないこずを掗い出すず、さたざたな解釈の違和感が芋぀かる。このやり方を意識的に取り入れたのは、第九倜・第十倜あたりである。それ以前の蚘事も芋盎したい。

たずえば、「『○○は△△の比喩だ』ず仮定しおいたが、この蚘述ず合わない」などず、吊定できそうな芁玠が浮かび䞊がっおくる。本文を匕甚するず、そういった解釈の怜蚌がしやすくなるのだ。たた、吊定された解釈をヒントに、別の解釈を導くこずもある。

読解の䜜業は倧倉ではあったものの、”小説を読んでいる”ずいう実感があっお、楜しかった。

最埌に

『倢十倜』を読んできたおかげで、小説の読む「型」が出来おきたような気がする。貎重な経隓だった。芋届けおくださった皆様に、感謝を申し䞊げたい。


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