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白昼の娯楽、深夜の娯楽、未明の娯楽

 午前2時と深夜2時は違う。そして、午前2時に観たい娯楽というものがある。

 午前2時に観たい娯楽といっても深夜アニメではない。深夜アニメは、深夜2時、夜更かしをするために観るものだった。日常の精神的な疲れを麻痺させるために、あるはずだった青春の夢を見る。そんな役割を『けいおん!』の中に見出していた。

 しかし、夕方から寝てしまって、うっかり午前2時に目が覚めてしまったらどうしようか。漁師が船出する時間帯だ。網一杯に魚を獲り、日が昇った後には戻ってくる。私も漁師のように映画を観なければならない。
 天体観測をするには光があふれすぎている。

 照明はすべて消した。再生するのは『2001年宇宙の旅』。
 再生した直後から映画が始まるわけではない。提供の表示すら流れない。スクリーンは5分間も真っ黒だった。配給会社の提供が一瞬映し出されたあと、やっと本編が始まる。
 地球から太陽が顔をのぞかせる映像を背景に、「ツァラトゥストラはかく語りき」という交響曲を聴く。優雅に回転している宇宙船を何分間か眺めていると、急に猿の惑星になる。(『猿の惑星』は展開が予想通りであることを確認するために観る映画だ。)モノリスという黒い板が降ってきて、興味津々の猿人たちはモノリスを取り囲む。一匹は動物の骨を手に取って、死骸を砕くことを覚える。つまりは道具の発見である。

 ひとまず音楽は聴き終えたので、ここで停止ボタンを押す。

 そこから午前5時までは暇が居座っている。
 騒音の原因になるので、洗濯機や掃除機を稼働するわけにはいかない。室内でフィットネス・トレーニングをして足音が響いてしまうのも忍びない。ランニングをしようとすれば職務質問をされるかもしれない。観念して非生産的な活動をしなければならない。

 文学作品を読んだり、エッセイを書いたりするにはちょうどいい時間帯である。たしか、村上春樹も午前4時くらいから執筆を始めていたはずだ。三島由紀夫も小説は夜に書くものだと言っていた気がする。夜型人間が寝落ちして、朝型人間もまだ寝ている時間帯が、エッセイの執筆にも小説の鑑賞にもうってつけなのだ。

 これが未明の娯楽なのだと思う。真昼や真夜中に同じことをしても、たぶん楽しくはならない。

※※※

 白昼の娯楽は、他人と感想を共有しやすい娯楽のことだ。つまり、流行っているコンテンツのことである。一昔前の『鬼滅の刃』みたいなものだ。ほとんどの人が高評価をしているから、自分も安心して楽しめるはずだ。そういう発想で享受される娯楽を、自分は白昼の娯楽と呼ぶことにした。しかし他人に監視されながら鑑賞する芸術はつまらないので、私は白昼に芸術作品を観たいとは感じない。つまり、芸術は白昼の娯楽には属さない。

 そういう点で美術館に行ける人のことを私は尊敬している。一時でも他者の視線を忘れられるのだから、大したものだと思う。作品を鑑賞している自分が観察されているかもしれない。私はそうした恐怖が抜けないので、美術館や博物館は苦手である。展示物や雰囲気は好きであっても。

 深夜の娯楽は、基本的に少人数で、あるいは一人で楽しむような娯楽だと考えてほしい。ジャンルとしては存在しているけど、他人にはおいそれと言いづらい趣味……たとえばBLがそうかもしれない。エンタメ小説を読むにはちょうどいい時間帯だろう。しかし芸術を楽しむには、精神的な垢がたまりすぎている。

 ちなみに、アルコールごときで内省的になれると思ったら大間違いである。表面的にはセンチメンタルになるのかもしれないが、結局は麻痺毒でしかない。あれはむしろ自分の感情に蓋をしかねないというのが、私の実感だ。深夜に酒をしんみり飲んだところで何の芸術性もない。

 ちなみに、※※※以前の文章は午前3時くらいに書いたもので、以後は午前8時ごろに書いたものだ。後者は段落が整いすぎていて退屈かもしれない。つまりはそういうことだ。

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