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📖夏目漱石『夢十夜』第九夜③

前回は、母親が所持していた「鮫鞘の短刀」の意味と、父親が出ていった際の武器の描写の欠如を考察した。その2点の考察から、【なけなしの財産として「鮫鞘の短刀」を託した父親】と【その短刀を肌身離さず持ち歩く母親】の像が、一つの解釈として浮かび上がってきた。

だが、”数え年三つ”だった〈語り手〉については触れていなかった。そこで、今回は〈語り手〉について掘り下げてみたい。

その一環として、再度、父親が出ていったときの描写を振り返る。

抜け落ちた武器の描写について

 家には若い母と三つになる子供がいる。父はどこかへ行った。父がどこかへ行ったのは、月の出ていない夜中であった。とこの上で草鞋わらじ穿いて、黒い頭巾をかぶって、勝手口から出て行った。その時母の持っていた雪洞ぼんぼりが暗い闇に細長く射して、生垣いけがきの手前にある古いひのきを照らした。
――『夢十夜』第九夜 青空文庫

なぜ武器の描写だけ欠けているのか? その点をもう一度洗いなおしてみよう。候補を書き出しながら、本文と照らし合わせてみたい。記述に合致する部分としない部分とを照らし出すのだ。

① 武器が見えなかったから。

当時は月明りもないほど暗く、短刀や脇差といった小さな武器なら、男性の陰に隠れてしまってもおかしくはない。特に短刀の場合は、懐にしまいこめる。当時の〈語り手〉が気付かなくてもおかしくはない。本文も一通り確認したが、矛盾はしなさそうだ。

だが、あまりスッキリしない。

② 印象に残らなかったから。

当時の〈語り手〉は3歳(数え年?)である。父親が出立する目的が解らなかったために、刀に注目しなかったのかもしれない。その点については、下記の文章が根拠になるだろう。

父親が出ていった直後、母親が子どもをあやす場面より。

 父はそれきり帰って来なかった。母は毎日三つになる子供に「御父様は」と聞いている。子供は何とも云わなかった。しばらくしてから「あっち」と答えるようになった。母が「いつ御帰り」と聞いてもやはり「あっち」と答えて笑っていた。その時は母も笑った。そうして「今に御帰り」と云う言葉を何遍となく繰返して教えた。けれども子供は「今に」だけを覚えたのみである。時々は「御父様はどこ」と聞かれて「今に」と答える事もあった。
――『夢十夜』第九夜 青空文庫 引用者太字

「いつ御帰り」➡「あっち」、「御父様はどこ」➡「今に」と答えている。まだ十分に言葉を覚えていないからか、質問に対する返答がちぐはぐである。これでは父親が出立した目的を説明されても、理解はできなさそうだ。目的が解らないのであれば、印象に残らないのも不思議ではない。

③ 封印された記憶だったから。

前回の記事では、この可能性を完全に見落としていた。

父親の出立は、〈語り手〉にとって、トラウマ的体験だっただろう。父親の武器は、父親の死を連想させる。〈語り手〉は三歳だった当時から、父の武器に関する記憶を封じ込めていたのではないだろうか。それゆえに、思い出すことも、語ることもできなかったのだ。

加えて、当時から父親の死を無自覚にさとっていたかもしれない。そのことを示唆しさする描写もある。

そうして「今に御帰り」と云う言葉を何遍となく繰返して教えた。けれども子供は「今に」だけを覚えたのみである。
――『夢十夜』第九夜 青空文庫 引用者太字

「今に」は覚えても、「御帰り」は覚えなかった。覚える必要がなかった。当時の〈語り手〉はそう判断していたのかもしれない。

さて、第九夜の結末はどうなっていたか。

 こう云う風に、幾晩いくばんとなく母が気をんで、の目も寝ずに心配していた父は、とくの昔に浪士ろうしのために殺されていたのである。
 こんなかなしい話を、夢の中で母から聞いた。
――『夢十夜』第九夜 青空文庫

そして皆様は、今振り返ってみた結末を、どうご覧になるか?

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