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佐向大「教誨師」

それはまるで地獄めぐり。
漠然としながら確実に待ち受ける死。
誰もに訪れるはずのそれを待つまでの会話劇。
死刑囚たちが時に激しく時に静かに語るのは、過去、現在、考え、生き方、そして罪。では罪とは何であろうか?
それぞれに罪状はある。だが彼らが言葉にするのは、ただどう生きたかということである。
改宗した死刑囚。最後に渡される手紙。彼方を見つめる大杉漣の遠い眼差しは人生の茫洋さを語るようだ。
今ある全てを語ってくれる死刑囚たちの、そして教誨師の言葉はしかし、ふとした拍子に何も語られていないことを示す。
その途方もない虚無感はスタンダードサイズの狭い画面と無縁ではない。ラストシーン、拘置所から出た大杉漣に、ふと妻と思わしき女性がかける彼のお酒に関する言葉に震える。
見えるものは少ないのに、考えさせられることは果てしなく広がっている。彼もまた、我々が罪と呼ぶものと隣り合わせに生きているように、死刑囚たちもまた≪罪≫と隣り合わせで生きていたはずなのだから。
≪穴≫という言葉が印象的に残る。この作品こそ人生の道行きに数ある≪穴≫であろう。
教誨師は、そして観客もまた、その≪穴≫のそばにいて覗くことしかできはしない。まさしく地獄の縁を覗くような映画である。

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