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気づく度に深く感じる事①~後悔の受容 深い感謝~



(2023.9.14)気づきは連鎖しました。
私は夢の中で、父親に、「私は生き方を押し付けられたんだよ?」と言っていました。
事実、実家での暮らしの間、両親から数多くの制限を受けて、私の人生に大きく影響する育て方を受けました。生き方を押し付けられて、思考・捉え方・生き方の癖を身に着けました。数々の思い込みを作る日々を過ごしました。
そういう環境で育ちましたが、私は18歳の終わり頃に両親から離れている...と思いました。
はっ として...、父親に生き方諸々を押し付けられたから、私はそれが嫌で、反発して、私は自分の意思で離れているじゃないか...と思いました。
両親から離れ、その後直接的には影響を受けない環境で、私は新しく生き始めた。
つまり、それ以降は、私次第だったという事...です。
全部...自分だったんだ...。...気づいた瞬間、動きが止まりました。
今回の、全部自分だったんだ...という気づきは、私の心の奥深い部分にまで響きました。


私は、高校卒業と同時に、自分の意思で、両親から離れているのに、離れたのは、物理的な距離だけでした。
離れた、とずっと当たり前に言っていて、自分で当たり前に思っていた事でしたが、自分自身で、本当にはわかっていなかった...と思いました。
距離は離れても、私の心、魂、自分の内側、私の深い精神的、心理的な部分は、ずっと両親からも、受けた影響からも離れる事が出来ていませんでした。
距離は離れたのに、囚われから、思い込みからは離れられておらず、むしろ実家で身に着けた囚われを元にして、その上により多くの思い込みを重ねて作っていました。
囚われを囚われだと認識出来ずに、囚われたまま、思い込んだまま、その事に気づかないままで、どんどん苦しく生き辛くなり、その状態で生きてしまっていたんです。本当に、どれだけ拗らせていたんだと思います。
わかっていると頭で思っていただけで、俯瞰して見る事は出来ておらず、本当の意味では、何もわかっていませんでした。


先日見た夢の中で、私は、父親の生き方、考え方、世の中の見方を、父親の思い込みだと思っていましたが、私も同じでした。私も父親と同じ、数々の自分の思い込みの中で生きていたんです。
私が色々思い込み、自分で自分に制限を作ってしまった、そのきっかけは確かに父親と母親でした。
でも、その後、ずっと、両親から現実に離れても尚、気づかなかったのは私自身でした。
仕方がなかった事だとも思います。両親との関わりの影響によって、そういう私自身に育っていた私自身だったから、自分自身で気づく事は、難しかったと思います。
関わる人達や、物事、新しい環境の影響で、何かに気づいた瞬間はあったかもしれませんが、それは瞬間的で、私の中でしっかり癖づいていた思考、物事の捉え方、生き方は結局変えられずに、今までずっと、生きてきてしまいました。
この事に気づいた直後は、少し笑えてきました。...全部...自分だった。やっぱり、全部自分だったんだ...と。... 気がつかなかった... ...。自分の中の深い部分から、そう感じました。一瞬の衝撃、直後に愕然として、そしてその後、気持ちが急激に沈んでいきました。


以前にも、全部自分だった...と気づいた時がありました。(note記事 愛を受け取る事~傷つく事を恐れ愛を拒絶していた私~)
同じ気づきをしているように見えますが、前回とは気づき方の深さが違いました。
この深さが違う為、感情は螺旋階段のよう、と感じてきました。同じような気持ちを感じるのですが、それぞれ感じた時の感じ方の深さが異なるから、私は、同じ気づきでも、同じ所に留まったまま感じているのでは無く、私の場合本当にゆっくりとでしたが、前へ歩んでいると、少しずつでも内側が変化していると感じて、歩みは進んでいると感じてきました。


今回の気づきは、以前そう感じた時よりも、深く、気持ちが沈み、後悔の気持ちが押し寄せて来ました。
私は長年、生き辛く苦しみ続けました。
きっかけは両親だった、その原因は両親だったと、本当にそうだと思います。
でも、あの時、実家で、私が小学生の頃、自分の気持ちを両親にもっと伝わるように言えていたら?
誰か友達や近くの大人、親戚の人や学校の先生に、私の心の中の気持ちを、もっと何とかして表現して言えていたら?
その頃に、私がもっともっと色々な事に気づいていたら?何か声に出して伝える事が出来たんじゃないか?と。
もしもそう出来ていたら、何かが変わっていたんじゃないか... ... ...そう思ってしまいました。何回も思って来た気持ちを、今までで1番、私の深いところから響き痺れる程感じました。涙が溢れました。
わかっていました。当時、それは難しかった事。そして今までの全ての時間や体験があったから、今の私がいて、今こうして気づいて考えて、感じる私がここにいる事も。
でも、小学生の頃も、それ以降も、私が、気づかずに、言えずに、素直な気持ちを伝える事が出来なかったから、今までのように人生を歩み、長い間、両親との関係では両親を傷付けてきてしまった。と、この時、始めて、そう思いました。
私が、気がつかなかったから、こんなにも長い年月、両親を、傷付け続けてきてしまった。そう気づきました。涙が溢れて止まりませんでした。
...ごめんね、...ごめんね、お父さん、お母さん、...私は...気がつかなかった...、... ...ごめんなさい... ... ...。そう思いました。
私は、両親に、長い間、申し訳ない事をしてしまった...その気持ちを感じて、泣きました。後悔の涙でした。


私は高校生の時、自分の人生に後悔だけはしたくないと思って、この道を選びました。それなのに、どうして?と、思いました。
後悔だけはしたくないと思って選んだ生きる道だったのに、泣きながら、私...後悔している...と感じました。
選んだ生き方への後悔では無く、両親には私の気持ちは伝わらない、伝わる訳がないと思い込み、両親に、自分の正直な気持ち全部を伝えようと努力する事をやめて、伝えられないまま、それでいいと、わかって貰えなくてもいいと、諦めてしまった事への後悔でした。
実家を出てから何回も、その時の気持ちを言いたいタイミングがありました。でも、その都度私は、言ってもきっと両親には伝わらないからと思い、言う事を勝手に諦めて、気持ちを言わずに自分の中に押し込めました。
言い合いになるのが嫌だったから。話しても分かり合えない事を、何回も繰り返し感じる事が辛かったから。また傷つく事が怖かったから。どうせ無理だと思い、言わずに、諦めました。
あの時、伝えたほうが良かったんだ...、たとえまた言い合いになったとしても、なるべく言い方を考えて、自分の気持ちを言う事は大切な事だった。
たとえ分かり合えないと思ったとしても、たとえ傷つく事が怖くても、そもそも分かり合えないという事がニュートラルだと思ったら、辛さを失望まで偏らせずに、自分を保てる。(関連・note記事 気持ちを声に出して話す事~元担任の先生とのご縁~)
どうせ無理だと最初から諦めずに、わかって貰えるように、わかり合えるように、伝える努力をしたら良かったんだ...と思いました。そしてもっと、お互いにお互いを尊重して話しが出来ていたら良かったんだ...と思いました。


涙は止まり、気持ちが前向きになり、今回こそ、両親に手紙を書こうかと思いました。
数ヶ月前に、手紙を書こうかと思い悩み考えた内容とは少し違います。(note記事 伝える愛 伝えない愛 無条件の愛とは①②)
もっとシンプルに、その時には思えていなかった気持ちがありました。
気づかなかった思い込み、気づいた後悔、ごめんなさいという気持ち。
そして、思いました。この地球に私を産み落としてくれたのは母親。父親と母親がいたから、私はこうして産まれて来る事が出来たんだと。そうでなかったら、私は今ここに、存在していない、と思いました。
産んでもらった事、育ててもらった事。今までの色々な事がありながらも、両親がいてくれたから、今、私は幸せを感じて生きていられてる...。今なら両親に、心からの深い感謝の気持ちが書けると、思いました。便箋はあったはず、と思いました。



TSUNAMI/サザンオールスターズ



お読み頂き、ありがとうございました。





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