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思いやり 人と人との繋がりを感じる事~自己一致感~



「人の心には言葉で聞こえてわかるように表現されていない、奥にある見えない気持ちがあるんだよ」という気づき(note記事 ご縁の意味 学びに気づく事③)は、私にとっては、とても大きな気づきになり、その後連鎖して気づき、自分の心の中の整理が進んでいったようでした。

後日、義父母と会った時、私は、義父母はその大切な気づきをくれた人達だという認識になっていました。
気づいた事を活かして、この日から些細な事ですが新しい関わり方で接してみました。
会話する時、自然体で、義父母の話す言葉の奥にある気持ちをなるべく汲み取って(聴いて思いやって)話そうとしました。
言葉の裏の心理を読みとろうという意識ではなくて、今どんな気持ちを伝えたくて私にそう話しているのかな...という気持ちで聞きました。
そう思いながら話していると、不思議と、今までより会話がスムーズに行えました。
ほんの少し、相手を思いやる事を心掛けただけで、相手の気持ちがわかりやすくなり、私も考え過ぎる事なく話せていました。
何を言おうか、どう言おうか、考え過ぎない事で、楽に話せて、やんわり本音も言えていました。義父母との会話に楽しさも感じました。
今まで、私は誰かと会話する時、相手の心を思いやりながら聴いていなかったから、何をどう言えばいいかわからない時があり、結果考え過ぎる事になっていたのかもしれない...そう思いました。


会って話している時、帰り道の途中、私はいちいち心の中の状態を確認しました。この日、2人と関わる事に、全く抵抗感がありませんでした。心の捻れがとれたような感覚でした。
義父母との会話は人と人との繋がりを感じさせてくれました。
繋がりを感じた事で、逆に義父母と私との境界線は、今までよりはっきりと感じました。
自分の内側のブレ感やズレ感が消えていました。
自分の内側がブレていた時(確立した個、自分がなかった時)は、私個人と他者との境界線は曖昧で、それでいて人と人との繋がりもわかりませんでした。
その逆になった、と思いました。
ドラッグストアの駐車場で夜空を見上げると、半分の月がありました。
呼吸をするのが楽でした。心の中が楽でした。自分の中のブレやズレを感じず、一致している感覚でした。
思考と感情、自分と内側の自分、ずっと長い間あったと思う分離感が消えている...自分が1つになった感覚でした。
思いがけず新鮮な体感で、静かに驚き、たぶん物心ついた後の早い時期から以降初めてかもしれない...と思いました。
心をまた確認しました。地に足がついたような感覚、安定していると思いました。大丈夫、と思い、その後、喜びを感じました。
私は生きていてもいい。手足を伸ばしたいように伸ばせる。深呼吸も普通の呼吸も出来る。そう感じた夜でした。


"人の気持ちを考えて話しましょう"  小学校でいつも教室の壁に書いて貼ってあった気がします。
当たり前に、同級生、友達の気持ちを考えて接して過ごしていたつもりでした。
当たり前に、接する相手の気持ちを考えていた私だったと思っていましたが、思い返すと私は、「直接言われた言葉だけ」を受け取り、言葉で表現されていない人の心の中の見えない気持ちを思いやって接した記憶がありませんでした。言葉からだけで得られる情報だけで、相手の事を考え、思いやっていたと思います。
誰もがそうだと、私と同じだと思っていました。(そもそも違いがあると思っていなかったから、個々の気持ちの違い、ある物事に対して、1人1人の感じ方、捉え方、思い方、伝え方に違いがあるという事がわかっていなかった。)


過去を振り返ると、大人になってからの私もそうだった自覚がありました。ショックでした。
私としては言われた「言葉だけ」を素直に受け取っていた、ただそれだけ。それだけの状態でした。
でも、つまり、私は、ずっと人の気持ちを全然考えられていなかったという事...でした。
私からの発信の場合は、言う言葉だけが素直な本心でした。発する言葉=心の中でした。
何も言わない子供になる前は、言い方に気をつけるという意識がなく、何の疑問もなく頭に浮かんだ事をそのまま言っていたと思います。心にはそれ以上も以下もなく、何も思っていなかった。
ストレートに表現される言葉、それはまたそれで、人の気持ちを全然考えられていなかったという事...。
私は無意識にまわりを傷つける事を言っていたのかな....と思い、小6の頃の担任の先生が私に言った事と繋がったと思いました。私の言葉はきつかったのかもしれない...。私は発達が未熟な子供で、アンバランスで、そのまま大人になった気がしました。


生まれ持っていた気質や生育環境の影響、と言うには、本当に長過ぎる年月気づかないまま身に着けてしまっていた私の特性で、まわりの人にそのように接していた私だったのかと、そう気づいた時、悲し過ぎてショックで泣きました。
義父母宅から帰る時、車を運転している時、
今までの人間関係のいろいろな場面が思い浮かびました。
私は、あの時、あの人の、言葉だけを受け取った。
言葉の意味がわからなくて、何を言いたいのかわからなくて、わからなくて黙って考えている内に、話しが終わってしまった。
私の気持ちは有耶無耶なまま、でも私は相手に発言の真意を聞く事はせずに(言葉の奥に気持ちがあるとわかっていないから聞くという発想にならなかった)、話しが終わり、それ以上相手の気持ちを考えなかった。
そういう時がたくさんあった。
きっと、その時、相手の心の中には、言葉では表現されなかったであろう気持ちがあったんだ。
私はそれに、気づかなかった...。
ずっとずっと、私は私に向けられていたその人の本当の気持ちに気づいていなかったんだ...と思いました。
ボロボロと泣きながら、涙を拭きながら、ごめんなさい...と。気づかなくて、傷つけて、ごめんなさい...と、言っていました。

相手から向けられていた気持ちは、愛情だったかもしれない。友情だったかもしれない。職場の仲間としての気持ちだったかもしれない。親戚の叔祖父からの叱責と落胆の言葉の奥にあった気持ち...
どれも、私を大切に思って、頼りに思ってくれていた気持ちだったかもしれない。それなのに。
言葉で表現されていない事は、私は気がつかず、相手の心の中の見えない気持ち、深い所にある気持ちがわからず、いつも気づかず、受け取れずにいた。
気持ちをわかり、汲み取って返す、その反応が出来なかった。
そして気持ちに気づいていない上に、返す私の言葉は相手にとっては、冷たくきつく感じるような物だったのかもしれない。
言葉の意味がわからなかったなら、その時もっと聞けば良かった。会話して、どういう気持ちで言っているのかを、知る努力をすれば良かった...。
勝手に自己完結させないで、思い込みで捉えないで、相手に聞いて、ちゃんと気持ちをやり取りすればよかった...。そう思いました。
こういう時、いつも自分の中に小さな違和感を感じていました。その違和感をスルーせずに、違和感を大切に感じて、相手に接したらよかった...。
そうしなかったから、自分の中には、勝手な思い込みからのしこりが出来た。
私の人間関係がいつも壊れた理由は、こういう事も関係していたんだ、そう思いました。


全部が自分1人の責任だった訳ではありません。親から受け継いだかもしれない遺伝や、幼少期の家庭環境の影響は大きかったと思います。それは本当に残念でしたが、仕方がなかった事でした。
そういう特性を持っている私なんだと気づいたので、今後は理解して無理なく気をつけていこうと思います。
涙を流しながら、次々と以前の人間関係が思い浮かびました。あの時...、あの時も...、と思い出し、その時の相手の心の中の気持ちに気づいては感じて、また泣いて、あの時気づけなかったそんな自分でもいいと、肯定して受容しました。
気づけなかったのには理由があった。本当に仕方がなかった。今、気づけてよかったね、大丈夫だよ。気づけたからこれからは(変わろうとしなくても)自然に変わっていく、と丁寧に全部肯定して受容しました。
自分を責めて苦しくて泣いている感じではなく、確かに、ずっと気づいて来れなかった事に悔やみながらの涙でしたが、涙を流す事で心を洗い流して軽くしていました。
しばらくして、全部、受け入れきれたら、こうして気づけた事は、今まで出会ってくれて、そういう体験をさせてくれたその人達のおかげだと思いました。
また、感謝しかありませんでした。
1度止まった涙がまた溢れました。ありがとう...ありがとうございました...、そうとしか言葉が出ませんでした。

私はまわりの人達のおかげで生きている。
人と人との繋がりの中で生かされていると思いました。涙腺は壊れたようでした。
父方母方のご先祖さまへの感謝で手を合わせました。両親、義父母、家族、今まで出会ってくれた人達、今まわりにいる人達、noteの向こうにいる人達、全員ご縁の人達で、支えてもらっていてその中で私は今を生きていると思いました。
今日出来る事をしてただ生きようと思いました。
誰かと他愛のない話しをしたくなっている私がいました。


いつも長くなってしまい、すみません。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。





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