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"colorful"と"Burning"から削ぎ落とされたもの

先日、Adoさんの『唱』をYouTubeで再生した時のことです。

設定をいじった覚えは無いんですが、なぜかその時だけ字幕がオンになってまして。
英語翻訳された歌詞の字幕が、画面下部に表示されていました。

まあいいや、と気にせずそのまま視聴していたんですが。
個人的に大好きなフレーズでもある
「十色(といろ)のバタフライ」
の部分に差し掛かった時、

Colorful butterfly

の字幕が視界に入って、思わず一時停止して画面を二度見しました。

もちろん意味は合っています。
色鮮やかだったり、色の数が多い様を表す言葉として「colorful」と訳すのは正しい。

と同時に「十色(といろ)」という響きが持つ情感を受け取るのは、日本語が母国語の人ならではの感覚なのかな、とも実感したわけです。

実際、Google翻訳を開いて
・色とりどり
・色鮮やか
・多彩
あたりを思いつくままに入れたところ、翻訳結果は全部"colorful" や "Colorful" でした。
(そろそろcolorfulがゲシュタルト崩壊してきた)


思えば宇佐美りん『推し、燃ゆ』の英語版のタイトルが『Idol, Burning』だと知った時にも、似たような気持ちを抱いたものでした。

↑文庫版の帯にも、小さく英題が書かれているんです。

”Idol” も ”Burning” も翻訳として最適だけど、削ぎ落とされるものも大きい。かと言って『Oshi, Moyu』だと全く伝わらない。


私自身、翻訳作品は好きでよく読みます。
小説の短編集だと、国内作家より翻訳作品を読むことの方が多いぐらいです。
小説を通して全く違う文化や価値観に触れられるのも、日本語へと翻訳されているからこそ。
翻訳家の方々には頭が上がりません。

と同時に、母国語で読めないことと、その国の文化や価値観を共有していないがゆえに、こぼれ落ちてしまっているものはきっと少なくない。
そういう自戒は必要なのかもしれません。

ちなみに以前読んだ同時通訳者の米原万里さんの本で、amazingやwonderfulやmarvelousやbrilliantやfantasticやexcellentなどなどを「素晴らしい」と訳していたら便利な日本語だとツッコまれた、というエピソードを読んだことがあります。前述した"colorful"とは逆の状態ですね。


ちょっとした気付きから、省みるきっかけをもらいました。書いていくうちに広がっていくのもまた面白いものです。
(今度「好きな海外小説」という内容でnoteを書いてみます)

お読みいただきありがとうございました。
今日も良い日になりますように◎



※2024.2.12追記:書きました!


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