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大学時代までをふりかえってみた。

みなさん、こんにちは!ふくだです。
初めてのnoteでは、簡単に自己紹介をしましたが…

関西在住の32歳(2019年3月現在)のデザイナーです。2015年にTOKIIRO designという屋号で独立し、4周年をむかえました。現在は「愛されブランディング」を軸にトータルデザイン・ディレクションを行っています。特に名刺やショップカードなどの小型ツールからパッケージデザインまで「実際に手に触れられるもの」のデザインが専門です。(特に紙ものは見るのも好きです)また、フリーランスのWebデザイナーとふくまつでざいんというユニットでも活動しています。独立前は広告制作会社、雑貨企画販売会社にデザイナーとして勤めていました。

「略歴はわかったけど"ふくだ"って、結局どんな人なん?」ということで、大学時代までをふりかえり、ツラツラと書いてみました。

誕生〜幼稚園生

ラムネ入りのマイク(ご存知の方います?)を持ち、客人を前に座布団の上で歌いまくり踊りまくりのオンステージを繰り広げる子だったそうな。
「人見知り?なにそれおいしいの?」って感じ。幼稚園に入る前まで転勤族だったので実家は今でも賃貸の家なんですが、部屋中にシールを貼りまくり。ピアノにも貼りまくりという……。物心ついたときから、よく絵を描いていました。

人見知りはしないけど幼稚園に行くのは嫌がったタイプです。(親と離れるのが嫌という感じではなかったような。)行ってしまえば普通なんですけどね(笑)
その当時、セーラームーンが流行っていまして、私はセーラーマーズを選ぶような子でした。臨兵闘者 皆陣列前行!!!!!!
リカちゃん人形やトミカ、戦隊モノやロボットのおもちゃなども(幅広い)

通っていた幼稚園はお泊まり会や遠足がありました。修学旅行で奈良にも行ったりして。車酔いする体質なので大変でした……。修学旅行では土砂降りの雨の中、カッパ着て遊園地で遊ぶっていう。

小学生のころ

低中学年のころ、犬と女の子を主人公とした漫画を描いてました。漫画といってもコマはなく、A4やA3を折って切れ目を入れて作る8ページ冊子に絵を書いてストーリーを作ってました。連載物で一体何冊作っただろう……。
作ったものは友達に読ませてました(強制)

相変わらず"学校"という場所に毎日通うのは苦手でした。休みの日に友達と遊んだ記憶があんまりありません。オフを満喫するおひとりさまのように一人で好きなところに行ってましたね。(とはいえ、相変わらず友達や顔なじみは多い方)

小学校には毎学年行う行事がありまして。峰山という山におにぎり1個を持って遠足に行く「おにぎり遠足」。おにぎり1個というルールがあるので、みんなそれぞれ、どでかいボールみたいなおにぎりを持参しました。私のは梅干し、たらこ、かつおなど具がいくつか入ってます。あの行事は好きでした。

小学校は給食に力を入れてました。香川県は教育に力を入れている県です。
お楽しみ会と言う名のバイキングメニューや各国の食べ物、手巻き寿司、ラーメン、うどんなど美味しいものをたくさん食べさせてもらいました。デザートにアイスクレープとか出たり。学校内に給食室があったので給食は熱々です。
わかめご飯の日と揚げパンの日は休まず行きます。というか、給食のメニューは毎日確認してましたね。給食が"あたたかい"のはありがたかったことだと、県外にでてから知りました。

夏休みには、小豆島に東京芸大の先生がやってきて(言ってませんでしたが香川県高松市出身です)丸1日ワークショップをしてくれる県のイベントがありまして。母が申し込みしてくれて、毎年参加してました。
夏休みといえば宿題ですが、最後にババババっとやるタイプです。
ちなみに修学旅行は、またしても奈良で。内心「2度目〜!」って。

中学生のころ

小学生の頃から美術館や博物館に親が連れていってくれてました。
ちょっと記憶があやふやですが、小学生高学年か中学生になったころ、地元の美術館にダリやマグリットなどシュルレアリスムの展示会があったんですね。
それが一番古い"展覧会を観た"という記憶で、"アート"ってものに衝撃を受けた瞬間でした。
あまりにも衝撃で、絵を描くとめちゃくちゃ影響されてるんですよねー。
作品の好みも…。当時はよく水彩画を描いてました。

相変わらず学校が嫌いで。教科によってはあと1日休んだら進級がやばかったという状態でした(笑)けど勉強は一応してたな…。出席日数が危険なだけで成績は中以上です。しかし、好きな教科と嫌いな教科で点数には結構開きがあったような…。

あと、学級崩壊が騒がれていた時代でしたね。なかなか刺激的な学校でした。よく学校自体は欠席してましたが授業に出れば真面目にやりますし、授業もみんながお喋りしてる中、真面目に聴いてたので先生には結構好かれてたと思います。ちなみに学校が嫌すぎて小学生時代からよく熱を出してましたね。正直、中学時代はあまり記憶がありません。けど、「美術」と「現代文」だけは休まず行った記憶。
修学旅行は奈良ではなく九州でした。「3度目〜!」って言いたかった。

高校生のころ

中学時代は出席日数が危うく足りずでしたが進学校に進みました。市内の工芸高校に進みたいという気持ちもあったのですが、工芸高校出身の母から「興味がでることが美術以外にもできるかもしれないから、進学校に行ったら?」と言われ、納得して進学校に。

自転車で50分くらいかけて、山の上の高校に通ってました。ちなみに小学生の時から半不登校みたいな生徒でしたが小学生時代は昼以降に登校することも多く、その頃はバスに乗って行ったりしてましたね。中学は自転車通学でしたから自転車で。
高校では昼から登校する場合、自転車で行くか、タクシーで乗り付け。
相変わらず体調不良で休みがちでしたが中学時代に比べたらちゃんと登校してたと思います(中学時代と同じく「美術」と「現代文」は絶対休みません。)

高校では美術部に入り部長に。選択科目ももちろん美術です。樹脂を使った作品や油絵、エアーブラシを使った作品などいろいろな手法で作品を作りました。
学祭の表紙や修学旅行の冊子のデザインも担当しました。
今思えば、それが初めて、「依頼してきた先生」=クライアントと「見る人」=エンドユーザーを意識したデザイン作品だったと思います。
学祭冊子のデザインは当時、"コンセプト"という言葉は知らなかったので"テーマ"を設定して、その年の学祭キャッチコピーに合わせたデザインに仕上げました。

また、図書室や図書館はずっと昔から好きな場所でしたのでよく入り浸ってました。ドイツの作家ミヒャエル・エンデ氏による児童文学「モモ」が大好きで油絵作品にもしました。なんども読みたくなる本です。その油絵作品は図書館に飾ってくれてました。↓私が読んだのは文庫ではなくハードカバーのものですがもし興味ある方は読んでてみてね。

修学旅行は本当は海外の予定でしたが世界情勢がよろしくなく北海道になりました!乗り物酔いしやすい私は薬局で「めちゃくちゃ効く酔い止めをください!」とお願いしたところ、自衛隊愛用と言われる酔い止め薬をすすめてくれました。
乗り物に乗ってる時は酔わず、地上に降り立つとフラフラするというスーパーキツイ薬でしたがそのおかげで楽しめましたね。

ちなみに高校は学食や購買部がありました。定食や丼などのメニューの他に、麺類もありますが、香川県らしく、うどんを自分で湯がいて食べます。 食堂には麺茹で機がありますので。

小学生、中学生のころは漠然と「将来は芸術関係の仕事をしたい」と思っていました。どちらかというとデザイナーよりも「アーティストになりたい」の方が強かったかな。あ、同人活動もしてました。ふふふ。懐かしいな、コミケ。

大学生のころ

高校では工芸高校ではなく進学校に行った私ですが、「美大に絶対に行く」という強い思いはずっとありましたので高校2年くらいから美術教室に行きはじめ、デッサンなど大学試験に向けて学びだしました。センター試験も受け、狭き門の公立美大を受けるも残念ながら不合格。

滋賀の成安造形大学のグラフィックデザインコースに進学しました。関西にはいろいろな美大があるんですが、なぜ成安造形大にしたかというと、高校は山の上だったんですが、この大学も山の上なんですね。
なんとなく環境が似てて、「琵琶湖が見える!山の中!なんか制作に集中できそう!あと空気綺麗そう!開放感がありそう!」ということで進学を決めました。
ちなみにオープンキャンパスには行ってません。大学案内を取り寄せて写真だけで決めました。

↓なんかTOPページにめちゃくちゃ綺麗な動画が。ドローンで撮影したの?

なぜ、グラフィックデザインコースにしたかというと将来自分で稼いで生活する場合、アートで食っていくのは死ぬほど大変だ!っていうのも分かっていましたし、就職となると「グラフィックデザイナーが一番窓口が多いのではないか、必要とされる機会が多いのではないか」と考えたからです。

そして、いつしか「自分が作ったものが多くの人の目に触れる、買ってくれる、使ってくれる」ことに魅力を感じていました。中学時代に初めて「デザイン」について授業があり、そこから図書館でデザイン関連の書籍や展覧会にも足を運びました。そうしていくうちに仕事にするならデザインだなと。大学に入る前はライフワークとして作家活動は続けていければ良いなと思っていました。

今までよく学校は休んでましたし、サボりも体調不良も多く「学校なんて…」なんて思っていた私ですが、高校までと比べると嘘のように大学に行ってました。
これには親もびっくりでいまでも「大学の学びのシステムが自分に合ってたんやね」と言われます。大学では自分で全て選択です。何を学ぶか、何を作るか。もちろん必須科目もありますが好きなことを学べることが楽しくて仕方がありませんでした。

なので、制作課題は毎回がんばりました。大学に入ってからほぼ初めて触ったパソコン。Adobeソフトも初めてですしMacとWindows両方使うのが最初は大変でしたが楽しかった。ちなみに楽しいと言っても「楽」なわけではありません。
作品制作の際の「産みの苦しみ」は毎回経験していましたし、時には先生から厳しい言葉もいただくわけです。そういう時、私は基本、めちゃくちゃ負けず嫌いなので次の週にブラッシュアップしたものを持っていきました。
確かに全然クオリティ違うんです。「何くそー!」と思いながらも「あの時妥協せずにやって良かった」と最後にはなります。そして妥協は人に伝わるんだなー。

サークルは「放送研究室」というアニメーション、実写映像を作るサークルに入りました。グラフィックデザイン以外のことにも触れたかったですし、授業ではチームで制作するという機会はほとんどなくチームで何か作品を作ることにも興味がありました。私はアニメーションの方に入ったので原画に対して動き(動画)を描いたり、静止画の背景を書いたり。色を塗ったり、時には配色を指示したり。
特徴的なのは実際にお仕事として依頼を受ける事も多くあったサークルでしたので大学時代からお仕事に触れさせていただける機会は貴重な経験だったと思います。

個人的にもデザイン関係で大学時代からお仕事をいただくこともありました。デザイナーではなく異業種に就職したクラスメイトも多いです。私の場合は「デザイナーに絶対になる!」という思い入学当初からありました。

大学で初めて「広告」に触れる授業が。実在するクライアントの商品に対して広告で課題解決を行うという制作課題がありました。
チームで動くのですが私のチームではターゲットとコンセプト設定、冊子からパッケージまでトータルデザインをしていきました。それがきっかけとなり、他校での広告プロモーションの授業を受けたり、広告関係の書籍を読みあさりました。
「面白い表現で人の心をつかみ、動かす」ことができる広告の魅力にハマっていきます。それから他校のコピーライター志望の友人と一緒に京都広告賞など広告賞に応募したり、自身でもデザインコンペに挑戦していきました。

集大成である卒業課題はセーフセックスをテーマにしてプロジェクトのロゴや冊子、パッケージ、サイトまでトータルデザインを行いました。
当時、エイズの感染予防についてキャンペーンがあり、そのプロジェクトに賛同したのが中学時代から好きなアーティストだったんですね。それをきっかけに色々調べるようになりました。
その時思い出したのは中学時代、妊娠した子がクラスメイトにいたな…ということだったり、大事なことなのに何と無く話し合うのはタブー化されている現状であったり。デザインの力でその意識を変えることができないかなと思って。

当時は京都市美術館で卒業展が行われていたのですが、期間中に日を決めてコンドーム250個、冊子500冊の配布を行いました。(パッケージをオリジナルデザインで生産してくれる企業さんがあるのだ!配布については美術館に許可もとりました。)
そして、「考えてもらう」ために匿名のアンケートを答えてもらい参加型の展示に。

どうしてもプロジェクトは成功させたいのですが冊子やパッケージの印刷費など全ての費用を捻出できそうにありませんでした。そこで、セーフセックスについて力を入れている企業さんに企画書を送り、実際に東京の本社まで伺ってプレゼンをし、結果、冊子と一緒に企業さんの商品サンプルを配るという条件で協賛をいただけることになりました。この経験は今でも自信になっています。これが1人で企画制作し、多くの方に助けていただきながら行った初めての「プロジェクト」であり、「トータルデザイン」でした。

そして、就職先は広告制作会社に。
会社員デザイナーだったころの話はまた別のnoteで触れることにします。

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まとめ

いかがでしたでしょうか。
自分でもびっくりしましたが、中学生の時までかなり"学校"が嫌いだったようですね。何でしょうね。学ぶことは好きだけと学校は嫌いみたいな…(ニュアンス伝われ)強制されてる感が嫌だったのかなぁ。と言っても家ではあまり勉強やれ!と言われた記憶はほとんどありませんので自分のペースでやれない状態が嫌で疲れたのか…。

けれど好奇心旺盛で興味があることはなんでもやってみましたし、好きなことはずっと続けていってるなと。高校まで苦手意識のあった教科について、社会人になった今の方が学ぶことが好きになっていると思います。

そして、就職して転職して独立した思いの源は子供時代、学生時代にあったんだなと再認識。意識してないけれど自ずと今の仕事に通じるような経験を積み重ねてきたように思えます。そしてそれがきっかけになって現在に繋がっているんだなあと。

今、転職を考えている方や将来何をしようか迷っている方、子供時代から振りかえってみるのもいいかもしれません。忘れてしまっている"思い"や"情熱"みたいなものが見つかるかもしれませんよ。

ではでは、ここまで読んでいただきありがとうございました!

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