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#1337 恋知り、情け知り、あはれ知り……

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

「早朝に北方諸州遊覧に出発する。ただし結婚申し込みには差支えなし。ぶんせいむ家宰しんぷる宛に申し込むべし」という新聞広告を載せて、ぶんせいむはるびなと六七人のお供を連れて旅行へむかいます。ぶんせいむは、るびなに言います。「どんな婿が来るだろう。圧政のおやじが人の心も知らないで、などと考え込んでるかもしれないが、それはおまえの愚だ……人の一生はみな愉快の生活をしたいというばかりだから、お前とおれとを面白く生活させる男を見付けさえすればよいではないか」。親子はカナダのオンタリオ州コーバーグに着きます。るびなは部屋から出ずにワーズワスの詩集片手に、窓越しから小舟を眺めています。ふと見ると、部屋のかたわらに相思花(forget me not)があります。るびなは言います。「相思花よ……忘れ給うなという花よ……わが胸のうちにひとりせし誓いは、しぼむ花のように果敢ないものか。慈愛深くいぶかしきは父上、愛情深くつれなきはしんじあ様」。そんな時、じゃくそん夫人のちぇりぃから手紙が届きます。「わが夫がしんじあ様よりひとかたならぬお蔭を蒙りたる事と、私があなたから蒙りたる事は同じことでございます。わが夫がしんじあ様に向かってなすべき分量の忠実は、わたしがあなたに向かって尽くすべき忠実の分量と同じでございます。はからずも御父上が非常の広告を新聞紙上に掲げ、その申し込みをなし給えとニ三回しんじあ様に勧告したれども、広告に応じて失敗を買えば清浄なる名を堕とし、警醒の目的にわずらいをなすだろうと恐れています。広告の面に諾否の全権は御父上にありといえども、実際や道理の面で出来難い事でしょう」。ちぇりぃの手紙はさらに続きます。

されば是は父上が應募者[オウボシャ]に對[タイ]して發[ハッ]し給ひし言[コト]にて、貴嬢に對[ムカ]ひても尚専裁政府[センサイセイフ]の如く、壓制[アッセイ]し給はんとにはあらざるべく候。故に貴嬢もし勇気を起[オコ]して、胸中に決し給ふならば、此の廣告[コウコク]はしんじあ様には頼み難き者にはあらずして、有り難き招待状なるべく、圖[ハカ]らざる失敗はなくして、あしからざる成功を得るとなれば、しんじあ様も決して申込[モウシコミ]には躊躇し給ふ事なく候べし。如何[イカガ]思食[オボシメシ]候や。何[イズ]れにも御決心の御勇気を必要と考へ申候、以上。
とあり。讀[ヨミ]過ぐる中[ウチ]、顔の色或[アルイ]は青く或[アルイ]は赤く恨むが如く悦ぶごときは、深くも感動したるなるべし。頓[ヤガ]て手紙をたゝみおさめて、さてもやさしいちゑりい夫婦、戀[コイ]知り情[ナサケ]知り、あはれ知りと、咡[ツブ]やきながら、腕を伸[ノバ]して取り上ぐる、鐵筆[ペン]の運[ハコビ]も遅からず、何やら紙に書き終りて、封じ袋に手早く入れしは、必らずこれの返しなるべく、呼鐘[ヨビガネ]ならして下婢[カヒ]を呼び、
「これを郵便に出させておくれ。」
「はいかしこまりました……それからあの旦那様が、此地[ココ]も最早倦[ア]きたから、明日は立つて、とろんとの方へ行[ユ]くと御云[オイ]ひでしたよ。」

というところで、「第八回」が終了します!

さっそく「第九回」へと移りたいのですが……

それはまた明日、近代でお会いしましょう!

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