それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。
須弥山はどこにあると説法しても、地球儀で遊ぶ少年には荒唐であると笑われ、古代中国の尭と舜の世を講釈しても、進化論をふところに入れた書生には野蛮であると賤しまれます。「卑劣」の心に「傲慢」という鎧を身に着け、仏教の経典は歌舞伎ほど面白からず、聖書の黙示録は『アラビアンナイト』にも劣っていると頭からこなす世の中。学問は進んでいるが、見れば見るほど人情は浅ましい。檄文よりも電信が速く、利剣よりも舌鋒が鋭い今日、アメリカのニューヨークに「しんじあ」という男がいます。額ひろく鼻とおり能弁の唇うるわしく、ようやく30を超えて、金持ちでもなければ貧乏でもない。父母は亡くなったが、ボストン大学で神学を修め、風俗の乱れをいたみ、人情の軽薄を悲しみ、道徳の衰退を正そうと、25の時、警醒演説会を起こし、アメリカの南部や西部をめぐり、舌の先の切れぬばかりに演説し、正しい道を教え、感動しない者はなく、学者は筆でもって助け、富者は金銭を寄せて助けます。今日も演説の日で、町の公堂の男女は耳をそばだてて聞いています。しんじあによると、動物には利害の観念があり、この観念には「肉の利害」と「心の利害」があると言います。
ということで、しんじあの演説の続きは……
また明日、近代でお会いしましょう!