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#1316 人力をもって放下することも瞞着することも出来ぬもの

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

須弥山はどこにあると説法しても、地球儀で遊ぶ少年には荒唐であると笑われ、古代中国の尭と舜の世を講釈しても、進化論をふところに入れた書生には野蛮であると賤しまれます。「卑劣」の心に「傲慢」という鎧を身に着け、仏教の経典は歌舞伎ほど面白からず、聖書の黙示録は『アラビアンナイト』にも劣っていると頭からこなす世の中。学問は進んでいるが、見れば見るほど人情は浅ましい。檄文よりも電信が速く、利剣よりも舌鋒が鋭い今日、アメリカのニューヨークに「しんじあ」という男がいます。額ひろく鼻とおり能弁の唇うるわしく、ようやく30を超えて、金持ちでもなければ貧乏でもない。父母は亡くなったが、ボストン大学で神学を修め、風俗の乱れをいたみ、人情の軽薄を悲しみ、道徳の衰退を正そうと、25の時、警醒演説会を起こし、アメリカの南部や西部をめぐり、舌の先の切れぬばかりに演説し、正しい道を教え、感動しない者はなく、学者は筆でもって助け、富者は金銭を寄せて助けます。今日も演説の日で、町の公堂の男女は耳をそばだてて聞いています。しんじあによると、動物には利害の観念があり、この観念には「肉の利害」と「心の利害」があると言います。

餓[ウエ]を苦[クルシ]んで食をなし渇[カツ]を病んで水を呑むなどゝ云ふことは、即ち肉に就[ツ]いての利害を知ッて鳥獣等[ナド]も爲[ス]る所です。寒[カン]を防ぐ衣を作り、雨を忍ぶ家を立つる等[ナド]の事は、人間が肉に就[ツ]いて利害の観念を有したる結果です。心の利害の観念は、鳥獣に果[ハタ]して有[ア]るかなきかは知りませんが、唯[タダ]人間には十分具[ソナ]はりたるものにて、即ち善をよみし悪を憎むは、此[コノ]作用です。この二つの観念は、神より人間に與[アタ]へられたる者にて、到底[トテモ]人力[ジンリョク]をもつては是を放下[ホウカ]することも、瞞着[マンチャク]することも出来ぬ者で御座ります。若[モ]し虎狼[コロウ]跡を追へば足を飛ばして逃げ、蚊虻[ブンボウ]眼に迫りますれば直[タダチ]に手を以て拂[ハラ]ひます。これ即ち肉に就[ツ]いての利害の観念が非常に敏捷[ビンショウ]に且つ正直[セイチョク]に働く時で御座ります。今[イマ]強[シ]ひて是[コ]の観念を瞞着[マンチャク]し、若しくは放下[ホウカ]して、木偶石像[ボクグウセキゾウ]のごとく虎狼の近づくをも危ぶまず、蚊虻[ブンボウ]の螫[サ]すに任[マ]かせて居[オ]らうとしても、決して出来ることではありません。一歩を假[カ]して能[ヨ]くする者とすれば、吾人[ゴジン]は暫時[ザンジ]にしてまた人間に止[トド]まらざる者となるに相違ありません。然[シカ]し肉に就[ツ]いての利害の観念は鳥獣にもある者ですから、若し人類の目的が、単に肉の上にのみ属する者なりとすれば人類は他[タ]の動物より却[カエ]つて不幸と云はなければなりません。

ということで、しんじあの演説の続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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