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#1355 月に恨みはあらじかな。雲に恨みはあらじかな。

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

9月頃、二三ヶ月の旅行から帰ってきたるびな。はじめの五六日は旅中の談話をして暮らしますが、ちぇりいに託したしんじあへの手紙が返事がふた月経っても返ってこないことが心配になります。静かなある夜、風がヒューという澄み渡る音に……

るび「うろ木を吹く風にしては響[ヒビキ]が少し弱かつたやうだが、草葉にすだく虫の聲よりは強かつたやうだが。」
獨[ヒト]り言[ゴ]つ時、又もやヒュー/\ッと跡はとぎれたり。
るび「又聞えた様だ、……調子があつたやうだが、……あゝあまり色々想ひ屈するので、気の所爲[セイ]で聞えたのだらう。晝間[ヒルマ]讀んだ詩集の中にも、(夢よ、夢よ、あはれの夢よ、汝は何處[イズコ]より来りしや。汝は感覚といへる鋭き風の力弱き時、思想といへる柔らかき土の潤ひ多き所より、幽[カスカ]に咲出[サキイダ]し花なりや。あら美し、あらいたいけなり。さもあらばあれ、情[ナサケ]なき風また吹かば、果敢なかるべき幻の如き香[カ]をのみ、人の胸にのこして、其[ソノ]色は、白雲[シラクモ]の上に吹入れらるゝならんか、其[ソノ]俤[オモカゲ]は、青海[アオウミ]の底にや吹沈[フキシズ]めらるゝならし。)とある通り、妾[ワラワ]は今[イマ]感覚の力が弱くなつて、心許[バカ]り頻りに働いてゐるから、夢路をたどるやうな有様、……夢ではないかしらん、夢と現[ウツツ]の境界かしらん。ヒューヒュウッ。あゝ夢ではない、此方[コッチ]に聞えた。」
と、やをら身を起[オコ]し、力なげに椅子を離れて、窓の外をさし覗けば、月の光り廣庭[ヒロニワ]に充ちて隈なく、眼に障る人もなし。されど可惜[アタラ]しき良き夜[ヨ]と扉を開きて廊下に出[イ]で、石の階子[ハシゴ]徐[シズカ]に下りて、音のする方に歩み行[ユケ]ば、あき風冷[ヒヤヤ]かにおとづれて、千草に亂[ミダ]るゝ白露[シラツユ]の、玉ちり/″\に泣く虫の、聲もすがれてあはれなり。近づく人のありぞとも知らでや尚も吹弄[フキスサ]む笛は小さき者なれど、聲嚠々[リュウリュウ]といと高く、韵[ヒビキ]嫋々[ジョウジョウ]といと妙[タエ]に、腸[ハラワタ]を断つ巴峡[ハキョウ]の猿[サル]子を失ふて叫び、寝覚[ネザメ]悲しき片野の鶉[ウズラ]妻を呼[ヨバ]ふてなくが如し。

湖北省巴東県の巴峡には猿が多く、舟旅で聞くその鳴き声は哀愁をさそったことから、「巴猿[ハエン]」とは哀愁・旅愁のことをいいます。また、雌雄相伴わないで、孤独に離れている鶉のことを「片鶉[カタウズラ]」といいます。

さては心憎きしれもの、顔見たしと、身を屈めて籬[マガキ]より覗けば、此時[コノトキ]全く浮雲掩[オオ]ひて、あたり忽ち薄暗く、實[ゲ]に恨[ウラミ]ある世ともどかしきに、彼方[カナタ]は笛を吹きやめ、二足三足[フタアシミアシ]あるきしけはひして、(眺むれば、いとゝだに、昔の事の忍ばるゝ。陰[クモ]らばくもれ、秋の夜[ヨ]の、月に恨[ウラミ]はあらじな、」打見[ウチミ]れば、いやましに、浮世の事の悟らるゝ。かくさば隠せ、秋の夜[ヨ]の、雲に恨[ウラミ]もあらじな。」風の前には、花おもしろく、雲の間[ヒマ]には月の尊とさ、雲風[クモカゼ]しげき人の世に、戀[コイ]の道こそ微妙[イミジ]けれ。)と朗[ホガ]らかに吟じたる歌の心に通ひてや、雲行き過ぎて空明るく、翻[コボ]るゝ光りにすかし見れば、紛[マゴ]ふ方[カタ]なき其人[ソノヒト]なり。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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