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#1296 これにて『三人妻』読了だぁ!

さて……去年の7月から読んでいた尾崎紅葉の『三人妻』もいよいよ今日で最終回です!

余五郎の死後、3人の妾たちはどうなったのか……それでは早速読んでいきましょう!

(大団円)
紅梅の奸計[カンケイ]やうやく露[アラ]はれたれど、お麻は何も謂はず、涙金[ナミダキン]千円にて暇[イトマ]を出[イダ]しけるに、十日と経たぬ間[ウチ]に、雪村素六[ソロク]の馬車に同乗[アイノリ]せるを見懸けしものあり。
●よもや其[ソレ]は彼女[アノオンナ]ではあるまい、
 女神[ジョシン]の石像[セキゾウ]に魂入[イ]りて、
 むかしの男の夢に通ふ。

紅梅は素六のもとに戻ったんですね。女神の石像とは、かつて余五郎が素六に送った水神の大理石の像のことでしょうね。詳しくは#1144を参照してください。

久しく染井に窮命[キュウメイ]せし女も放生会[ホウジョウエ]にあひけるが、仍[ナオ]無能[ヤクザ]にても可愛男[カアイオトコ]に情[ジョウ]立て〻、菊住と世帯持ちて柳橋に待合[マチアイ]を始めぬ。
●川だちは川で果てるとやら、
 今[イマ]挨拶に出たのがの、
 葛城家の愛妾[アイショウ]お才の方[カタ]。

お才はやはり菊住とよりを戻したんですね。「放生会」とは、供養のために捕らえた魚や鳥などを池や野に放してやる法会のことです。

お艶は誰も然[サ]ぞあるべきと想ひ設けし身となりて、余之助成人[セイジン]の上は、葛城の財産五分の一を譲受[ユズリウ]くべき約束を、今より証書にして之[コレ]を余五郎の遺物[カタミ]と、大気[タイキ]なる後家[ゴケ]の処置[ハカライ]。本家に引取[ヒキト]られて主婦[アルジ]の妹分に遇[アツカ]はれ、毎月[マイゲツ]の墓参[ボサン]には雨の日も車に、乗らぬ志[ココロザシ]を、妾[メカケ]にせしは惜[オシ]き女の鑑[カガミ]と衆[ヒト]の噂しけり。
●然[サリ]とては有髪[ウハツ]の尼[アマ]のしほらしや。
 恋の闇に折られし花も、
 盗人[ヌスビト]の袂[タモト]にかをる。

というところで、これにて『三人妻』完結です!

さて……尾崎紅葉は1891(明治24)年から1892(明治25)年にかけて雑誌『都の花』にて『二人女房』を連載しますが、この小説の中編から言文一致体を試みています。『都の花』といえば、山田美妙と絶縁するきっかけとなった雑誌ですが、美妙が主筆を勤めていたのは1890(明治23)年まで……。美妙に恨みはあれど、雑誌に恨みはなしということで連載を許可したのでしょうか……。しかも、このとき紅葉は、二葉亭四迷の「だ」調、山田美妙の「です」調に対して、「である」調に挑戦しています。しかし、紅葉の「である」調の言文一致体の完成を見ると評価されているのは、1896(明治29)年から読売新聞に連載された『多情多恨』であるといわれています。ということで、明日から『多情多恨』を読んでみようと思っていたのですが……ここで、ふと、気になったのが……この頃、幸田露伴は何をしていたんだろう、ということでして……

そこで、ジグザグした動きになってしまうのですが、今度は、幸田露伴に移って「紅露時代」を眺めてみようと思うのですが……

それに関しては、また明日、近代でお会いしましょう!

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