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#1323 他人の過ちは眼の下にあり、おのれの過ちは背後にあります!

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

恋は盲目の天女とは良い例えで、この情の趣きの美しくして哀れ深く、尊くして面白いのは、霞の中で乙女が遊ぶごとく、苔なめらかなる架け橋を盲者が辿るごとし。恋とは偽りのない心の白絹に描く模様の色々、とても理屈で推せないのが人情。四年程前、しんじあはぶんせいむに招かれて、ぶんせいむの製鉄所で演説したとき、はじめてるびな嬢に会い、美しい乙女だと思い、その後しばしば往来し、慣れるにつけ、ともに昔や今を語り、得難き貴女だとわかりますが、自分はわずかな財産であり、富家の娘と縁など組めば、世の人から欲のためと言われるだろうと苦しく、切ない月日を送ります。その日も演説会でしたが、帰りにじゃくそん君に呼び止められ、馬車に乗って、しんじあの自宅に向かいます。客室に伴い、しんじあが座るのを待ち、じゃくそんは「はなはだ唐突のことですが……」と言います。しんじあは答えます。「何です?」「聖書のことについてご質問を致したくて……アダムもイヴも神が作りなさったものでしょう?それならアダムとイヴは互いに敬し愛し、道の友となり助けるのは当然ですか?」「たしかにその通りです」「アダムは男女の始まりですから、こんにちの子孫の男女も同じ道理ですか?」「さようです」「しんじあ君は男子です。君が教えて下さった三段推理式に照らすなら、君は妻を迎えたまえ!君は娶らなくてはなりません!」さらに、じゃくそんは続けます。

「いくらお考へなすつても、是を論破することは出来ますまい。僕が今、君にすゝめていふ所の女子は、君も豫[カネ]て屡々[シバシバ]其の温厚の婦徳[フトク]と、優美の性質とを賞賛した所のるびな令嬢。」
「偖[サテ]は新聞の廣告[コウコク]は。」
「全く事實です。最初は僕も疑ひましたが、人の判定を聞きしのみならず、ご存知の通り僕の妻[サイ]は元はぶんせいむ家に居たものですから、これに問ひ探らせましたに、全く事實ですから、今日[コンニチ]態々[ワザワザ]君に勧めにまゐつたのです。」
頻[シキ]りに説けども、しんじあは椅子の中[ウチ]に身を沈めて、語[コトバ]もなし。じやくそんは、性急なれば、禮義[レイギ]も漸[ヨウヤ]く忘れて、左の拳[コブシ]にて卓子[テエブル]を叩き、
「君の知る所の婦人の中[ウチ]に尤も静淑[セイシュク]で端麗なのはるびな令嬢で、余[ワタクシ]の知る所の紳士の中[ウチ]に尤も方正で秀英[シュウエイ]なのは君です。予[ワタクシ]の眼で見れば、天上の戸籍帳には既に一對[イッツイ]の夫婦と注文になッてゐるやうです。」
「君は人を強[シ]ひるのをやめ給へ。」
「否々[イヤイヤ]強ひるのではありませんが、君が千歳一遇の好機會[コウキカイ]に逢ひながら之を夫[ウシナ]ふのを恐れるのです。機會[キカイ]は前額[ゼンカク]に毛ありて後頂[コウチョウ]は禿[トク]なり、迎へて取れば兒童[ジドウ]も捉[トラ]ふべく、失ひて追はヾじュぴたアも及ばずと云ふこともあるのに、何故[ナニユエ]君は躊躇して後[ウシロ]から之を追はうと爲[ナ]さる。他[ヒト]の過[アヤマチ]は眼の下に在りて、己[オノレ]の過[アヤマチ]は背後[ウシロ]にあります。何ゆゑ君は僕の眼をかりて君の背を御らんなさらぬのですか。僕は強[シ]ひるのではありませんが、君の爲[タメ]に計るに、宜しく決断してぶんせいむ家へ申込[モウシコミ]をなさい。」

ジュピターはローマ神話の最高神ユピテルの英語名でギリシャ神話の最高神ゼウスのことです。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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