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#1336 小を捨て大を取るは当然のこと

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

「早朝に北方諸州遊覧に出発する。ただし結婚申し込みには差支えなし。ぶんせいむ家宰しんぷる宛に申し込むべし」という新聞広告を載せて、ぶんせいむはるびなと六七人のお供を連れて旅行へむかいます。ぶんせいむは、るびなに言います。「どんな婿が来るだろう。圧政のおやじが人の心も知らないで、などと考え込んでるかもしれないが、それはおまえの愚だ……人の一生はみな愉快の生活をしたいというばかりだから、お前とおれとを面白く生活させる男を見付けさえすればよいではないか」。親子はカナダのオンタリオ州コーバーグに着きます。るびなは部屋から出ずにワーズワスの詩集片手に、窓越しから小舟を眺めています。ふと見ると、部屋のかたわらに相思花(forget me not)があります。るびなは言います。「相思花よ……忘れ給うなという花よ……わが胸のうちにひとりせし誓いは、しぼむ花のように果敢ないものか。慈愛深くいぶかしきは父上、愛情深くつれなきはしんじあ様」。そんな時、じゃくそん夫人のちぇりぃから手紙が届きます。「わが夫がしんじあ様よりひとかたならぬお蔭を蒙りたる事と、私があなたから蒙りたる事は同じことでございます。わが夫がしんじあ様に向かってなすべき分量の忠実は、わたしがあなたに向かって尽くすべき忠実の分量と同じでございます。」ちぇりぃの手紙が続きます。

然るに吾夫[ワガツマ]はしんじあ様が貴嬢を、深く敬愛して戀慕[レンボ](貴嬢も悟り給はずとは云ひ難かるべき)に沈み給へる事を知り居[オ]り候[ソウロウ]故[ユエ]早晩此の事に付[ツキ]て、しんじあ様の發言[ハツゴン]し給ふ時あらば、十分力を盡[ツク]して奔走せんと覚悟し居[オ]り候[ソウロウ]間[マ]に、圖[ハカ]らずも御父上が、非常の廣告[コウコク]を新聞紙上に掲げ給ふに及び、即ち其の申込[モウシコミ]をなし給へと、ニ三回のみならず勧告したれども、これに應[オウ]じ給ふの勇気なきは、頼まれぬ廣告[コウコク]に應じて計らざる失敗を買はヾ清浄[ショウジョウ]なる名を墜[オト]し、畢[ツイ]に警醒[ケイセイ]の大目的に累[ワズライ]をなさん事を恐れ給ふ故なるべし。然し教化に属する事と、戀慕[レンボ]に付[ツイ]ての事とは全く大小の差別之[コレ]あり候事なれば、彼を取らば之を危[アヤウ]くし此[コレ]を取らば彼を危[アヤウ]くするといふごとき場合には、高明[コウメイ]の信日亜[シンジア]様が悲切[ヒセツ]の感情を忍びて、小を捨て大を取り給ふは、當然[トウゼン]の事に付き、貴嬢も是[コレ]を満足し感服し給はねばならずと、吾夫[ワガツマ]は申居[モウシオ]り候へ共[ドモ]、扨[サ]て妾[ショウ]が貴嬢に對[タイ]する忠實は未[イマ]だ足らずと存じ候。過日[カジツ]はしんじあ君を御連れ申[モウス]べくと申居[モウシオリ]候[ソロ]處[トコロ]、突然今日[コンニチ]の如く遠隔仕[ツカマツ]り候。然し貴嬢がしんじあ様に對[ムカ]つての感情希望は、明[アキラ]かに相見え候に付[ツキ]、種々相考[アイカンガエ]申候[モウシソロ]處[トコロ]、廣告[コウコク]の面に諾否[ダクヒ]の全権は予[ヨ]にありと候へ共[ドモ]、實際よりも道理よりも出来難き事なるべし、假令[タトエ]ば黒奴[コクド]を父上が撰び定め給ふとも、貴嬢は到底父上の命[メイ]には従ひ給はざるべし。

ということで、ちぇりぃの手紙の続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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