#1311 暁天の白薔薇とはよく評したり
それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。
ぶんせいむが出した娘の婿募集の広告の不思議さは、電報や郵便でたちまち広がり、三人寄れば「君は申し込まれたか」と問い返すほどの事。新聞の売れ高は大統領選挙を書いた時より二倍三倍のよし。なかには、偽りか誠かと社説で論じる小新聞もあります。広告を載せた新聞社の門前には来客の山。社員が昨夜、ぶんせいむのもとを訪れ、申し込みの人数を尋ねると、わずか百名に過ぎないと不満気に答えます。世の人が申し込みに躊躇するのは、広告の内容の覚悟と主意、それが誠意から出たものか滑稽から出たものか断言できないからであり、そこで、ぶんせいむの性質行為を報じ、世の人が判定を下す材料にしようとします。ぶんせいむは1817年にポーツマス港の町外れの荒屋で生まれます。母は出産が原因で亡くなり、父は波止場の人足になるがどうしようもないため、隣家の老婆に託しますが、その老婆も5歳のときに亡くなります。6歳のときに小学校に入りますが、算術と体操遊戯を学ぶのみで、教師を困らせます。12歳のとき父と海岸を歩いているとき、大船が停泊しているのを見て、誰の所有かと聞くと、父はピーエー会社のものだと答えます。その右の船も左の船もピーエー会社だと答えます。同じ所有主であることを聞き、茫然として父を見ると、みすぼらしい服を着て、なにも所持していないその姿に涙ぐみ、ぶんせいむはピーエー会社の旗を睨み、拳を握り唇を嚙み、低く太き呻り声を発します。翌日、父の枕辺に「我は三艘の大船を率いて帰りくる。父よ暫く待ち給え」という手紙を残して船に乗り込みます。それから7年後、200ポンドの金とともに「我は東インド会社の機関士となりて、月に40ポンドを得ている。願わくば数年待ち給え」という手紙を父に送ります。ぶんせいむは船を150ポンドで買い取り、好結果を出し、さらに船を買い増し人を雇い、捕鯨船隊を組み、4年程経て7艘の船を所有し、ポーツマスに帰り、10年の時を超えて父と再会します。ぶんせいむは45万ドルで船舶器具一切を売却し、あらたに亜濠貿易隊なるものを組み、アジア・オーストラリア間の交易を成し利益を得ますが、33歳のときに父が亡くなり、その翌年、妻を娶ります。資金が増えるに従って、鉄道、造船所、製鉄所を作り、鉱山を採掘し、綿を紡績し、ますます富を重ね、51歳にして娘を得ます。56歳のとき妻と死別しますが、2億以上の財産家となります。ある夜、公園を散歩しているとき、フルートを吹いている少年に出会い、曲が終わった時に、願わくばもう一曲と請うと、少年は微笑して「我はフルートの音を売る者にあらず」と答えます。
というところで「第三回」が終了します。
さっそく「第四回」へと移りたいのですが……
それはまた明日、近代でお会いしましょう!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?