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#1330 世の中の多くの夫婦がなぜ不幸に終わるのか

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

青木よき程に茂って、暑さも小川の水泡とともに流れ去る景色。庭には、イタリア製の寒水石の大亀の噴水、蔓草をからませて屋根としたる東屋、ここは5万坪の広大なぶんせいむの下屋敷。戸の外からじやくそん夫人がるびな嬢に声をかけます。「お嬢様、蒸しますのにご書見ですか」「絵を描いていたのさ」「墨絵の枯木に鳥ですか」「枯木ではないよ。新橋色という顔料で葉が描いてあるのだよ。高窓の日除けがただの白い紗じゃ面白くないから何か描いてみろとお父様がおっしゃるから、これを明日掛けておくのだよ。そこの高窓は西だから夕日がきらきらすると、熱を感じて、葉が青く現れて、日が没すればまた白くなってしまうのよ」「それだからしんじあ様の真似をして、うちの夫までが妙慧だの優美だのとあなたを褒めていますわ」「からかってはいやよ」「しんじあ様は、世間の婦人がこの令嬢のようであったら、自分が口をたたかずとも、平和と清浄の世界ができるだろうとおっしゃりますよ」「うそうそ、しかし世間の紳士が皆しんじあ様のようであったら平和と清浄の世界ができるだろうよ」「おやおや似た者夫婦ですかね」「しかしあの広告の一件、どうした事でござります……ぶんせいむ様のお心も豪気すぎるようです」「わたしなんぞに知れるものかね」

「ほんとに人の心は知れないものですよ。蛇は蜈蚣[ムカデ]の足しらず、蜈蚣は蛇の腹しらずと申しまして、……ですから、御父[オトッ]さんだつて、貴嬢[アナタ]の胸の中[ウチ]に何と思[オモッ]て入らッしやるか、しれません。あまりといへば壓制[アッセイ]な爲[ナ]され方[カタ]、なんだかさつぱり妾[ワタシ]には譯[ワケ]が分[ワカ]りません。丁度熱に遇[アワ]ない有感顔料[シンパジチックインキ]のやうですわ」。
「妾[ワタシ]にも御父[オトッ]さんの心は分[ワカ]らないよ」。
「それでは定[サダメ]し御心配でせうが、……古木はよく焚[モ]え、古葡萄酒[コブドウシュ]はよく飲めるとやらですから、一寸[チョット]其[ソノ]廣告[コウコク]を出さぬ前の様子を御話しなすつて御覧なすつたら、あなたに御分[オワカ]りのない事も妾[ワタシ]には年の功で分[ワカ]るかもしれませんから、御隠しなさらずに」。
「なる程、おまへに聞[キイ]たら宜[イ]い分別もあるかも知れないね。あの廣告[コウコク]を新聞に出した前の日の夜[ヨ]、御父[オトッ]さんが、妾[ワタシ]としんぷる夫婦を御呼[オヨビ]なすつてね、……まづしんぷる夫婦に向[ムカッ]て、『おれも七十の餘[ヨ]、娘は十九の若盛[ワカザカ]り。よい婿取[トッ]て老楽[オイラク]としたいが、宜[ヨ]からうか、まだ早過[ハヤスギ]るか』との御尋[オタズネ]さ。夫婦は、誠に御尤[ゴモットモ]ですと答へたので妾[ワタシ]に、『おまへはどうか』と仰[オッシ]やるから、はいと云つたのさ」。
「へえ」。
「すると、御父[オトッ]さんが、『世の中の夫婦の姻縁[インエン]を定[サダム]る者を見るに、多[オオク]は容貌とか、気質とか、財産才學とかの有無美醜[ウムビシュウ]を標準として、互[タガイ]に擇[エラ]ぶが、是[コレ]は唯[タ]だわれの嗜欲好尚[シヨクコウショウ]を満足させるのを目的としてするのだから、やゝもすれば、嗜欲好尚に満足を得ざるのみならず、他[タ]の點[テン]で大[オオイ]に不満足の事を見出して、遂に不幸の生活に五十年を終[オワ]る、……また一ツは人を看破する眼力[ガンリキ]のない者が、没[ミダリ]に目前[モクゼン]の事に眩[クラ]んで忽[タチマ]ち撰定[センテイ]するからだと思ふがどうだ』と仰[オッシ]やるから、しんぷる夫婦も、妾[ワタシ]も、御道理[オドウリ]ですと答へたのさ」。
「なる程」。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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