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映画感想 マトリックス レボリューションズ

前作

 『マトリックス』シリーズ3作目。ついに人間対機械の戦いが終結!
 『マトリックス レボリューションズ』の劇場公開は2003年11月5日。前作からわずか半年後。もともと2部作という前提で制作が進められていたために同時撮影、制作も同時進行だった。それで、『リローデッド』のラストに『レボリューションズ』の予告編を入れることも可能だった。
 劇場公開は日米完全同日公開。前作もそうだったが、これもウォシャウスキー監督により日本に対するリスペクトから。完全に同日公開だったから、劇場公開までにネタバレは一切無し。完結編がどんな終幕を迎えるのか、誰もが心待ちにしていた。
 制作費は1億5000万ドル。それに対して世界興行収入は……4億2498万ドル。実はシリーズで一番興行収入が低い。(でもちゃんと黒字を出している)
 というのも完結編『レボリューションズ』は賛否両論。「結局どういうことだったの?」「説明を放棄してないか?」と――これまで語られていた謎めいた部分が完結編において説明してくれると期待されていた。ところが『レボリューションズ』は全編アクションに次ぐアクション……という感じで、いったい何が語られているのか、何が表現されているのかよくわからない。ラストシーンを見ても「どうしてそうなった?」という意見が多数。「よくわからない作品」としてあまり評価もされない作品となってしまった。

 あの時代を騒がせた作品『マトリックス』とはなんだったのか……。劇場公開から20年の時を経ているから、もうそろそろネタバレで話をしても構わないだろう。今回、ラストまで全編解説だ。

前半30分のストーリー

 ではいつもの通り、前半30分のストーリーを見てみよう。

 まずオープニング。黒バックに緑の文字という「マトリックスコード」が流れるいつものオープニング。それがぐぐっとクローズアップして、黄金色の爆発が起き、不思議な図表が現れる。
 この図表は「フラクタル」と呼ばれるもので、フランスの数学者ブノワ・マンデルブロが考案した「数学的に美しい図表」である。このフラクタルは図表を「無限ループさせられる」という特徴を持っている。
 爆発が起きて黄金色のフラクタルが現れる……ということは、これからマトリックス世界に革命が起きますよ……ということが表現される。何かしらが起きて、新しい、「美しい規律」が現れますよ……という予告をしている場面である。

 問題なのはその後に現れる謎の図表。これがわからない。かなり意味深な描写の仕方なので、無意味な記号であるはずがない。
 わからないが、こういった場面で表現されそうなもの……から考えると「ネオ」を示したサインだと思うのだが……。

 それはさておき、前作のラスト、ネオはセンチネルをビシビシバッシィをやって撃退をした後、昏睡状態に落ちる。その脳波は、なぜかマトリックス世界に侵入している時の脳波を示していた。
 実際はネオはマトリックス世界の中でも、「機械とマトリックス世界の中間位置」に落ちてしまう。メロビンジアンの領域なので、あたかもメロビンジアンに幽閉されたみたいな感じになっているが、実はネオ自身でやってきた。それがたまたまメロビンジアンの支配領域だったので、そのまんま幽閉されちゃった……という状況だ。

 前作のラスト、アーキテクトは2つの選択肢を示した。1つはネオ自身が新しいマトリックスコードとなり、その代わりにザイオンは半壊するが復興の機会を与えてやろうというもの。
 もう1つはザイオンは崩壊するが、トリニティを救えるかもしれない……という選択肢。
 ザイオンかトリニティ1人か。
 ネオの前に5人の前任者がいて、その5人は全員ザイオンの未来を選び取った。たった1人ではなくより多くの人を救う。そう考えるのが「合理的思考」だ。アーキテクトの視点ではこれが「合理的」。だが、6人目の救世主たるネオは、「愛」という感情に囚われて、たった1人を救えるかも……という未来を選んでしまった。
 ネオは誤った選択をしてしまったのか? ネオの間違えた選択でザイオンは滅びるのか……?
 これが第3部の始まりのお話となるもの。
 ただ、第2部のラスト、ネオは死亡したトリニティを蘇生させるという奇跡を見せた。
 ここから読めるものが2つ。
 1つには、「ザイオンの未来」を選んだ場合、救世主の役目はそこで終了。ネオはマトリックスの新しいコードとなり、消滅する。ネオは救世主としての役目を終えるので死亡。
 しかしもしもそれ以外の道を選んでいたら……が今回のお話。もしもネオの超人としての力がそこで終了せず、さらなる局面を見せるフェーズに入ったら……? それがトリニティの復活のシーンに現れている。
 マトリックス世界において人間の死は精神的死であって、マトリックス世界でいかに心肺蘇生法なんぞやっても効果はない。現実世界のトリニティに対して心臓マッサージするのはアリかもしれないが、マトリックス世界でやっても意味がない。でもネオは蘇生させてしまった。これは奇跡のようなものだった。
 『マトリックス』の世界観に「キリスト教」があるのはすぐにわかることだが、キリスト教の中で人間を復活させられる者といえば、救世主イエス・キリスト。それをネオが達成してしまった……ということでやはりネオこそが救世主だ、と証明される。
(もしも救世主以外の誰かが、奇跡を実践したらそれは「悪しき魔術」とされてしまう)
 もう一つは、ネオは意識の半分がマトリックスに残留するという不思議な感覚を身につけるようになった。プラグと繋がず、マトリックス世界に侵入できるようになった。ネオは電脳世界マトリックスの唯一のチートプレイヤーなので、そちらの世界から何かしら干渉し、センチネルを活動停止させる……ということができるようになったのかもしれない。
 そこで「機械世界とマトリックスの中間位置」にやってきちゃった……。もうちょっと向こうへ行けば、ネオは機械の構造に直接関与できるようになる。そこからセンチネルを動かしている何かしらに直接働きかけを行った。だからセンチネルを停止させられた……のかも知れない。
 意識が半分マトリックスに残留してその視点で物事を捉えられるようになったから、ベインの体内にいるスミスの姿が見えるし、その電源の行方を追いかけて、根源たるデウス・エキス・マキナがいる場所を特定することができた。
 というこれも、単なる推測。作中で説明されたわけではない。
 ネオはマトリックス世界において超人的なパワーを身につけたが、それはあくまでも電脳世界での話。それが第3部に入り、現実世界においても超人的なパワーを発揮するようになった。これがなぜなのか……という説明は最後までなされなかった。
 どうしてこの肝心の部分が解説されなかったのか? こんだけ説明過多の作品なのに?
 理由の1つ目は、ネオの最終的なパワーについて「神秘的なもの」として感じて欲しいから、あえて説明の付かないもの……としたのだろう。説明を付けようとしたらできるはずだけど、あえてやらなかった。説明を付けちゃったら、それは「神秘のパワー」ではなくなるので、あえて説明を省いた。
 もう一つは、その世界観において前例のないことだから、説明できる人間がいなかった。預言者もアーキテクトも知らない。作中の当事者が知らないことをネオが始めていたから、誰も説明できなかった……かも知れない。

 本編のお話に戻ろう。

 マトリックス世界からセラフが電話をしてきた。「預言者と会ってくれ」と。

 預言者に会いに行くと、姿が変わっている。これはどういうことかというと、演じていた役者が急死してしまったから。急遽代役を充てることになってしまった。
 シナリオもちょっと変更されていて、姿が変わった理由について、「あなたを助け、ネオを導」いたから……という説明を入れている。ネオを助けたことによって、結果的にマトリックス世界の誰かに狙われる存在になってしまう……ということだろう。
 別のシーンだが、セラフとメロビンジアンが描かれていないところでバトルをやった……みたいに読み取れる台詞が出てくる。こういうところに関連があるのかもしれない。
(この辺りの説明は、急な脚本変更だったらしく、どうにも中途半端な感じになっている)

 とにかくも、ネオは「機械の世界とマトリックスの境界」となる場所に閉じ込められてしまった。
 その境界となる場所も非合法の場所で、トレインマンというプログラムでしか入ることができない。トレインマンを見つけ出す……ということが次のミッションとなった。

 そのネオだが、境界の世界である駅に閉じ込められる。
 駅名「AVE」は「アベニュー」と読む。意味は単純にして「通り」。
 駅は物語的な文脈として「境界」という意味がある。どこかへ行く場所、どこかへ戻る場所。『シン・エヴァンゲリオン』の村が駅を中心に描かれていたのは、あそこが碇シンジという人物における転機になる場所だから。人間として再生の意味もあるし、またラストシーンで現実へと渡る場所として描かれていた。
 その駅に幽閉されてしまったので、ネオはどこにも行けなくなってしまった。

 そこに同じく幽閉されていたのがインド人家族。
 第2作目でメロビンジアンのいるレストランのシーンで、ちらっと顔見せしたあの人だ。
 このインド人家族も、本来不要なプログラム。エグザイルと呼ばれる人達。ところがこのプログラム夫婦は「愛」という感情に目覚めて、サティーという少女を生み出してしまった。
 プログラムが愛を語るのは……?
「ただの言葉です。大切なのは言葉が現す“関係”です。愛する人がいますね。その人を守るために、何をします?」

 物語の文脈的に、こういう人は主人公が進むべき道をすでに発見している人。主人公に対して進むべき指標を示している。
 とどのつまり、『マトリックス』は第1作目から『愛』を至上のテーマとして置いている。
 第1作目はトリニティが愛した相手が救世主になった。第2作目はネオによるトリニティへの愛が選択の根拠だった。愛に基づく決断が、合理的帰結を越えた「奇跡」を生み出していた。ネオの覚醒も、トリニティの復活も……。愛を選択肢に選んだことによって、驚くべきことが起きている。さて3作目は……。
 とすべて選択肢の根拠を「愛」に求めていた。そして次の選択肢も必ずそうなる……ということを示唆している。

 インド人は「運命の言葉です。愛のように。言い換えれば“ここにいる意味です”」と語る。愛を選択したからここにいる。選択した理由と結果が示されている。非情な結末があったとしても、それは運命であるから受け入れられる……。

 一方、トリニティたちはメロビンジアンのいるクラブに突撃する。
 場所は地下。地下というとは「黄泉の世界」を現していて、わざわざそこに行くということは、『日本書紀』における黄泉の国に落ちたイザナミを救いに行こうとするイザナギ。あるいはギリシャ神話の、死んだ妻を救い出すために冥界へ行くオルフェウスのようなお話として描かれている。『マトリックス』は神話や童話が物語のベースに置いているので、こういう場面描写も神話がモチーフになっている。なのでここは、「死んだネオを救い出すために冥界に行くお話」と捉えられることができる。

 ここでもとりあえずドンパチをやるのだが……。ここのアクションがあまり面白くない。第1作目の焼き直し。たいしたバージョンアップもされていない。敵が地上、天井を自由に行き来するのは面白いが、そこまで映像的な面白味に繋がっていないのが残念。天井に移って攻撃しても、さほど意味もないしで……。

 バトルシーンを越えてクラブ突入。見ていると、同性愛者が一杯。同性愛はキリスト教的にはタブー。悪魔/冥界の世界を表現しているので、全員がそのタブーを犯しているというふうに描かれている。
 また、ちらっと監督の願望が表れている。ウォシャウスキー監督は女性になって(実際に性転換した)レズビアンの関係を持ちたい……という願望の持ち主なので、こういうところで自身の願望がちらと現れている。
(本当か嘘かわからない噂話だが、ウォシャウスキー兄弟は女装してSMクラブにもよく通っていたとか……。本当だとすれば、ウォシャウスキー兄弟にとって、わりと馴染みある光景が描かれているといえる)
 メロビンジアンと対面して、「占い師は新しい体を見付けたようだな」と語られる。やはり預言者の姿が変わったのはメロビンジアンが関わっているらしい。
 メロビンジアンはネオを返してもいいが……と取引を持ちかける。要求したのは「預言者の目」だが……トリニティが取引の場を引っかき回し、「ネオを渡すか、この場で死ぬか」と取引の内容を変更してしまう。
 これも「愛」ゆえの行動。しかしプログラムにはその愛ゆえの行動が「狂気の沙汰」にしか見えない。
 アーキテクトもネオが「ザイオン」ではなく「トリニティ」たった1人を救おうとしたことが狂気にしか見えない。機械の視点では「愛」は合理性に欠けるどころか、「狂気の沙汰」にしか映らない。これが人間と機械の差異として表現されている。

 ここのシーンに2つの引っ掛かりがある。
 1つ目はトレインマン。クラブにはトレインマンがいて、編集でちらちらと顔のクローズアップが出てくるのだけど、どの位置にいるのかよくわからない。
 いったいトレインマンはどの位置にいるのだろう? 映像をよくよく確認してみると、トリニティたち3人とメロビンジアンの中間位置にある、3人ソファに座っている。
 でもこれ、映像を繰り返し見て、画面を止めてようやく気付いたもの。最初は「クローズアップでは出てくるけど、どこにいるんだ?」と思った。まるで「あとで編集でトレインマン足した」みたいな描かれ方をしている。説明的なカットがないので、それぞれの立ち位置がわかりづらくなっている。
 もう1つの引っ掛かりは、このシーンを最後にメロビンジアンが出てこなくなったこと。退場のさせ方としては中途半端。この後、メロビンジアンたちはスミスの襲撃に遭い、「全員スミス化」したはずだけど、そこで起きたバトルシーンも描き込んで欲しかった。

 そんな過程を経て、やっとこさネオ救出!

 ネオは現実世界に戻らず、ひとまず預言者に会いに行きたい……と提案する。
 その預言者の家に行くと、クッキーはまだ作りかけ。クッキーを作っていたのは間もなくネオが来ることを予見していたからだけど、それが完成する前にネオが到着してしまった。これは預言者でも予測しきれないことが起きている……ということを示している。
 もう一つ、構図。場所は第1作目と同じ台所が描かれているのだが、第1作目の時は預言者とネオ、2人の領域がくっきり切り分けられるような描かれ方をしていて、2人が同時に映っている構図がほぼなかった。今作では2人が同時に映っている構図が出てくる。これはネオと預言者が同じ立ち位置になったことを示している。
 ネオは「なんで言ってくれへんねん」と問いかけるが、預言者は「まだその時ちゃうかったんや」と答える。その知るタイミングとはネオ自身。ネオ自身の理解がなければ知っても意味がない。
(第2作目の未来視がそうだけど、未来を知ることができても、意味がわかっていなければ選択のしようがない。選択のしようがなければ、それ以上の未来も見えない)
 ネオはこれから何が起きるかを知りたいが、預言者は教えてくれない。
 事態はアーキテクトが想定していない方向へ進み始めている。コンピューターの思い描く未来予測を超えた世界へと進もうとしている。だから誰も何が起きるかわからない。それを知るためには、ネオが自身の運命を知ることにある。
 とにかくもネオの力は「マトリックス世界だけのもの」からさらなる進化を遂げようとしている。しかし、最終的にはその力の根源たる場所に戻っていく。
 これからどこへ行くべきか……それを知っているのはネオ自身のみ。これからのネオは、自分で思い描いた未来を辿って進むことになってしまった。自分の頭の中で未来予測して、その未来予測通りの行動を取る……という変な状況になってしまう。

 ここまでで30分。

中盤60分までのストーリー

 ネオが去った後、入れ違いにスミスが預言者の元に現れる。
 このシーンの構図を見ると、ネオと預言者と向き合っていた時と構図が逆。ネオとスミスが対の存在であるということ、またネオと預言者の時と違って緊張の構図であることが示されている。
 対話になるが、スミスは預言者に対して「ママ」と言う場面が2回ある。この「ママ」と言ったスミスは、元がサティーだったもの。サティーと預言者は親子関係じゃないけれど……元がサティーだとわかるようにこう言わせたのだろう。
 で、スミスは預言者の体を乗っ取る。未来視の力を得た最強のスミスがここに誕生するのだった。

 ここからマトリックスコードがおかしくなる。なんとなくバグったふうになる。これは電脳世界でスミスが大増殖をしているから。
 マトリックスコードがおかしくなっている場面を見せて、「何かしら異変が起きた」ことを伝えているのだが、ここもわかりづらいところ。
 ここから以降、マトリックス世界の描写が完全になくなり、ザイオン周辺の風景が中心に描かれるようになる。するとみんなマトリックスのことを忘れてしまう。あの世界で起きている異常事態がどうにもわかりづらい……というのが引っ掛かりどころだ。

 現実世界ではネオが目覚め、ベインも覚醒した。
 ベインは先の戦闘について何も覚えていない……と語る。
 この辺りは映画を観たまんまなんで、特に解説するものはない。

 ここからしばらくザイオンのシーンが描かれる。会議室での対話が描かれ、砲弾を作り続けるジーが描かれ、ミフネ隊長とキッドのやりとりが描かれる。この辺りは退屈な描写なんで、サクッと飛ばしちゃってもいいだろう。
 ただ、「こっちはこんなに丁寧にそれぞれのキャラクターを描いたのにな……」とは思う。第3部に入り、マトリックス世界のできごとや、ネオの心理内で起きたことがほとんど描写されなくなってしまった。このバランスの悪さが引っ掛かる。

 モーフィアスたちは機能停止に陥っているロゴス号を発見。乗組員たちは全員無事。どうやらEMP(電子パルス)を発動してセンチネルを撃退し、そのまま動けなくなっていたようだった。
 ロゴス号に電力供給して復帰。
 ロゴス号、ハンマー号はともにザイオン帰還への道を探るが……その時、ネオが「マシンシティに行きたい」から船を一隻欲しいと言い出し始める。ネオは未来視して、自分がマシンシティに行く未来を視た。それが自分の運命と悟り、そこへ行くことを決めてしまった。
 この辺り、根拠の示し方がかなり不思議。ネオの自由意志ではなく、「未来視したらそこに行こうとしている自分がいたから行く」という動機で行くことを決めている。とにかくもそこが運命の行き着く場所……とネオは悟り、行くことを決める。
 ここが本作のわかりづらくなっているところ。「なぜネオがマシンシティに行くことになったのか?」この動機がわかりづらく、だからどことなくこの展開に盛り上がりを感じなくなってしまっている。
 ネオが神秘的な存在になりつつある……ということを表現するために、あえて説明が省かれてしまっている。
 その話を聞いて、ナイオビは迷わずロゴス号を明け渡す。それこそがナイオビが預言者から与えられた使命だと直感したからだった。
 「ロゴス」という言葉だが、意味を検索してみると、「キリスト教において神の言葉。またそれが形を取って現れた三位一体の第2位格であるキリストのこと」と書かれている。「ロゴス」号と名付けられた時点で、もう最終的にネオが乗ることが確定していたのだ。

 ハンマー号はザイオン帰還を目指し、ロゴス号はマシンシティを目指して出発する。
 が、ロゴス号にはベインが乗っていた!
 ネオが現実世界において超人的パワーを発揮し始めたように、スミスも現実世界に出現するようになってしまう。これがネオとスミスを取り巻く現象、電脳世界にとどまらず現実世界に干渉していっている状況を現している。
 そのベイン=スミスの攻撃でネオは目を負傷する。ネオは盲目となってしまうが、しかし一方で通常の視覚では見えないものが見え始まる。今まではチラチラとしか見えなかったものが、克明に見えるようになる。ベインの中にいるスミスも、ネオの視点でははっきり見えるようになった。
 このスミスだけど、精神世界でもサングラスをかけている姿にちょっと笑えてしまう。

 このベイン=スミスとの戦いを終えて、映画は中間地点に達する。

中盤から結末まで ネタバレあり!

 お話はしばらくザイオンが中心になる。
 いよいよザイオンの天井が掘削機によって開かれ、大量のセンチネルが侵入してくる。ザイオンのパワードスーツAPUが抗戦。大激戦となる。
 ここのシーンで面白いのは、APUの弾丸が無限ではないこと。定期的に弾丸の補充をしなくてはならない。ここでキッドとミフネ隊長との交流が生まれる。うまい仕掛けだ。

 この中盤以降25分にもなる長いバトルシーンが描かれるのだが、困ったことはこの場面が『マトリックス レボリューションズ』における最大の盛り上がりどころになってしまったこと。しかもメインの主人公たちであるネオやトリニティが登場しない。
 『マトリックス リローデッド』にもネオが登場しない盛り上がりところとしてハイウェイのバトルシーンがあったのだけど、第3部のザイオン攻防戦はトリニティやモーフィアスといったキャラクター達も登場しない。出てくるのは全員脇役。メインがいないところで大盛り上がりしちゃった。
 一方のネオとトリニティは単身マシンシティを目指すのだが、ここへ至る動機がわかりづらく、いまいち盛り上がれない……というのが引っ掛かりどころ。
 ここを最大の盛り上がりどころにして良かったのだろうか……とシーンの作りに「?」が浮かぶ場面。

 ザイオン攻防戦は、ハンマー号が突撃し、EMP発動したことによって乗り切る。しかし次なるセンチネルの軍団が迫るのだった……。

 一方、ロゴス号はマシンシティを目指す。大量のセンチネルが射出され、ネオの神通力では対処しきれない。そこで空を厚く覆っている雲の中を突撃。雲の中は絶えず電撃が飛び交っているので、それでセンチネルを撃退する。が、ロゴス号も電源が飛んでしまった。
 ロゴス号は雲を突き抜けて、空へ……。トリニティは一瞬現れた明るい空に感動する。トリニティにとって生まれてから初めて見る青空だった。
 ロゴス号は電源が落ちた状態のまま転落する。そのまま地面に激突……という直前に電源が復帰。どうにか目の前の施設に突っ込んで停止する。
 だがそこでトリニティが死んでしまう。

 ネオはいよいよ一人きりになって、マシンシティの中を進んで行く。マシンシティの長、デウス・エキス・マキナ(「機械仕掛けの神」の意)と対面する。
 ネオは電脳世界で神たるアーキテクトと対面したが、今度は現実世界における神と対面する……という構図となる。さらなる上位存在と向き合う構図となる。要するに「お前に言ってもしょーがないから社長出せ!」と直訴に来た人……という構図だ。
 ネオはデウス・エキス・マキナに対して取引を申し出る。
「お前さん、マトリックス世界がサングラスのにわかハゲに占領されてヤベーんやろ。俺がいっちょ片してやるわ。その代わり人間の生存認めてやー」
 と要約するとだいたい上のような取引を申し出る。

 で、電脳世界に入っていくと、マトリックス世界はヤベーくらいにスミスだらけになっていた。マトリックスコードがバグってるふうになったのはこれが原因。
 スミスだらけになってしまった世界で、ネオは宿命的な対決を挑むのだが……。
 何が残念って、この場面が『マトリックス レボリューションズ』の最終的なドラマにあまり見えないこと。ザイオン攻防戦が一番の盛り上がりどころになっていて、ネオ対スミスのドラマが背景に追いやられてしまった。
 というのも、ここに至るまでの経緯が途中から見えなくなってしまった。ザイオン攻防戦は脇役たちのそこに至るまでの過程が描かれ、そのクライマックスとしてセンチネルとの戦いが掘り下げられていった。
 一方のネオ対スミスは「そういう状況」になっていった過程が見えづらい。スミスは預言者を取り込んだ後、マトリックス中の人間に自分をコピーしまくっていたのだけど、その過程が描かれず、最後の最後でやってくると「すでにそういう状況」になっていた。終幕においてネオは未来視ができるようになっていって、誰にも説明せずに、そこに行くということを始めてしまったので、わかりづらい。気付けば電脳世界はスミスだらけになっていて、ネオは挑んでいくのだけど、その動機もわかりづらい。わかりづらいから、この最後のバトルに気持ちが乗せられない……。
 実際、どうにも最後のバトルシーンがあまり盛り上がらない。『マトリックス リローデッド』で大量のスミスとネオが戦うシーンは最高に格好よかったし盛り上がりどころだったのだけど、あの場面を越えられていない。『マトリックス リローデッド』の戦いに較べるとなんとなく精彩さに欠けるような気がする……それがこの最後の戦いの惜しいところ。

 どうしてスミス大量発生……のような事態が起きてしまったのか?
 答えはネオがやらかしたこと。第1部でネオがスミスの体の中に入り、破壊させた。その時、スミスはネオの属性を手に入れて復活した。エージェントの力を自由に行使できるようになったスミスは無限増殖を始める。
 で、結果的に電脳世界はスミスだらけになった。
 それをネオが「困ってるんだろ」と取引の材料にした。
 という、意図せぬ自作自演だったわけだ。ネオが第1作目でスミスを破壊した時点で、こうなる未来が予見されていた。

 結局のところ、未来視の力を獲得したスミスに、ネオは勝つことができない。
 スミスは倒れたネオを見て、勝利宣言をする。
「待てよ。見覚えがある。これだ。これが結末だ。君がそうしてそこに横たわり、私は……まさにここに立って、そして何かを言う。それは……“始まりあるものには終わりがある、ネオ”。いま私はなんと言った? バカな、そんなはずなはい!」
 スミスは未来視の力を獲得したが、その意味を理解していなかった。自分が意図していない言葉を口にし始める。「始まりあるものには終わりがある」という台詞は、預言者がネオとの別れ際に言った言葉。理解していない未来視、何も選択しなかったスミス……これが敗因。
 このシーン、何が起きたのか……というと一度は絶命したネオを、現実世界のほうでデウス・エキス・マキナが電気ショックで蘇生している。
 それが、スミスがネオの体を乗っ取った直後。ネオはスミスの体内で覚醒し、破壊してしまう。
 振り返ると第1部で、スミスはネオに体を乗っ取られたことによって、ネオの属性を一部身につけたスーパーエージェントになっていた。それと逆で、ネオがスミスの属性を手に入れて、自壊させた。第1部とは逆の展開で、ネオ対スミスの戦いが終わっていく。
 スミスを破壊させたネオは、今度こそ絶命。救世主としての役目を終えて、人生も終える……。

 再生したマトリックスの世界だが、まず色彩。今まではグリーン一色で描かれていた世界だが、ノーマルなカラーで描かれている。マトリックスの世界が浄化されたことを示している。場所が無機質なビル群ではなく、公園を背景にしているのも新鮮だ。マトリックス世界に生命が現れ始めたことを示している。
 アーキテクトは預言者に尋ねる。
「危険なゲームをしたな」
 すべて預言者の仕掛けたものだった。しかしその全てが予測し切れていたわけではなかった。うまくいくかわからない、危険な賭だった。
 だが最終的に、マシン側は人間側の要求を受け入れる約束をしてしまった。その約束は果たさなくてはならない。人間はもう襲わない。出たがっている人間はみんな解放する。機械だから、YESと言ったものは守る。
 マトリックス世界は、すべてアーキテクトを中心軸において「繰り返し」の世界が描かれていた。それがネオによって恒久的な変化が訪れる。それが本作のタイトルである『レボリューションズ』の意味するところ。救世主ネオが何を果たすのか……という物語だった。

3部作を見終えた感想文

 実は『マトリックス レボリューションズ』を見るのは劇場以来2回目。最初の『マトリクス』と続編『マトリックス リローデッド』はDVDで買って繰り返し観ていたのだが、第3作目は劇場で一回観たきり終わっていた。
 なぜなら、話がよくわからなかったから。
 というか2作目『マトリックス リローデッド』の意味もよくわかってなかった。
 あれから20年の時を経て再びシリーズをまとめて見返してみたのだけど……あっ、こんな話だったんだ! とやっとこさ理解できた。
 『マトリックス レボリューションズ』の意味がよくわかってなかったのは、第2作目の細かなシーン、台詞の意味を一つ一つ理解できていなかったから。あらためて見返すと、問題なく理解できてしまう。第3部は、第2部で描かれたことの「結果」が描かれているだけ。第2部が解説パートで、これを理解できていれば第3部も楽しめるはずだった。当時の私はバカだったんだな……。
 一方で、見返すと第3部の問題点……ザイオン攻防戦が盛り上がりすぎて他のエピソードがかすんじゃったこと。クライマックスのネオVSスミスの描き方が、第2部のバトルシーンほどの驚きがなかったこと。第2部はバトルシーンにしてもハイウェイでの追走劇にしても、驚きに満ちたシーンばかりだったのに対して、第3部は平凡に感じられる。いや、平凡なのではなく、第2部を越えられていない。どこか「アイデアが尽きちゃった」……という感じがつきまとっている。
 お話の全体像がよくわからなくとも、とにかくルックだけでもワンダーがあれば……という気がするのだけど。第2部ですごい映像を見ちゃったから、どこか感覚が麻痺してしまっていた。改めて見ても、第3部よりも第2部ほうが面白かった……というのが率直に感じたこと。

 さてさて。
 あれから20年の時を経て、『マトリックス』の新作が制作される……という話を聞いて、見始めた今回のシリーズ作。改めて見ると、多くの発見と多くの驚きがあった。やはり『マトリックス』はすごかった……。この20年、誰も到達できなかった思想が描かれた傑作。20年の時を経て、それを確認したのだった。

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