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映画感想 ヴェノム2 レット・ゼア・ビー・カーネイジ

 アメコミが描く『ジキルとハイド』。

 『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』……どういう意味なのかと翻訳機に放り込むと「大虐殺をしましょう」。なぜに敬語?
 本作は2018年『ヴェノム』の続編。2021年にアメリカで劇場公開された。監督はモーションアクターとして高名なアンディ・サーキス。2017年の『ブレス しあわせの呼吸』で監督デビューし、本作で3作目の監督作品となる。俳優とモーションアクターのキャリア両方の経験を持つ貴重な監督として抜擢されたようだ。
 脚本は前作に引き続きケリー・マーセル。主演のトム・ハーディも脚本にクレジットされている。
 『ヴェノム2』はヴェノムの宿敵となるクレタス・キャサディが登場する。もともとは第1作目から登場の予定があったが、1作目はヴェノムというキャラクターに焦点を当てよう……ということで、2作目に持ち越しになっていたアイデアだった。
 アメリカでの興行収入は2億1355万ドル。前作のアメリカ興行収入が2億1351万ドルだったので、アメリカではほぼ同じだけの収益を上げた作品だ。ただし、世界収入でみると、今作が5億686万ドルだったのに対し、前作が8億5608万ドルだったので、アメリカ以外でのあまり稼げなかったようだ。日本での興行収入もガッと落ちている。
 映画批評集積サイトRotten Tomatoesでは274件の論評のうち、高評価は57%。ただしオーディエンススコアは84%だったので、批評家受けは悪かったが、観客は楽しんだようだ。第1作目の評価が高評価30%。オーディエンススコア80%だったので、前作の評判からは評価を上げたと言える。ただそこまで好意的スコアではない……というのが惜しいところ。

 では本編ストーリーを見ていきましょう。


 1996年カリフォルニア、聖エステス矯正施設。
 そこで2人の犯罪者の“別れ”があった。クレタス・キャサディとフランシス・バリソンだ。ともに精神異常を抱えた犯罪者として矯正施設に収容されていたが、フランシス・バリソンはとある「変異」の兆候が現れたため、特別な施設に送られることになった。
 クレタスとフランシスは愛し合う者同士……。この別れは悲しいものだった。

 それから20年が過ぎた現在。新聞記者であるエディ・ブロックのもとに取材依頼が来ていた。連続殺人犯で精神異常者のクレタス・キャサディがエディ・ブロックを指名したのだ。警察も「やつに殺された未発見の遺体が見つかるかも」と協力的だった。
 実はエディ・ブロックとクレタス・キャサディが会うのは今回が初めてではなかった。エディはすでに一度会っていて、その半生を紹介した新聞記事に書いていた。その時に関係性ができあがっていたので、また取材依頼が来た……ということだった。
 クレタスはエディが刑務所へやってくると、不思議なメッセージを残す。「彼方にそびえる大聖堂。それだけが見える。壊れた天使。私の新聞」……このメッセージを写真付きで新聞に載せてくれ……という。
 意味がわからない……。エディ・ブロックはそのまま去ろうとするが、ふとクレタスの独房の壁に注目する。心の中のヴェノムは「よく見ろ。記者の仕事だ」と注意を促す。
 帰宅してからヴェノムは独房の壁に描かれていた落書きを再現し、それこそがクレタスが証言していない遺体のありかだ……ということを突き止める。このことはすぐに記事になり、遺体が発見されて、保留にされていたクレタス・キャサディの「死刑」が執行されることになった。エディ・ブロックは「難事件を解決に導いた」と花形記者に返り咲きすることになる。

 ところがエディとヴェノムの関係性は悪化する一方だった。ヴェノムは成果を出したのだから、悪人を喰わせろ……と主張する。エディはそれはダメだ、と抑えようとする。それが切っ掛けで2人は喧嘩を始める。
 そんな最中、エディ・ブロックは再び刑務所のクレタス・キャサディに招待を受ける。クレタスは間もなく死刑執行で、最後の食事を楽しんでいる最中だった。クレタスはエディを挑発し、エディの体内にいるヴェノムが逆上してクレタスに飛びかかる。クレタスはエディの掌に噛みつく。それが切っ掛けで、ヴェノムの元素であるシンビートがクレタスの体内に入っていくのだった。


 ここまでで30分くらい。

 今回のスタン・リー先生の登場シーンはここ。コンビニのレジ前。画面左下の写真に登場している。

 今作はエディ・ブロックとヴェノムの関係性がお話しの中心になっている。前作は宇宙生物シンビートに寄生されてしまった普通の男……のお話しだったが、今作では2人の関係性はもっと近いものになっている。どうやらヴェノムの価値意識はエディ・ブロックをベースにするようになったらしく、“考え方”に似通ったものを持つようになっている。
 最初のシーン、マリガン刑事とのやりとりの段階でわかるけど、ヴェノムはエディの心の中の「本音」を表現している。乱暴に悪態をついてくるマリガン刑事に対し、ヴェノムが噛みつこうとしている。これはエディが「この野郎」と思っている本音を表現している。
 ただ、その「怒り」の感情がコントロールできず、別人格状態になっている……。ちょうど『ジキルとハイド』のような状態だ。

 面白い場面がこちら。エディ・ブロックがかつての恋人、アン・ウェイングと会うシーン。アンの演技は落ち着いたトーンだが、一方のエディは大袈裟に表情を作るコミカルな演技になっている。しかも台詞の前後にヴェノムの「心の声」が入るようになっているので、ちょっと間を入れている。この演技の差が笑いどころ。
 このヴェノムの「心の声」を聞いていると、はっきりとエディ・ブロックの「本音」だということがわかる。例えばアン・ウェイングが結婚指輪を見せたとき、ヴェノムは「嘘だ!」と言う。アンが「おめでとう嬉しいよ……って嘘でも祝ってもらえたら、少しは気が楽になる」言うのに対し、エディは微笑みながら「いや、心から嬉しいよ。おめでとう」と言うが、ヴェノムは「俺たちの花嫁だぞ! 俺は悲しまないぞ! ダンは車に轢かれ、頭と足と歯を失ってしまえ!」と心の中で叫ぶ。
 いや、「ヴェノムの意見」ではなく、「エディの本音」だろ、これ。
 この関係性がほどよい漫才状態になっていて楽しい。というか、文法がコメディだ。

 この後、エディとヴェノムは激しく喧嘩し、離ればなれになり、その後仲直りして共闘関係に戻る……というのが本作の骨子となっている。
 そこはまあいいのだけど……一方でお話しが薄くなっちゃったのが宿敵クレタス・キャサディの掘り下げ。
 そもそもクレタス/カーネイジは原作からヴェノムの宿敵として登場していたキャラクター。でも本作はエディとヴェノムの関係性を中心に置いちゃったので、ヴェノムとカーネイジの関係性がよく見えなくなってしまっている。

 クレタスから送られてきた手紙を読み上げる場面。構図から2人が“対象”になっていることがわかる。でも2人の対象関係がお話し全体を通していまいち見えづらい。

 刑務所で対峙する場面。画面のほぼ中央のところに鉄格子が置かれていて、2人の関係性が示唆されている。でも台詞を見ていても、どうにもピンと来ない。

クレタス「愉快な男だ。因果は巡る。すべての決断に対して。残された者達はどうなるか。夫婦のベッドは空のまま。暗闇で来ない助けをずっと待ち続ける。君のせいで。君と私は、同類だ。
エディ「いいやぜんぜん違う。
クレタス「歪んだ性格。虐待する父親。まるで家族のようだ。この世で私が心から望んだもの。家族だ」

 ここでどうやらクレタスは「俺とお前は一緒だぞ」……と語っているようなんだけど、しかし私たちはエディの過去を知らない。もしもエディに虐待してくる父親がいたとして、それが描写されていたらクレタスの台詞に意味が出てくる。でもそれが描かれていないから、「なんのことを言っているのだろうか?」と疑問しか出てこない。
 前半シーンの「彼方にそびえる大聖堂。それだけが見える。壊れた天使。私の新聞」というメッセージは別施設に収容されている恋人フランシス・バリソンに向けられたものだけど、それにどんな合理的な意味があるのか、見ていてピンと来ない。フランシス・バリソンにメッセージを送ったことでどんな展開があるのか……ということが示されていない。
 さらにこのシーンの後半、クレタス・キャサディは、

「お前はがん細胞だ。大切な人たちを蝕む。お前は大切な婚約者を欺いた。自分の父親にも恨まれた。お前は母親を殺してこの世に生まれたからだ」

 と挑発し、するとヴェノムが突然逆上し、クレタスにつかみかかる。
 なぜ? ひょっとするとクレタスは最初からエディの体内にヴェノムがいることを察して、ヴェノムを意識して挑発したのか。だとしたら、いつヴェノムの存在を知った?
 どうにもこの辺りの展開がピンと来ない。よくわからないまま、いきなりヴェノムがクレタスに飛びかかり、その結果シンビートがクレタスに移る……みたいになっている。そういう展開を作るためのわざとらしさしか感じられなくなってしまっている。

 そのクレタスの恋人であるフランシス・バリソン/シュリーク。ただの犯罪者ではなく、「超音波攻撃」という特殊スキルを持ったキャラクター。明らかにいって特殊な音波を苦手とするヴェノムとカーネイジを意識したキャラクターだ。
 すると後半のバトルシーンでフランシスの能力がどんでん返しを作るキーになるんでしょう……と思ったが特にそういう展開にならず。というか、たいした活躍をすることもなく、退場していく。
 いったい何のために登場してきたんだ? この辺りの構造がグダグダ。

 今作はこんな感じで、エディとヴェノムの関係性、特に「友情」が生まれるまでを描いた作品となっている。そこはユーモアたっぷりに楽しく描けているのだけど、敵役が噛ませ犬状態。エディとヴェノムを仲直りさせるためだけの薄っぺらいキャラクターになってしまっている。
 敵キャラクターの掘り下げが弱いから、後半クライマックスのバトルシーンが盛り上がらない。ドラマとしての収まりが悪い。
 シーンとしても弱く、バトルにハラハラ感がまったくない。ドラマとしての盛り上がりがないだけではなく、「画面」が弱い。この映画らしい独自性が表れているとは思えない。

 たぶん、映画会社側から「要求」があったんじゃないかな。尺は1時間半。エディとヴェノムの友情物語をお話しの中心に……と。
 でも1時間半しか尺がない状態でエディとヴェノムのお話しを描き込むと、自ずと宿敵クレタスのエピソードが手薄になってしまう。そうすると、どうやっても、誰が描いてもクライマックスが薄味になる。これは、そもそも会社側の指示がまずかったのと、その指示通りにきちんと納品したら結果的にこうなった……だからアンディ・サーキス監督の手際が悪かったというわけじゃないだろう。むしろ良かったと見なすべきかも。
 とはいっても、最終的に批評の責任を背負うのが監督の役割。こういう結果になることもあるさ。

 と、こんな感じで、『ヴェノム』は2作続けてちょっと微妙な作り……。一応『ヴェノム』はシリーズとして次が構想されているらしい。次こそは起死回生の1本になると信じよう。


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