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大河「いだてん」の分析 【第12話の感想】 同時中継のない時代の“応援”

いだてん第12話を見ていると『同時中継がない時代の応援』について考えさせられたので、それについて感じたことを整理しておきます。

第12話のメインの分析感想はこちら↓


同時中継する技術がない時代の“応援”

1912年7月14日。
ストックホルムでマラソン競技がスタートするのと同時間帯を狙って、遠く離れた日本では、仲間たちが応援をはじめる。

ストックホルムと日本の時差は8時間あるから、日中炎天下のレースなので、日本だと夜だ。

この時代、“同時中継をする技術が一切ない”ので、レースがどうなっているのかは日本からはまったくわからない。でも、精一杯応援をする。
世界中の出来事が同時中継される現代人には、この感覚はわからなくなってしまった。

熊本の四三の実家では、村の人たちが集まり縁起の良い鯛を食べながら歌い踊り応援をする。
東京の寄宿舎では、食堂に同僚たちが集まり校歌を熱唱する。遅れてストックホルムに向かった嘉納治五郎校長からの電報を待つのだという。

宴席が終わり、歌い踊り疲れて眠った春野すや(綾瀬はるか)が慌てて目を覚まして、隣にいた四三の兄(中村獅童)に「四三さんは?どうなった?」と尋ねる。
笑いながら兄は応える、
「そりゃあ、明日か明後日の新聞でも見んと、結果がどうなったのかはわからんばい」。

明日か、遅いと、明後日だという。
生中継がないとはこういうことだ。
(それでも選手団が移動に2週間以上かかったことを思えば、明後日でも相当早いほうだ。国際電話みたいな技術がすでに専門的にはあるのかもしれない)

1940年代の戦争報道との共通点

現場と応援のあいだに、空間的時間的な“ギャップがある”。
そのやりとりを見ていて、ふと想像する。
この数十年後に勃発する戦争の時も、これが生じていたのだな、と。

よく言われる話だが、戦争の前線で劣勢になっている日本軍の実態を、本土にいる日本国民はまるで認識できていなかったという。
それが生じたのは情報伝達技術がまだまだ未熟だったことがまず大きい。(もしスマホがあれば劣勢なんだよと多くの兵士がLINEをしただろう)

遠く離れた戦場で何が起こっているのかタイムリーにはわからない。わからないけど、精一杯に応援を続ける。“思いは届く”はずだからだ。

遠くストックホルムで戦う四三と、それを応援する日本の仲間たちの歓声の“ギャップ”は、
数十年後に起こる“戦争のメタファー”のようにも感じとれる。

勝ってるのか負けてるのかもわからない。生きてるのか死んでいるのかもわからない。それでも、応援をする。
その時間差は、とてつもなく切ない。
誰もが必死に走り、必死に祈るだけである。

(画像引用元:NHK公式 Twitterより)

報道論 メディアは“何を伝えるべきか”

ただし、もし、“同時中継”が実現できたとしてもそれがすべて“良いこと”とも限らない。

たとえば、
1940年代の第二次世界大戦ではまだメディアは同時中継する方法を持たなかったが、それから半世紀後、1991年の湾岸戦争では、“戦場の状況をメディアがリアルタイムに報道”した初めての戦争と言われる。多国籍軍によるバクダッド空爆シーンをテレビは生中継してみせたという。

しかし湾岸戦争の報道姿勢には、人類としての反省が残っている。ほんの断面のみにするが少し雰囲気を引用する。

テレビは、アメリカ政府や多国籍軍のお先棒を担いで、ハイテク兵器による戦争のクリーンな面ばかりを強調する報道を行った。その結果、戦争の持つむごたらしさや悲惨さが覆い隠され、戦争の実態について視聴者に間違ったイメージをいだかせるようになってしまった。

“リアルタイム”だから“正しい”というものでもない。
“何を伝えるべきか”というメディア論やジャーナリズム論が問われるようになった。

さらに10年後の、2003年のイラク戦争に際しても同様に報道内容への議論が増えていく。こちらはググるとNHKの放送研究会が論文を書いているのでふたつリンクしておく。

◆世界のテレビはイラク戦争をどう伝えたか(NHK放送研究会)

◆イラク戦争におけるブッシュ政権の情報操作とメディアの責任(放送研究会)

戦争という重いテーマに触れたが、この議論は特に戦争に限ったことではない。
タイムリー性/リアルタイム性はますます日常的に求められるし、技術的にもリアルタイムな手段は増えていくのも確実だ。そして、その時に“何を伝えるべきか”もますます問われるであろう

その点では、大河ドラマとしての「いだてん」自身も同様である。


※他の回の分析感想はこちら↓


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