_ゴール_の終焉と__ひるね姫_的生き方の話

「ゴール」の終焉と「ひるね姫」的生き方の話

0.この記事の目次

1.前置きとわたしの読書ノート紹介
2.落合陽一『日本再興戦略』の読書感想文
3.「デジタルヒューマン」とビジョンゴールの終焉

※おそらく『日本再興戦略』の書評はネット上に氾濫していると思われるので、時間のない方は1.をざっくりと、3.をじっくりとお読みいただければ幸いです。

1.前置きとわたしの読書ノート紹介

大学生協の新学期事業が落ち着くまでは、火曜日がわたしの休日。昨年末に定期預金口座に結構積んだ影響で、1月は人生の中でも結構な金欠に喘いでいる。つまり、今わたしにはお金がない。

お金がないと休日の趣味も決まっていて、入場料の取られないところへ旅行に行くか、近所を散歩するか、本を読むかYouTubeでメンタリストDaigoの動画を観るか(こうやって書き出すと、結構選択肢あるじゃんと思った)。

去年はノックを受けるかのようにひたすらNewsPicksBook(以下NPB)を読みまくった1年だったので、最近は読みっぱなしにしてしまっているNPBの読書ノートをつけることで自分の中への落とし込みを図っている。

私の読書ノートはこんな感じ。昔読んだ奥野宣之さんの「100円ノート術」の手法を採用しており、本の中で「自分の気になった文章」を青ペンで○で書抜き、その下に☆で自分の感想をさしこんでいく。ねぎま式と呼ばれる手法で、もうかれこれ5年くらいこの形式で読書ノートをつけている。

そんな中今日はこの本を読み直した。

年始にこの本で落合氏が触れている「カースト制」と「士農工商」に関してTwitterでバズっており、おやおや、落合陽一ってそんなこと言うお方かしらと思い読み直したのがきっかけだ。


2.落合陽一『日本再興戦略』の読書感想文

SNS上で年始に問題になっていた箇所をざっと再読したが、カースト制度のも士農工商も、日本の今後の社会構造のあり方を提示する上でのメタファーとして出している用語であり、やれカースト制度で苦しんでいる人の気持ちを考えよだとか、士農工商はそもそも身分制度ではない云々などといった批判は的を射ていないと感じた。文章の切り抜き批判の怖さとファクトチェックの重要さを感じた一件であった。

今回はいい機会だったので、該当箇所以外にも一通り再読したが、落合氏の掲げる「デジタルネイチャー」という未来図のざっくりしたイメージを掴むのに本書はうってつけだ。

章立ては以下のようになっている。

第1章:欧米とは何か
第2章:日本とは何か
第3章:テクノロジーは世界をどう変えるか
第4章:日本再興のグランドデザイン
第5章:政治(国防・外交・民主主義・リーダー)
第6章:教育
第7章:会社・仕事・コミュニティ
おわりに:日本再興戦略は教育から始まる

1-2章でペア、3-4章でペア、5-7章でペアの3つのブロックから成る構成だとわたしは読んだ。5-7章は落合氏の現在の日本の制度や環境に関する所感と提案なので、彼独自の視点からのまさに「日本再興戦略」を描いているのは3-4章。特に第4章は今後テクノロジーが発展していくとどのように日本が変わっていくのかを大変身近な事例も交えて紹介しており、わたしのようにテックに詳しくないビジネスマンには大変有難い。

また、個人的には落合氏の掲げる「デジタルネイチャー」の中身にあまりピンと来ていなかったが、今回改めて第3章を読み、少し腹落ちできた。

「デジタルネイチャー」は、英語では「Super natute defined by computational resources」と説明することが多いのですが、コンピューターによって定義されうる自然物と人工物の垣根を越えた超自然のことです。デジタルとアナログの空間をごちゃまぜにしたときに現れうる本質であり、従来の自然状態のように放っておくとその状態になるようなコンピューター以後の人間から見た新しい自然です。(『日本再興戦略』P.134より)

テクノロジーを用いた社会発展を説いた科学者は数多いたが、落合氏はそれを「デジタルネイチャー」という矛盾した2つの用語の掛け合わせで見事にビジョン化した。彼が目指している未来はこの「デジタルネイチャー」に集約される。大衆に呼びかける上で、こんなに魅力的な造語はなかなかない。

余談だが、わたしは宇野常寛氏の「遅いインターネット」というビジョンも大好きなので、相反する2つの用語をかけ合わせてつくられた言葉には魔力があるのかもしれない。

話は逸れたが、落合陽一の思想やビジョンを知るためにはさくっと読めて手軽な1冊だ。この本を読んでより彼のビジョンを知りたいと思った方は『魔法の世紀』『デジタルネイチャー』を手にとってみるのもいいと思う。

落合氏はメディアアーティストとした多様な活動をしているが、わたしは彼の専門領域には仕事では関わらない。よって、具体的な事例よりも彼の思想やビジョン、考え方を咀嚼した読書となった。

自分が何者で、何でポジションを取りたいのか。すぐ言葉にできないのはちょっとやばいな自分、と思えた。


3.「デジタルヒューマン」とビジョンゴールの終焉

『日本再興戦略』は前述の通り3,4章が肝となる本だと思っているが、私が一番興味を惹かれたのは第7章にある「近代的人間らしさ」と「デジタルヒューマンらしさ」について言及した箇所だ。

「近代的人間らしさ」と「デジタルヒューマンらしさ」とは、簡単にいうと、主体からなる「生成的な物語」であるか、「逐時的即時的な物語」であるかという違いです。(同書P.239より)

落合氏は同じ神山健治監督の「攻殻機動隊」と「ひるね姫」をたとえに出し(この例え話はたいへんわかりやすいのでぜひ読んでほしい)、マジメ顔でストイックに到達すべき目標に向け突き進んでいく「攻殻機動隊」的な生き方を「近代的人間らしさ」とし、愛想よく目の前の面白い事にどんどん手を出し、目的はふわっとしていても結果的に自分の未知の領域や場所まで進んでしまっている「ひるね姫」的な生き方を「デジタルヒューマンらしさ」と表現した。

そして、今後わたしたちが見直し再評価し大事にしていくのは「ひるね姫」的な「デジタルヒューマン」の生き方だと言う。

この話は一読目は全然ピンと来なかったが、NPBをざくっと一通り読んでから帰ってくると(わたしは『日本再興戦略』→『お金2.0』と立て続けに読んだことからNPBにハマった人間なので、この本は私がNPBにふれるきっかけとなった)、これは社会がこれから変わっていく上で訪れる必然の変化、生き方のパラダイムシフトなのかなと思う。

つまり、世の中の変化の速度が格段に高速化したため、そもそも長期的な「ゴール(理想の状態)」を描くことにあまり意味がなくなってきたのではないか、というのが私の所感だ。

今隆盛を極めているGAFAも、10年後の存続は約束されていない。今の常識は10年後も、なんなら5年後も常識とは限らない。今の自分の描く100%の理想やゴールは、すぐに紙屑になってしまうのが平成末期からポスト平成の時代なのだろう。

ビジョンゴールが終焉した世界で、ストレスのない生き方こそが「ひるね姫」的な生き方なのだと落合氏は言いたかったのかもしれない(し、そうではないかもしれない。ともかく、わたしはそう読み取った)。

10年後になりたい姿を描くよりもとにかく今の自分が熱狂できるものに時間と労力を注ぐ。するとそれが自分の武器になる。自分の武器は、自分自身をあたらしいステージへと連れて行ってくれる。

「ひるね姫」的な生き方、いいではないか。


おしまい。



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