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【昭和初期の医療事情①】病魔に襲われると、仕事を失い路頭に迷う

今年の春、祖母がこの世を去った。

両祖父は私が物心つく前に他界しており、もう一人の祖母は学生時代に他界してしまったので、大人になっても元気に生き続けてくれた唯一のおばあちゃんだった。

私の中の「子供の自分」は悲しくてむせび泣いている一方で、「親(大人)の自分」は、世代交代の波がもう足元まで押し寄せつつあることに、静かな覚悟を固める。そんな葬儀だった。

祖母からもらったものの一つに、祖母の父(曾祖父)のユニークな論文がある。当時の空気を生々しく感じ取れるその論文を、今の言葉(わかりにくいところも沢山あるけれど)に置き換えて残しておきたい。

時は遡ること昭和10年。ドイツで世界初のテレビ定期放送が開始され、日本では築地市場が開業し、忠犬ハチ公がこの世を去った年である。

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日本公衆保健協会10周年記念応募懸賞論文(第一等)本邦医療制度論

日本公衆保健協会雑誌第11巻第1号(昭和10年1月発行)

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第1章:緒論

人の社会生活において、もっとも脅威に感じるのは病気である。とりわけ脅威なのは、病気にかかっても治療することの叶わない無産者(資本主義社会における賃金労働者階級に属する人)が病気になることである。人口が過剰で、富の程度が低く、国民の多くが無産者である我が国においては、なおのことであろう。

彼らは、ひとたび病魔に襲われようものなら、十分な治療を受けられないばかりでなく、仕事を失い、家族全員が食うに困り、路頭に迷うことになる。

このような悲惨な状況から救うため、昔から貧困者の病気を治療するための社会的・慈善的な医療施設があるとは言われている。しかし、その救済を受けられるのは、国民のごく一部に限られており、一般の勤労者(賃金をもらって一定の仕事に従事する人)、労役者(身体を動かして課せられた役務をする人)、農漁山村の住人までは救済を受けることができない。

今、国民の経済状態に照らし合わせると、医療費は大変高額である。このため無産者にとって、病気になることは大変恐るべき災いであり、落ちぶれて身を持ち崩す原因の多くはこれにある。近頃、医療技術は急速に進歩しており、治療の手法も充実してきたと言われているが、国民の多くがこの恩恵を等しく受けられないのは大変残念なことだ。

畏れ多くも皇室におかれては、このような状況にお心を痛められ、医療救護費として御内帑金(皇室が所蔵している財貨)三百万円を御下賜(高貴な人が、身分の低い人に物を与えること)くださったことは、まことに恐縮にたえざることで、この御下賜金を元手に、昭和7年以来続けられている医療救護事業によって救護されたものは、今や百五十万人に達するという。

皇室の深い恩恵に、為政者は決して一時しのぎでごまかすことなく、根本的な原因を追究し、持続可能な方策を講ずることが必要である。今や事件も多く騒がしい世の中だ。まさに国家の非常時に直面していると言えよう。国民は心を一つにし、力をあわせてこの困難に当たる必要がある。そのような時に、国民生活を脅かし、不安を抱かせるような医療制度の欠落は、早急に改良することが必要だ。

折しも、日本公衆保健協会が「日本の医療制度論」を募集したのは、まことに良いタイミングだった。私も平素考えている愚案を披露するので、もし現制度の改革をするうえで多少でも参考になったならば幸いである。 

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「第2章:現代の医相」に続く。 

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日本公衆保健協会10周年記念応募懸賞論文(第一等)本邦医療制度論
日本公衆保健協会雑誌第11巻第1号(昭和10年1月発行)

【目次】

第1章 緒論☚今回はココ

第2章 現代の医相

第3章 衛生上の自給自足

第4章 医業一部公営論

第5章 実行方法 

第6章 公営に従事しない医師をどうするべきか 

第7章 医業公営と医業国営 

第8章 医育について

第9章 結論

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