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眠れぬ夜に、寄りそうものたち。


五歳だったクリスマスのこと。わたしは朝から不機嫌になっていた。
枕元に置いてあったプレゼントが、サンタに願っていたものと違ったのだ。

わたしが欲しかったのは、おもちゃ屋さんで一番大きなテディベア。
枕元のテディベアは五歳児の自分とほぼ同じ身長で、欲しかったテディベアの半分の大きさもなかった。

親にしてみたら、わたしが当初欲しがっていたようなぬいぐるみが家にあるのは邪魔くさかったんだろう(笑)

クリスマスは一日中いじけた。
けれど、わたしはすぐにテディベアを“ハッピー”と名付けて、その後20年以上の時間を共に過ごすことになる。

子供時代にお化けが怖かった夜も、思春期で周囲と折り合いをつけられなくて泣いた夜も、初めての恋も、初めての失恋も。
ハッピーをぎゅっと抱きしめて乗りこえてきた。

幼い心で日々の出来事を受けとめるために、わたしにはイマジナリーフレンドが必要だったんだと思う。
しっぽがとれても、毛がガビガビになっても、中綿がかたよってしまっても。
恋に忙しくて家を空けるとき以外は、毎晩一緒に眠った。

弱っちい自分と決別するために、捨ててしまおうと考えたことも何度かある。でも、ハッピーがゴミ袋にはいっている姿を見ると、自分の一部を切り捨てているように心が痛む。結局、ゴミ袋から取りだして定位置のベッドに戻してしまった。

子供っぽくて恥ずかしいなぁと思っていたけれど、ある日、そんな自分を肯定してくれるような本に出会った。


マーク・ニクソンという写真家が、“愛されすぎたぬいぐるみたち”を写真に収め、持ち主の言葉や、ぬいぐるみが家族と辿ってきた歴史を添えた写真集だ。

例えば、こんなぬいぐるみ。

ベッド・テッド
年齢:22歳
身長:22センチメートル
持ち主:フィーバ・ホーア
ーーーーーーー
フィーバ・ホーアの話:(前略)わたしが10代のとき、ベッド・テッドが行方不明になったことを覚えています。何週間も家の中を捜しまわったあと、わたしはついに(しぶしぶだったけれど)ベッド・テッドが永久にいなくなったことを受け入れたんです。どうやら当時のわたしはおしゃれに熱中していたらしく、あとになってベッド・テッドはたんすにしまった何枚ものセーターの間からふたたび姿を現したのよ。
 これまでベッド・テッドは色も柄もさまざまなTシャツを次々と着てきました―――どれもこれも、片っぽだけになった、ちょっと変わった靴下から母が作ってくれたものです。

本のなかでは、まだまだ駆け出しの7歳のウサギから(彼はいま、現在進行形で持ち主と一緒に年を重ねている)、家族の歴史を見守ってきた102歳のテディベアまで、様々なぬいぐるみが紹介される。

共通点は、愛されすぎて目がとれていたり、毛が抜けていたり、空いた穴が持ち主の不器用な手で繕われていたり、とにかくボロボロなところ。
でも、それは彼らがきちんと役割をまっとうし、持ち主たちの心を夜毎なぐさめてきた証拠なんだろう。

心が乱れた夜は、この本を開いてみる。
このぬいぐるみたちに触ることもできないし、持ち主たちと会話をすることだってできない。
それでも、寂しい夜を乗り越えてきたのは自分だけじゃないとわかるだけで、心はすこし救われる。

心に潜む子供時代の自分が目を覚まし、泣きだしそうな夜。その子をなぐさめてあげるために、ぴったりな本だと思います。

ちなみにハッピーは今、引越しのたびに新居へ連れてきて、一緒に眠ることはしないけれど、きちんと部屋にかざってある。

あの20年以上前のクリスマスに、大きい方のテディベアを貰っていたら、こんなことは出来なかったんだろうな。


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