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しばえびの天ぷら


何げない日々のなかで、ふとうろたえる瞬間がある。

よく行くスーパーの鮮魚コーナーには、新鮮な魚介類が並んでいる。漁場が近いということもあり、朝水揚げされたばかりの地物などもおかれていて、日によって顔ぶれが違うので見るだけでもとても面白い。

今だったら、ホウボウやクロムツ、サザエなど。“旬”のものは、眺めるだけでも何かしらエネルギーをもらえるような気がするから不思議だ。

ただ、地物というのは調理法に迷ったりして、いざ買うとなるとためらうこともしばしば。

わたしにとって、シバエビもそのひとつだった。

10センチほどの透き通ったエビは見るからにおいしそうだが、わたしには“揚げる”以外の選択肢がなかった。さらに、パックに20匹ほどしか入っていないそれは決して安いとも言いきれず、量的にも栄養的にもメインにはならない。わが家には成長期を迎えつつある子どもたちがいる。

ふだんはあれやこれやと考えてしまい、伸びかけた手を引っ込めていたのだが、先日思いきって買ってみた。三つ葉と合わせてかき揚げにしたらそれがもう、想像をはるかに超えたおいしさで(エビ好き)、家族にも好評だったから、また見つけたら絶対に買おうと決めていた。


そのシバエビを今日、鮮魚コーナーで見つけた。
よっし! と小走りで近寄る。小さめの発泡トレイに入れられたシバエビ。その上にはラップがぴっちりと貼られている。よく見慣れた形状だ。

ひとつ手にとり、じっと見る。
と、なんと、エビたちがトレイのなかで動いていた。

い、生きてるやないかい。
わたしはギョッとして、思わずパックを手からはなした。

パックのなかでぴちぴちと、ほとんどのエビが生きていた。狭いスペースで背中を曲げてはねるもの、腹に生えたたくさんの足をもしゃもしゃと絶えず動かすもの。 

苦しいよう。 
出してよう。
海のなかに戻りたいよう。

そんな声が聞こえてくるような気がした。


***

命をいただいているんだよ、とよく子どもたちに言う。
それなのにいざ命の間際を前にして、わたしは自分でも恥ずかしいほど、うろたえていた。

おもえばスーパーで、生きているものがそのまま売られているのを目にすることはほとんどない。食べやすい大きさにスライスされた肉。切り身になった魚。そこには、原形をとどめない命が陳列されている。

自分の命をつなぐために、ちがう生き物の命をいただく。

スーパーに並んだ死にきった肉や魚の前で、わたしはそのことへの罪悪感を感じることが少なくなっていたことに気づいた。命を奪うという行為、その責任を、わたしはだれかに押しつけてきたのだと思った。命をいただく。頭ではわかっていたはずなのに、その感覚がこんなにもうすれていたなんてと、愕然とした。


そんなことを考えながら、わたしはシバエビの前で五分以上たたずんでいた。買うか、買うまいか。どうしよう。買わないでここを通り過ぎれば、直接的に命を奪取するという罪悪感から逃れられるかもしれない。

この期に及んで、そんなことが頭をかすめる。

積まれた4,5パックを比べてみる。活きのいいエビ。活きのわるいエビ。ぴちぴちと活きのいいパックより、活きのわるいパックのほうが、命を奪取する度合いは低くなるかもしれない。

反射的に活きのわるそうなパックを選ぼうとする自分の思考回路に驚き、愕然とし、可笑しくなった。いつもなら鮮度至上主義のように、鮮度がだいじ、だいじと言っているくせに。
 

ふと、ひとりのおばちゃんがわたしの隣にやってきた。
シバエビを見ている。おばちゃん、生きてますよ、これ。心の中で話しかける。ふたりでじっと、シバエビを見る。

次の瞬間、わたしはなぜか覚悟を決めて、一番上の活きのいいパックをかごに入れ、鮮魚コーナーをあとにした。おばちゃんにこの葛藤を見透かされたくなかったからなのか何なのかよくわからないけど、とにかく勝手におばちゃんに背中をおされていた。
 
会計を済ませ、そっと持ち帰る。
少しずつ弱っていくシバエビたち。こころがいたんだ。


夕食の支度前、子どもたちにも見せた。このシバエビたち、生きてたんだよ。ほら今も、足がほんの少し動いてる。わあ、ほんとだ。命をいただいているんだね。ありがたいことだね。

子どもに言っているようで、自分にそう言い聞かせていた。
 
 
夜は、シバエビの天ぷら。
衣にさっとくぐらせ油に入れると、じゅわっとはじける音がする。音が落ちついたところで取りだすと、うすいきつね色に揚がっていた。いただきます。口に入れると、さくっと軽い音がして、エビのうま味が鼻を抜けていく。

うん、これは最高だ。
争奪戦をしていたら、ただいまーと夫が帰宅。
はやくはやく! 揚げたてが逃げちゃうよ!
みんなで夫をせき立てる。



見ず知らずの人間に、命をささげるシバエビたちの無念さを思うと、いかんともしがたい気持ちになる。かといって、きれいごとなど言えない。できるのは、せいいっぱいの感謝と、最大限においしくいただくこと、だろうか。そして、命をつなぐこと。

小さなシバエビたちに、こころを揺さぶられた一日だった。



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