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愛する人よ。私は休む勇気がほしいな



 目の奥が、じんわりと熱い。

 私が感じる幸福は、いつも砂粒のようだった。手でしっかりと掴めない。指の隙間からさらさらと抜けていくのを、涙とともに追いかけていた。待って、待って、と。

 私は週5日正社員として勤務し、そこそこの残業をしながら忙しい日々を送っている。だがきっと他の人が私の仕事をしたら簡単にこなせてしまって、まさかこれを「忙しい」と形容するなんてと鼻で笑われてしまいそうだ。

 日々仕事を終えたら、身体がぐったりとする。夜空を見上げると、そのまま後ろに倒れてしまいそうだ。目を細め、憔悴の波が心を包む。それでもやっていけるのにはわかりやすい理由があった。



「お疲れさま!」

 恋人からLINEでメッセージが来ている。

 ああ。私がまさか、愛する人の言葉で奮起し、幸福を感じ、歩みを進める人間になるなんて。泥のように過ごし、くたくたのスーツを身にまとっていた10年前からは想像もできない。

 愛というのはすごいな。恥ずかしげもなく私は想う。天真爛漫な恋人は、屈託のない笑顔でいつも私を抱きしめてくれた。

 疲れてひとり帰宅した夜、恋人からの電話がかかってくるのを想像していた。弱いところを見せるのは勇気がいるから。

「疲れてしまったから、あなたの声が聴きたい」と私から言ったら、不安になるでしょう。私が弱ったら、きっとあなたは心配するでしょう。そしてどこか遠くへ行ってしまうのではなんて、私は想像してしまうから。けれどそれをいつの日だったか伝えたとき、あなたは少し、おこっていたな。

 その夜、家に帰ってもnoteが書き進められなかった。少しでも毎日進んでいきたい。会社員をやりながらだって、書いていけるはずだ。そう思っても、疲労感が重々しすぎる。

 私がnoteを更新したら、あなたは喜んでくれるから。だから頑張る、頑張りたいと思う。そして私自身が、書くことに喜びを感じているから。

 しかし喜びを感じられるとしても、身体がどうしても動かない日がある。その日は鼻水も止まらなくて、喉は唾を飲み込むと少し痛かった。


 そんなことを考えていたら、着信があった。

 どうしてただ人の声を聴いているだけなのに、こんなに身体が踊りだすのだろう。疲れていればいるほど、私の目の奥はまたじんわりと熱くなる。

 もうこれが最後だ。私の人生、ぜんぶこれで最後だと思う。今の恋人と結婚したい。そして、文章を書いて生きる夢を追いかけ、叶えるのも。ふたりでどこまでも伸びていく景色を眺めながら、溶けるように笑い合いたい。

「私が疲れていたのを察して、電話してくれたの?」と私が聞いたら、あなたは「ぜんぜんそんなんじゃない!わからなかった!」と言って快活な笑い声を私に届けてくれた。そして「声が聞きたかったから電話しただけ!」とまたあなたは笑うから、私はとんでもなく救われてしまう。

 スキが増えていくたび、フォロワーさんが増えていくたび、あなたは子どものように喜んでくれた。私が心の底から大好きなエッセイを書いて、幸せな笑顔を贈りたい。そう思っている。

 ただ「頑張らないと」と気持ちが急いているとき、人は往々にして限界が近いのかもしれない。

 その夜、私はnoteを書く手を止め、恋人との電話に夢中になった。一言一句逃さず、声色すべてを受け止めたかった。抱きしめたかった。一言でも多く、あなたの言葉を聴いていたかった。

 「休む」というのはとても怖い。自分が圧倒的に置いていかれるような気分になるからであり、信用を失うのが恐ろしいからだ。

 そして「休む」と「怠け」の違いは、とても繊細である。私はいつだって自身に問う。本当に休息が必要なほど、己は頑張っているのか?と。

 ああ。どうかこれを読んでくれている人は「頑張ること」だけが美徳だと思ってほしくない。休息をうまく挟める人こそ、大成するのだと私は思う。

 誰かがやっているのだから、自分もできなければおかしい。そんな思考は身体と心をあっという間に蝕む。頑張り続けることよりも、心と身体を休める自分を尊重したい。そしてまた、前に進めたら善いのだ。


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 電話をしていた途中、あなたは言う。

「頑張りたい気持ちもあるだろうけど、休む勇気も大事よ」


 恋人の言葉を聴いて、その夜私はすやすやと眠った。

 今月の中旬をすぎたあたり、私たちは同棲を始める。お互いの良くないところも見えるかもしれないが、そんなことをすっ飛ばせるほど私たちは大丈夫であると信じている。

 いつか私たちの砂場ができたらいい。そうしたら、指の隙間を抜けていく砂粒を、もう無理に追いかけなくていい。そこにお城を建てて、私たちだけがわかる、楽園をつくれたらいいな。


 詩旅つむぎ

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