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#雑記
「退屈してる」って、言えなかった。
わたしには、自分が退屈していることを隠す癖がある。無気力で何もしたくない時でも、つまらないと思いながら本を読んでいたり、気が乗らないのに創作をしていたりすることが多い。
「楽しい?」って聞かれたら、「楽しいよ」って明るい声で返すけど、内心、退屈していることがバレないかと不安になってる。
どうせバレてるんだけどね。
いつもじゃないけど、そういう時が多い。隠そうとして無理をして、たぶん余計に
その時、世界は一瞬にして灰色に変わった
先月から、友だちと一緒にオンラインコミュニティを作って遊んでいる。私は運営部の一員として、参加したい時にだけ会議に参加して、好き勝手にアイディアを出したり、告知文を書いたりしていた。
コミュニティを本格始動させる直前、作戦本部である友人宅に泊まり込んで、「何だか仕事っぽいことをしているぞ!」と謎の興奮に震えてみたりもして。
ところが、コミュニティがスタートして、いよいよこれからというタイミ
心なんて本来、自然と整っていくものなんじゃないかと思う
最近、高校時代の同級生がやっている整体院に通い始めた。気功やエネルギーワークのようなものを使った特殊な施術に興味を持ったのもあるけど、一番は、子ども時代から続いている身体の違和感を解消したいという思いからだった。
通院ペースは週に一回、今で二回通ったところなのだけど、施術してもらう度に思うのは、「人の想いや感情って、本当にただ受け止めるだけでいいのだな」ということ。
その整体院では、毎回
世界が急激に変化する境界点
高校の受験生時代だっけ。問題集に取り組んでいる時に、どうしても理解できない問題があって、そこで詰まってた。
何回も解説を読んで、理解したつもりでもう一回挑戦してみると、その場ではなんとか解けるんだけど、一晩眠ったらまたぜんぜん解けなくなってしまう。
何日間かそこで足止めを食らっていたんだけど、ある時、嫌になって「もういいや、次の問題解いちゃえ」って、そこすっ飛ばして次に進んでみた。先に行けば
どうやら私は退屈すぎると死ぬらしい
幼いころから退屈が嫌いで、「退屈すぎて死にそう」が口癖だった。
思えば、会社員時代にイライラしていたのも、仕事がつまらなすぎて嫌になったからだった。こんなにも退屈な日々をあと何十年も繰り返すのかと思ったら絶望した。
工夫できる部分は工夫し尽くして、もうこれ以上変化は望めないと感じた時、私は退職を選んだ。
ちょうど父が自営業を始めた時期で、辞めやすかったというのもあったけど、そういったタイ
どうか私に何も奪わせないでと願いながら、私自身は容易に奪わせている
深い悲しみを抱えながら、それを陽に転じていこうともがいている人たちに強く惹かれる。
あまりにもうつくしすぎて、自分だけを満たすために生きている私なぞは、軽い気持ちで触れてはいけないような気持ちになる。奪ってしまうのではないかと、怖くなる。
それでも触れてみたくて、どうか私に何も奪わせないでと願いながら手を伸ばす。
私に何も奪わせないでくれる人になら、安心して甘えることができる。自分の欲望