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【#2 これは私へのnote】あの人も生きた23歳だから


去年、祖母が亡くなったとき、「あ〜この先どうしよ」って思った。物心がつく前から、私はいつも祖母と一緒にいた。幼少期のアルバムを見返せば、きまって祖母の姿がある。たかが23年という短い人生だけど、辛いときはいつも傍にいてくれて、いつも私だけの味方をしてくれていた。母親と喧嘩をしたときは祖母の家に逃げ込んで慰めてくれた。受験生の頃に模試の結果が上がらず、悔し涙を流したときは「りょうなら大丈夫だよ」って励ましてくれた。


そんな祖母が亡くなったとき、私はこれから、誰に頼っていけばいいんだろう、と思った。その一方で、そもそも誰かに頼ろうとしていることが間違いなのではないか、とも思った。


祖母が亡くなったのは大学4年生の冬だったから、「これはもう、誰にも頼らず一人の立派な大人として、歩み始める時期なんじゃないか」とも考えた。というより、「そうするべきだ、誰かに甘えず生きていくべきなんだ」と自分を言い聞かせた。


でも、やっぱり。祖母が亡くなったときの私の悲しみは大きすぎた。口で言うほど、簡単ではない。心の奥底では「まだ行かないで」と泣いていた。でも、それでも、前を向いて歩んでいかなければいけないんだ、という葛藤の繰り返し。


そこで、ふと、こんなこと考えた。


「祖母はどんな23歳を過ごしていたんだろう」祖母にも若かりし頃は存在していて、今の私のように、23歳という年齢を生きた時期もあったわけだ。時代も違けりゃ、境遇も違う、職業だって違う。でも、きっと色んな想いを抱えながら生きていたはずだ。それだけはわかる。78年という時間の中で、祖母はたくさんのものを目にし、何かを感じて、生きてきた。それは、耐えて耐えて、苦しさを乗り越えた人生だったかもしれない。祖母が生きた時間は、この先の私にも必ずやってくる。24、25と一つの年を超えるごとにやってくる。


今日のように、苦しい日だって幾度となくやってくるだろう。人生、楽しいことより苦しいことの方が多いかもしれない。でも、私たちは前に進むしかないんだ。生きるとは日々を乗り越えて、前に進むものだから。


「今日、辛いな」と感じる日は、こんなことを考えよう。「私の大好きな祖母にだって、こんな風に苦しい時間があったはず。それでも乗り越えて生きてきたんだ。祖母に助けを求めたいけど、それはもうできない。同じ時間を生きることはできない。でも、祖母の生きた時間を生きることはできる。もう少し踏ん張って生きてみよう。どんな景色か覗いてみよう。祖母も生きた、23歳だから」




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