見出し画像

「正直」に答える・・・就活と転職の経験から

大学⇒印刷会社、印刷会社⇒製薬会社

私は、2005年に福岡大学理学部応用物理学科を卒業し、福岡の印刷会社に就職しました。そこで約3年半、法人営業を経験した後、外資系製薬会社の医薬情報担当者(いわゆる営業/MR)に転職しました。大学生の時の「就活」に関しては、その当時、就職氷河期と言われている厳しい時期で、もともと希望していたアパレル業界への就活はうまくいかず、結果的に地元の佐賀(鳥栖)から通える福岡で、人に接する仕事がしたいということで営業職で探して、その印刷会社に就職した経緯があります。MRへの「転職」に関しては、仕事の内容や家庭的なことがキッカケで決めました。その「就活」と「転職」、2つの節目で、私の「正直」な答えが、その後の人生を良い方に、そして悔いのないように変えてくれたと思っているので、今回はその経験をお話したいと思います。

「正直」に答えたことでの挫折

私は高校の時に物理が好きで、もっと物理を学びたいと考えて、福岡大学理学部応用物理学科に入りました。ただ、大学に入ると自由な時間が増えて、アルバイトに夢中になり、稼いだお金で買い物したりカラオケ行ったりするのが楽しくて、そのうち必修科目以外は講義にも出なくなり、友達に出席の代返(=代理で返事)をしてもらい、テスト前になると慌ててノートをコピーさせてもらうようなことが普通になっていました。単位はぎりぎりながらも4年間で卒業しましたが・・・振り返ると、本当にバイトと遊びばっかりを満喫した4年間でした。洋服が好きで、福岡の大名(いわゆる福岡のおしゃれエリア)にあるメンズノンノとかによく載っている某ブランドの路面店でいつも買っていました。バイトで稼いだお金は、(カラオケと飲み会以外は)かなりそのお店で使っていたので、店長さんとも親しくなり、店長は私が好きそうな新しい服が入ると、私のためにこそっと取っておいてくれて、私が行くといつも嬉しそうにその服を出してくれました。ブランド自体も好きでしたし、その店長が魅力的で、しかも自分のスタイリストのようで本当にいつも楽しく洋服を買っていました。そんな私は、卒論も、強引にアパレルと物理を結び付けて、衣料品に使われる「高分子物性」(ナイロンやレーヨンなど)をテーマに書きました。就活は、4年生になってすぐくらいからアパレル系の会社に絞って10社くらい面接もしました。さすがの就職氷河期で、採用枠は少なく(全国で10人とかで)、落ちてばっかりでしたが、1社だけ、2次面接、3次面接と進み、大阪の本社で社長との最終面接というステップまで進みました。その会社がメインで扱っている某ブランドは、当時の私たちの親の世代(40代半ば以上)であれば高級ブランドとして知られているイメージでしたが、正直、当時の私からすると、「親が時々張り切った時に買うブランド」というイメージで、好きか嫌いかというより、「おじさんくさい印象」を持っていました。ただ私は、念願のアパレル業界で、そして唯一この会社だけ、ようやく最終面接までたどり着いたのです。福岡支社の人事の方によると、福岡支社で面接を受けた人で大阪の最終面接に行くのは私とあともう一人で2名だけということで、「ほぼほぼ普通に面接したら内定もらえるはずだから」というお話でした。そして最終面接当日、社長との面接が始まり、志望動機など、ありきたりな質問にいくつか答えました。。。その時です。「好きなブランドは何ですか?」と聞かれました。私の好きなブランドは、いつも行っている大名の路面店の、メンズノンノによく載っている、そのブランドです。ただ、それをここで答えて良いものか?私がおじさんくさい印象をもっているブランドをメインに扱っているこの会社の社長の前で、正直に言っていいものなのか??一瞬、ものすごい葛藤に襲われましたが、結果、私は「正直」に、大名の路面店のブランド名を、自信満々で答えました。。直後、一瞬空気が凍り付いた雰囲気がありましたが、「〇〇(ブランド名)ですね。わかりました。」と話は進み、最終面接は終わりました。数日後、結果は、ダメでした。。それから仕方なく、どこかには内定もらわないとヤバいと思い、アパレル業界はあきらめて、実家から通える、人と接する仕事として(業界を問わず)営業職を探し始めたのでした。その結果、福岡の印刷会社へと就職しました。

「正直」に答えたことでの成功

福岡の印刷会社で法人営業を始めて約3年ちょっと経って、私は「転職」を考え、転職活動を始めました。理由としては、主に3つありました。1つ目は、お金です。給料がもっと欲しいと考えたのです。実はこの時、長男が3歳でしたが、多動が激しく、特徴的な遊び方をすることがきっかけで精神科を受診し、「自閉症」の診断を受けました。私は、将来に対する漠然とした不安を覚え、せめてお金だけは十分にある生活を、自分の仕事で担保していきたいと考えたのです。2つ目は、当時のこの印刷会社での営業という仕事に懸念を感じていたからです。納品書は請求書の作成、時には請求書を出してもお金が振り込まれていないということで、未回収先となり、その回収の仕事まで営業がやっており、本来の営業(ビジネス)の部分に集中できない環境にありました。3つ目は、印刷業界全体の閉塞感です。やはりインターネット広告が急速に普及して、紙媒体は(将来的になくなりはしないにしても)減っていく一方であろうという未来が明らかだったからです。転職活動を始めて分かったことは、医療業界以外への転職となると、給料が下がるという現実でした。給料を上げたくて転職するのに、妻にも嫌な思いをさせるし、給料が下がるなんてありえない話でした。なので、転職活動先としては、医療業界しか選択肢はありませんでした。医療機器の会社、製薬会社、6社くらい申し込んだ中で、業界未経験でMRになれる会社は1社の外資系製薬会社だけでした。ネットの情報でMRの平均年収は高く、手当等の待遇が良いことは知っていましたし、医療業界の中でも、もし可能ならMRになりたいという思いは強くありました。採用が進む中で、なんと、その外資系製薬会社の1次面接、2次面接を通過し、最終面接まで進みました。最終面接は、全国の営業統括部長が面接の相手です。ちょうど福岡支社に出張で来られるということで、福岡支社で面接が始まりました。簡単な自己紹介の後すぐに、「あなたは、なぜMRになりたいんですか?」と聞かれました。私は1次面接、2次面接でも言ったことと同じ答えを繰り返して、「給料を上げたいからです。」と答えました。すると、その営業部長から「その答えを待っていました。普通はそんな正直に言う人はいないんです」と言われました。その後は面接というより、楽しく会話をして、最終面接は終了しました。数日後、頂いた結果は内定です。そして私は、社会人になって約3年半後から、製薬会社でのキャリアをスタートしました。

長い目で見ると、「正直」が一番かもしれない

大学生の時の「就活」、印刷会社からの「転職」、この2つの重要な節目で、私は自分の思いや気持ちを「正直」に相手に伝えることで、1つ目は挫折、2つ目は成功体験をしました。1つ目は挫折と言っても、、今考えると、アパレル業界もその後、ファストファッションの登場で厳しくなっていきましたし、何よりも私実は、色弱なんですね(笑)。日常生活には影響はないですが、微妙な赤と緑の区別は苦手ですし、青と紫も結構苦手だったりします。。そんな私が、バイトで稼いだお金で洋服買って、それで洋服が好きになったからとは言え、アパレルの業界に入っても、微妙な色の判別や表現ができないのは、きっと早い段階で何かキャリアの選択肢が絞られるような場面に直面したんじゃないかなと思います。ただそれを考えると、印刷も微妙な色の違いを見分ける場面は多かったのですが、普通にやれていたので、アパレルだって色弱が理由で何か壁にぶつかることはなかったのかもしれないです。今振り返ってみて、私がその2つの重要な面接で、「正直」に答えたことに悔いはありません。そしてこれからも、自分にも人にも「正直」になり、「正直」に答え、日々仕事し、これからのキャリアも歩んで行きたいと考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?