発達障害・治療前後の感覚の違い(メンタル面)
こういう記事書くの忘れてたので解説します。
精神医学の病名は、過去の自分の本質を何ひとつあらわしてはいず、好きではないです。
が、便宜上、元・障害者、いまグレーゾーンもしくはイケてない方の健常者の自分が、「治せばこうなるよ」を書いていきます。
困らなくなる
脳機能の回復につれて困りごとが減ります。
一つは、仕事やプライベートの人間関係でしくじる事が減っていき、自分に非が少ない状況になるからです。
集中状態とその転換、感情のコントロール、近い将来を見据えた行動、そういう事がある程度上手くなったからです。
(こちらは能力面で解説します。)
二つ目は、非がある部分を責められてもテンパりづらくなるからです。
精神的な安定というのは、物事をフラットに捉えることです。
フラットとは「公平・中立」という意味です。
帰宅したら家が火事になってたら慌てるのは当たり前で、それは正しいパニックです。
が、そこまで悲惨でもないのに過剰な自己否定をし、感情を塞ぐ、あるいは構わずぶつけ相手の苛立ちをつのらせる。
それがこの手の疾患の常ですが、そういう場面が圧倒的に減りました。
また、過去の自分が嫌だった存在も意外と許せるようになったり、他人への嫉妬も努力して追い抜こう、というポジティブなものに変わっていきます。
依存傾向がなくなる
20代の僕は異性やら物欲やらに溺れ切っていました。
これは上に書いた物事をフラットに受け止める事と、コインの裏表のようなものです。
他人の評価や向けられる感情をある程度フラットに受け止められれば依存しなくなります。
異性の話でいえば、お世辞を言われ舞い上がってカン違いし、挙げ句の果てに恋に落ちるのはイケてない男の典型です。
これって恋愛経験の豊富さは全く関係ないです。
職場の上下関係とか、あるいは飲み屋のお姉さんと客とか、立場の違いがあったり、あるいは友達の友達を丁寧に扱う人だったり、そういった状況や関係性をトータルで俯瞰し、相手の言葉に乗った感情を測ること。
これ、健常者でも苦手な人たくさんいます。
(僕も別に得意ではありません。)
が、依存性・依存傾向の軸は、その極端な不得手です。
さほど好きでもない相手からの、悪意のない社交辞令や気まぐれの言葉をカン違いし、相手のことが好きなんだと自己催眠をかけてしまいます。
そういう事が極端に減りました。
些細なことが楽しい
じゃあ、他者との関わりや、好きな物を手に入れること、ファッションや音楽やカルチャーにに関心のない無感動な奴になったかというと、それは正反対です。
他人から評価されるのが嬉しいし、悪口を言われるのが嫌なのは当たり前です。人間なので。
ただ、相手と自分と周りの状況をあるていど客観的に把握し、もらった言葉を相手の感情の強さに応じて受け止める、フラットな状態を保てるようになっただけです。
お世辞ならお世辞の分だけ嬉しいです。
小さな満足、小さな幸せ、そういう物を認識できるようになりました。
小さな、といっても、その瞬間自分が感じてることそのものであり、きちんと記憶に残ります。
「生きてる感」が過去一です。
小さな積み重ねが物事の見方を変える。
というより、
物事の見方が変わるにつれ記憶が積み重なる。
という感覚です。
これは内科的な治療と並行して心理療法を行ったことがかなり効いたと思ってます。
幼少期にひどいトラウマを受けたクチではないですが、この手の疾患を抱えた人は失敗体験の多さと、それらの記憶をフラットに解釈できないことから、確実にメンタル面が不安定になります。
ロックバンドがアコースティックギターに持ち替えてセルフカバー曲を出す時、「Unplugged(アンプラグド)」という言葉をよく使います。
音を歪ませ増幅させるアンプから、コードを抜いきました、という意味です。
ギターの音が自分の中の感情なら、昔と比べて今の自分はそういう感じです。
(ゴリゴリのギターロックは今でも好きなので誤解なきよう。)
健常者の境界線は曖昧
昔の自分のような傾向は、誰にでもあります。
もちろん今の僕も人並みにあります。
健康で不自由ない生活を送る人でも、パーフェクトな脳を持つ人などいません。
特に子どものうちは上に書いたような認識の偏り、感情の起伏は当たり前に生じますね。
「発達障害」という命名は、大人になってもそれが全く抜けない人、というニュアンスなのでしょう。
そのことに過剰な自己責任論を持ち込むとますます病みます。
イヤというほど経験しました。
社会や人間関係の摩擦に耐えながら、
・これは明確な臓器疾患であること
・だがそれを主張したところでどうにもならないこと
その2つの矛盾を抱えて歩くのに疲れ、「病気なら治す」の方位に舵を切ったら今の自分に出会えました。
治療について知る限りのことは書いていきますので、これからもどうぞよろしくお願いします。
以上です。
頂いたお金は新しい治療法の実験費用として記事で還元させていただいております。 昔の自分のようにお金がない人が多いと思いますので、無理はしなくて結構です。