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徒然なる……

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日々の思考の整理。
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#日記

量産型スタイルは建前

急に暑くなってきたから夏服が欲しいと次男が言う。 もう欲しい服のイメージはあるからお金くれれば買ってくるけど。 こちらとしては現金でなくカードで支払いたいので一緒に行くことにした。 中学高校と男子校で過ごした次男は校風も自由だったこともあり、髪はグリーンやブルー、赤、ピンクといろいろと染めていたし、ロン毛で後ろに縛っていたりしたこともあった。寝ぐせを直さず出かけるときもしょっちゅうだった。 高校時代洋服も派手な柄ものだったりして、帰宅時警察に職質されたり、コンビニでポ

再度起こし直したnote。ことばとはどうして受け手に届かないのだろう?

私の中に街がある。 私の中の街の人々が私の家のドアをたたく。 「近頃noteの街に出向かないけどどうしたの?自分のnoteにも向かわないけれどどうしたの?」 と。 ……。ドアをたたく人たちに答えたいけれどなんとなくドアを開けたくない私がいる。言いよどむ私がいる。どうやら私は哀しいらしい。 私のnoteには思い出を書いたものがある。私にとっては大切な思い出だ。だけど私には思い出をきちんと表すことばが使えないようだ。自分自身のひとりよがりな文章だったのだと思い知らされたこ

仕事の効率のいいすすめ方ってどんなこと?

何ごともペーパレス化になって久しい。 私の会社でも請求書のペーパレス化の方向に動いていて専門の業者の任せることになった。 そのプロジェクトチームに係っているのがうちの支店で部長と課長がメンバーになっている。 だけど実際実務をしていない人たちで業者と進めて来たのでここにきて店所や取引先から電話が掛かってくる。 一気に集中して電話対応に追われるのは実務をしている派遣社員になるので、彼女たちの従来のルーチンが定時時間内に出来なくなっている。 で、一時的に問い合わせが落ち着

飲み過ぎて具合の悪い朝の光景から

最寄り駅に朝まで開いている飲み屋があるらしい。 どこなのかそこから出てきているのをみたことはないので「らしい」としかいえないのだが出勤途中付近の道路でよろけていたり動けなくなっていたり挙げ句救急車が到着している様子を見かける。 飲食店の閉店時間が例のヤツで規制がかかっていたときはこんなことはなかったが、今は若い人たちがこんな状態になっている。 通勤中日々かなりの頻度で見ているので、あぁまたかと思うのだが多分彼らは学生ではなかろうか。 例のヤツで学校はリモートになってしまった。

思想は永遠に…

ここのところ疲れている…らしい。 「らしい」と言うのは自分のことは気がつきにくいから多分そうなんじゃないか?と思っている。 「こころとからだは繋がっている」と深く思っている私にとってからだの疲れはこころの疲れでもある。 実際こうして書きたいことがありいくつもメモ書きにポチポチと残せど実際にnoteにアップするまでに至らないメモ書きの山が本当に山になってしまった。 いつもなら書き出せば言葉はとこからか紡がれ取りあえずアップ出来るまでにはなるのだが、近頃は言葉が出てこない

人間の尊厳ってないとどんな感じなのだろう?

未成年者が家出をしSNSで出会った相手に殺されたり監禁されたりという事件をよく見るようになった。 これだけ沢山の事件があるとなるとSNSで見ず知らずの人に繋がる人は減るのじゃないかと思うが後を絶たない。 次男と 10代と言ったってどこの誰か知らない人についていくリスクを考えたら家にいた方がいいと思わないんだろうか? と話したのだが 僕らはさ、何ひとつ不足なく暮らしていられるからそんな風に考えるけど、自分ちが嫌だって人が多いからこういう事件が起きるんだろうし後を絶たな

依存症の家族がいる場合

私の習う国際カウンセラー協会の講座の中で「セルフヒーリング」というのがある。その続編を習っていた時に面白いお題があったのでリトライしてアップすることにした。 「愛情とはどんなものか?」というのが根底にあるので読みながらどんな風に考えるか一緒に考えて読み進めて貰えば幸いです。 今回は「パチンコ依存症の家族と一緒にいるがどうやったらパチンコをやめてくれますか?」という課題でした。 先生は依存症者の気持ちになると分かりやすいよ、とおっしゃってました。 まず、私の考えは 依存

神無月になりました。

今日から10月。 本当は毎日記事のアップをしたらどうなるんだろう?と思っているので継続して書きたいのだが時間がないのでストックもない。 だいたい帰宅してPCに向かうのが夜の11時半すぎなのでそれから30分で仕上げるのがほとんどなんだがまぁ間に合わない。アップの時間が0:00をちょい超えるともう「2日連続!」とかに変わってしまって脱力する。 だからと言って写真を撮ってあるわけでもないし、ポエマーでもないのでちょろりと人が覗いていいと思ってくれるものもない訳でこうして文字を

老いるということ

実家の母が首の骨を折ったと言う。 てっきり入院したかと思ったら骨折というのは自然と骨がくっつくまでじっとしているしか方法がないということで家で過している。 妹たちがいるのでそれほど心配はないものの妹たちは日中働いているため母は少し動くのだと思う。 せめて休日は側にいて動かない様にしてあげたいと実家に行った。 妹たちが用事で外出した後は年老いた両親が各々の部屋で過しているのだが80代になるとTVを相手にすることぐらいしかない。 父は糖尿病が進みほとんど目がみえないし、母

運命ってあるのだろうか?②

昨日のnoteの続きになる。 自分の意思と反して物事が流れる時「運命」なんだと感じる。 私の場合は今の職場に来た時がそのひとつと言える。 アスペルガー症候群なのか?と思わせる相当変わった上司に文句を言った私だったので私の言動で職場を変わったと言える。この時リーディングの師匠には 仕事が出来ない上司に文句を言うのが間違いだ と言われた。私はたったふたりなのだからまともに話が通じる上司でないと職場が成り立たないと言ったのだが今思えばそれは全く間違えた考え方だった。 会

運命ってあるのだろうか?

人はなぜ生まれなぜ死んでいくのか?永遠の謎だとは思うけれどこのことを考えるのは楽しい。 からだを持って生きることは不自由な中で色々な経験をするため。 もしも私たちに肉体がなければ時間の概念などいらない世界に存在するだろう。 肉体があるから三次元に縛られ、有限な時間の中を生きないとならない。 時間の概念のある世界に生きることは限界を知ることになり自分の思うところと実際に起きていることにズレが生じる。 例えば本人は寝ないで本が読みたくても、肉体は一定の睡眠時間を要求する

惑う(サラリーマン人生が終わったら何をしようか?という話)

とても素敵なイラストなので本文ごと紹介兼ねて貼らせていただく。(どうも近頃はおやすみなさっている様子…) 50代にして惑う。 今さらなにをか?このnote界隈にいるのは私なんかよりもっとずっと若い人たちが多数。 おばちゃん、いったい半世紀も生きて何を惑う?もう十分生きてきたろう。青い人たちはそう思うだろう。せいぜい 終活か? ……終活については我が親の世代を見ていて少し先だと思ってしまう。 私が惑っているのは今の職場を終わった後まだ何か出来るのじゃないかと思わせる

嘘をつき続ける人生は嫌いです。

note内の友のひとりmoonさんのnoteを読んでいて思い出した。 moonさんはコメントをくれるけど私の方からはコメント出来ないのでこちらに書きたい。 夢野久作の「少女地獄」を思い出した。 作品の主人公ユリ子は可憐な美少女。 周囲からの評判も良く誰もが彼女が嘘をついていると思わない。 だけどだんだんとほころびが見てえ…と言う話なのだけど、私は嘘が嫌いだ。 嘘をひとつつく。すると次の嘘をついてそれをごまかそうとする。嘘は雪だるま式につくことになるだろう。(moonさ

人生の猶予期間

あっという間に9月が来た。 経理系の仕事をしていると月の初めは前月の処理をする。 これから5日間は8月の日付で伝票入力をする。 現実でも前月の処理期間があって覚え間違えや意見の相違、タイミングの違いなんかを振替や金額訂正の様に変更が効いたらいいのになと思ったりする。 人生に数日猶予期間があってもし戻って直しができるとするといったいどこを直したらいいのだろうか? 私は考えてもあり過ぎて逆に出てこない。 結局のところ起きてしまった事実は変更したところでまたどこかで自分が