評論とはかくも創造的な行為なのか (伊藤玲阿奈)

指揮者・伊藤玲阿奈「ニューヨークの書斎から」第1回
The Lives of the Great Composers”(注1)
by Harold C. Schonberg 1997年4月
大作曲家の生涯』(上・中・下 全三巻)
著:ハロルド・C・ショーンバーグ 訳:亀井旭・玉木裕(共訳)
共同通信社、1984年7月

評論するということ、つまり作品や人物の価値を判断して人に伝えるということは、まぎれもない創造的な行為だ。優れた評論ほど、読んでいる私たちと評論されている対象との間に“本質的な関係”を築いてくれる。

それは、時間が経っても条件が変化しても変わらないような関係だ。絶対に変わらないというのは断言できないとしても、ちょっとやそっとでは変わりにくい関係性を、自分と例えばベートーヴェンの間に築いてくれるということだ。言い換えれば、自分の人生にとってベートーヴェンが存在する意義を、確固として心の中に持てるようになる、素直な確信をもって説明できるようになるということ。

この逆は、“事実的な関係”で、例えば「ベートーヴェンはxx年にxxでxxをした」という風に、彼に関してのある事実を自分が知っているという関係。これは単なる歴史的事実に依存しているので、その事実が研究によって変われば自分が知っていることも変わってしまうし、これだけでは、自分がどうしてベートーヴェンが好きなのか(嫌いなのか)、彼の作品とどのように向き合うべきか、といった次元まで到達することは難しい。

優れた評論家は、その対象についての魅力や洞察などを語りつつ(つまり、価値判断の仕事をしつつ)、それとの“本質的な関係”を読み手に築かせるのが抜群にうまい。そうでない評論家は、その関係性を築かせるまでの文才や感性を持っていないか、事実に依存しすぎる傾向がある。創造的な段階にまで至らず、事実からの客観的判断で止まってしまうのだ。これでは教科書と変わらない。教科書がつまらないのは、事実ばかりの羅列で、そこから自分が学ぶ意味や理由を見出しにくいからである。

ピュリッツァー賞受賞の音楽評論家が描くクラシック音楽史

この本の著者ハロルド・ショーンバーグ(1915〜2003)には、アメリカが生んだ最大の音楽評論家の一人であるとの評価が定着している。キャリアとしては、ニューヨークタイムスと密接な関係があり、1950年に入社してから一貫して同紙で音楽批評を担当した。
NYタイムスの音楽批評の権威と影響力たるや凄まじいもので、ネットで新聞の地位が相対的に低くなった現在でもまだまだその地位は揺るぎない。ニューヨークにいる私でも、その批評に翻弄される音楽仲間などを見ていると、その力はちょっと過剰ではないかと思うことがあるほどだ。

ショーンバーグは、そんなNYタイムスの主席音楽批評家の地位に20年もあったうえ、1971年にはジャーナリズムにおける最高の名誉であるピュリッツァー賞(批評部門)を音楽評論家としては初めて受賞した。つまり、本書『大作曲家の生涯』は、音楽評論におけるキャリアを極めた大家が書いたクラシック音楽史なのである。日本語版で三巻分冊、合計で千ページを超える大著で、それぞれの作曲家の生涯と作品について概観しつつ、通して読むことでクラシック音楽の歴史的な流れを追えるようになっている。

先ほど“事実的な関係”と“本質的な関係”に分けてみたが、ショーンバーグほどの大家になると、事実を伝える部分だけをとってみても学者顔負けのリサーチを行なっていて、通史の教科書としても通用しそうだ。しかも文学的才能があるので、事実を並べていくだけでも面白い文章になって、読み手に共感させることが出来る。
例えば、ベートーヴェンの人物や性格に関する事実表現は、こういう具合だ。情報量の豊富さ、表現の巧みさ、そして共感の構築という点から読んでみて欲しい。

決してハンサムではなかった彼は、青年時代、色が浅黒かったために「スペイン人」というニックネームを付けられた。彼は約一メートル六十二センチと短身で、イカつくて肩幅が広く、大きな頭と夥(おびただ)しい髪の毛を持ち、反歯(そっぱ)で鼻は丸くて小さく、ところ構わず唾を吐く癖があった。彼は不器用で、彼が手を触れると何でもひっくり返ったり、壊れたりした。運動神経が鈍くて、いくら努力してもダンスは上達せず、ヒゲを剃る時はよく怪我をした。彼は不機嫌で疑いっぽく、人間嫌いのコブラのように神経過敏で、だれもかれも寄ってたかって自分を騙(だま)そうとしていると信じていた。社交的洗練さは全然なく、忘れやすくて、理性を欠いた怒りに走り、自分の楽譜の出版元とは徳義のない取引をした。
(『大作曲家の生涯』日本語訳上巻・150ページ)

どうだろう? ベートーヴェンの(問題だらけの)人物像がいきいきと目の前に蘇ってこないだろうか。
大作曲家を神格化するようなことは避けて一個の人間として描写するという方針のもと、普通なら無視されるような細かい情報までもテンポよく書き出し、後半では比喩も織り交ぜながら作曲家の性格を見事に活写している。何気無い事実の描写にみえても、すでにショーンバーグのペンは“再創造”を始めている。

この巧みな再創造によって楽しく読み進められるうえに、この作曲家の人間像の把握がたいへん容易になる。しかも、章を通して読むと、ベートーヴェンの欠点のみならず、聴力を失った悲劇的な過程なども同じように巧みに描写されているから、彼に対する“同じ人間としての共感”が読んでいる私たちの中に自然と湧いてくる。
これはとても重要なポイントだ。私たちがベートーヴェンに対して何らかの感情さえ湧かないなら、彼と“本質的な関係”を築いて人生の友とすることさえ不可能なのだから。「こんな人がいた。以上」という“事実的な関係”のみで終わってしまう。

知識がなくても「読ませる」文学的才能と超絶的な洞察力

このように、事実を紹介するだけでも読み手に“本質的な関係”へと向かわせる力量をもっているショーンバーグ。もちろん、作曲家や作品について魅力や洞察を伝える部分、すなわち評論家としての本業でも遺憾なく発揮される。
ここでは例としてベートーヴェンの章、とりわけ『第九』についての記述を紹介しよう。
『第九』は、皆さんもご存知の通り、崇高な理念を歌い上げる大傑作と一般的にイメージされている。耳が完全に聞こえなくなったベートーヴェンが辿り着いた孤高の境地で、自己に秘めていた“人類愛”や“平等”といった理念を空前絶後の表現力で描き出した人類の遺産である、と。

ショーンバーグも、「ロマン派や今日の多くの人たちにとって、『第九交響曲』は音楽以上の存在である。それはエートス(訳注=道徳的雰囲気)であり・・・」(同上巻171ページ)と指摘する。要するに、『第九』は単なる音楽作品を超えた、人類の道徳的理念の形として捉えられているということだ。
この常識を提示しつつ、ショーンバーグはある恐ろしい判断を読み手に投げかける。

おそらく、ベートーヴェン作品の本質を音楽から離れて解釈すれば、大半の聞き手が信じていることとは大きな格差が生まれるだろう。こうした解釈によれば、病気と精神的苦痛によって完全に自身の沈黙の世界に閉じこもった、驚異的才能の音楽家の意志またはエゴの反映にすぎないのかもしれない。そうなれば、後世が彼に帰したような高い理念とは、ほとんど無縁の唯我論になってしまう。
(同上巻171〜172ページ)

この引用部だけでは少し分かりにくいかもしれないが、ショーンバーグが言いたいのは、ベートーヴェンの書いた音符の解釈という純音楽的な作業ではなく、彼が実際にどう考えて生活していたかを考慮して『第九』を解釈したならば、音楽的天才ながらも病気でますます偏屈になっていた彼のエゴイスティックな心象風景が現れて、後世の私たちが考えている道徳的理念が吹き飛んでしまう、ということだ。
この部分に続き、ベートーヴェンの章全体が次のような文学的な言い回しをもって締めくくられる。

しかしこの人間は彼の音楽で救われた。そしてこの音楽たるや、一人の作曲家の手になるものとしては、最も力強い音楽の体系なのである。
(同上巻172ページ)

「ベートーヴェンを純音楽的なアプローチ以外で解釈しようとすると、彼の実像を知るほどに矛盾が生じてしまう」という恐ろしい警告。“人類愛”“平等”といった非音楽的要素を取り払ったとしても、ベートーヴェンの作品は史上最大の力強さを備えているのであり、それが評論家として考えるベートーヴェンの魅力であり接し方であるという価値判断。
ごく一部しか紹介できないのが残念だが、このような“気づき”がどのページにも散りばめられていて、はじめて読む方も惹き込まれることが多いだろうし、読み返すほどに、また音楽を知るほどに心が揺さぶられる。ショーンバーグはたしかに凄い。

「第九」終楽章より。ベートーヴェンらしい苦難に敢然と立ち向かうような闘争的な音楽が一旦弱まり、この曲で最も有名な「歓喜の歌」が訪れる。「苦悩から勝利へ」。ここから私たちのベートーヴェン像は確立された。 

主観−客観の均整が取れた“近代評論の理想形”

アメリカ最大の評論家の一人にふさわしい理由はまだある。ショーンバーグの凄さについて、もう少し言葉にしてみよう。
分かりやすくするために、日本の音楽評論の最高峰とされる吉田秀和(1913〜2012)と比べてみることにする。吉田の新聞コラム連載をみると、案外と分析的なところもあって、楽譜からの引用が毎回といっていいほどなされるから、読者はその譜例と本文に交互に目をやりながら読み進めることになる。ここは日本人の図解好きな気質もあるのかもしれない。
もちろん最終的には、吉田の深遠な判断世界に酔うことができる。ただし、その方向性はショーンバーグとはかなり違っていて、より自分の内面へと入り込む傾向があり、時として私小説のように読めてしまう。『第九』について語る際も、「私もまた、最も感激したのは終楽章だった。そう、高校生になったばかり、『第九』をはじめてきいたばかりのころから・・・」(注2)という具合に続く。私小説は欧米にはない日本独自のジャンルと呼ばれるけれども、ここにも日本人の好みがあるのだろう。

実は、ショーンバーグの本書もNYタイムスの日曜コラムなどが元になっている。しかし特筆すべきは、本書には譜例は一切なく、専門用語もなるべく避けられていることだ。つまりあなたに強い関心さえあれば、楽譜が読めずクラシックの知識があまりなくても読むことができる。これは驚嘆すべきことで、読み手の前提知識に一切甘えない姿勢を意味し、文筆家としても音楽史家としても真の力量が要求される。
しかも、個人的な思い出やら、自身の内面世界やらを一切吐露しない。引用した文章からも伺えるように、あくまでも論理的かつ客観的な(だが読ませてしまう)文体を基調にしつつも、ときどき絶妙な文学的修辞が超絶的な洞察のもとに混ぜ込まれる。こうして、私たち読み手をいやでもワクワクさせ、“本質的な関係”の構築へと向かわせるのだ。

評論は、他の創造行為と少し違って、すでに客観としてある作品や事実について自分の主観を介して再創造する。その点では指揮と似ているかもしれない。客観へと寄りすぎると創造性が失われ、逆だと元から逸脱しているとの批判を覚悟せねばならない。本来的に“主観−客観”のバランスがとても難しい。
理想的な主客バランスを保った評論は、近代小説を私小説の形で展開せざるをえなかった日本人はもちろん、その概念を作り上げた西洋人でもなかなか達成できない。ショーンバーグの評論とは、主客という独自の概念を拠りどころに精神活動を展開してきた近代西洋人の、その形態の最良な形での結晶でもあるのだ。

評論によって深まるクラシック音楽との本質的な関係性

数ある作曲家とその作品がもつ意味を自己の人生のなかで見出し定めるという、音楽家として非常に大事な精神的作業を行なっていくうえで、最も糧とした一つが本書である。
もしクラシック音楽がお好きなら、好きな作曲家の章だけでも読んでみて欲しい。あなたの人生にとってその作曲家がもつ意味や、なぜ好きなのかという理由がより明確になって、一生ものの関係ができるかもしれない。
最後に、本書で私が最も好きな一節を紹介する。ブラームスの後期作品について、同じ後期ロマン派に属するマーラー、ブルックナーやシュトラウスの音楽と比較しながらショーンバーグが語る部分だけれども、彼らの音楽の大まかな特徴を、ここまで見事に、的確に美しく描写した言葉を私は他に知らない。

晩年のブラームスは、心やさしい、非常に個性的な曲を作った。(中略)他のどの作曲家にも見られぬ、独自の清澄さをたたえている。
(中略)それらは、ロマン主義の黄昏であり、落日特有の輝きとでも言うべき魅力を、言葉で形容することは困難である。マーラーの作品の、焔のような輝きを持たず、ブルックナーの交響曲のように、地平線に半ば没した形で大きく光輝くわけでなく、リヒャルト・シュトラウスの音楽のように、太陽系の爆発の威力を秘めているわけでもない。暖かな光を着実に放射するだけである。それは、素材を完全に使い切った創造的精神の音楽であり、技術に穏やかな金色の輝きを裏打ちしたものである。
(本書中巻・163〜164ページ)

評論とは、こんなにも創造的な行為なのである。

<注記>
注1:原著を読まれる方へ。
共同通信社による日本語訳は1970年の初版に基づいている。ただし、ショーンバーグは亡くなるまでに数度この本を改訂しており、もしも原著を読まれるならば、最終版にあたる1997年の第3版をお勧めする。初版にはない新しい章も加筆されている。
注2:吉田秀和『私の好きな曲』(ちくま文庫)426ページ
執筆者プロフィール:伊藤玲阿奈 Reona Ito
指揮者。ニューヨークを拠点に、カーネギーホール、国連協会後援による国際平和コンサート、日本クロアチア国交20周年記念コンサートなど、世界各地で活動。2014年に全米の音楽家を対象にした「アメリカ賞(プロオーケストラ指揮部門)」を日本人として初めて受賞。講演や教育活動も多数。武蔵野学院大学SAF(客員研究員)


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