見出し画像

模倣と新型コロナワクチンと

我々人間は生まれてこの方、他者の価値観を模倣して過ごしてきた。

タバコのポイ捨てはよくないこと、一流大学に入学することはよいこと、適度に運動することはよいこと、所属する学校や会社の規則を守ることはよいこと、などなど。

これらの価値観は全て他者の模倣により醸成された価値観である。「いや違う。これらの価値観は自分の内部にある道徳心や理性から湧き出た価値観なのだ。真似事などで形成されたものではない。」と主張する方は以下の例を考えてみてほしい。

あなたは異国の地に生まれた。その国では聖人として有名な温和な老父が毎朝タバコをポイ捨てしながら町を闊歩している。その姿を見てあなたの母親を初めとした周囲の大人たちは拍手喝采をし褒め称えている。なぜならその地ではタバコは極少数の人間しか買うことができない高価なもので、かつタバコの吸い殻は現地に生息する絶滅危惧種の食物連鎖にとてつもなくよい影響を与えるとの研究報告が知れ渡っているからである。果たしてこの地に生まれ育ってもあなたはポイ捨てはよくないことだという価値観を持っているだろうか。

このようにもとはと云えば人が保有する価値観というものは、身近な他者の持つ価値観の模倣にすぎないのである。
もっとも他者の価値観を模倣するとは言っても、人は誰の価値観でも模倣するわけではなく、家族、憧れを抱く人物、尊敬している人物、信頼を置いている人物などといったある程度の威信を感ずる人物の価値観を模倣する傾向にある。


近年SNSの普及に伴って、この威信を感ずる模倣対象の選択肢は爆発的に拡大した。

そしてSNS上で人はしばしば、ある人物の「いいね」の数、「フォロワー」の数といった記号のみを見て、その人物に威信を感じ、価値観を模倣する。SNS普及以前の世界では考えられなかった極めて表面的かつ特殊な判断プロセスだ。SNSにより、もはや人は「いいね」の数、「フォロワー」の数に自らの欲望を、価値観を、行動を支配されるようになってしまったといっても過言ではない状況なのである。

今日われわれの社会では新型コロナウイルスが猛威を振るっている。その新型コロナウイルスのワクチンについてもSNS上で様々な論が展開されている。ワクチンによって体が5Gに支配される、不妊になる、数年後に死ぬ、ビルゲイツの人口削減の陰謀だ、など。
それらの情報の真偽については私もわからない。あなたがこれらの情報に対してどのような考えを持っていようとも、それはまるきり自由だ。しかし、あなたのその考えが誰かの意見を鵜呑みにして形成されたものだとしたら、一度なぜその人物の意見に賛同したかを考えてみてもよいと思う。
信頼する理由が単にその人物の肩書、「フォロワー」の数、発言への「いいね」の数だった場合、それは危うい根拠でありうると知っておいた方がよい。

個人的に私へメッセージを送りたい方、仕事依頼はこちらから。(成島)