もしも、順調に育った我が子が20年後、雑誌「Number」でインタビューされたら
ー本日は注目の学生アスリート、けたのこどもさんにインタビューさせていただきます。よろしくお願いします。
けたのこどもさん(以下こども):よろしくお願いします。
ー様々な分野のスポーツで大活躍中のこどもさんですが、子供の頃はどのようなお子さんだったんでしょうか?
こども:そうですね、言葉の発達は少し遅かったようですが、その代わり体を動かすのが非常に好きだったと親からは聞いています。
ー幼少期はどのような遊びをされていたのですか?
こども:家に小さなボールプールのようなものがあり、そのボールを握っては投げ、また拾いに行って投げるというの繰り返していたようです。
ーそれが高校時代の甲子園の活躍につながるんですね。
こども:いや、小中は野球には全く触れておらず、高校野球も最初は助っ人で参加しただけだったんです。
ーそうなんですか?もともとは何部に?
こども:LEGO積み木部です。
ーん?LEGO積み木部?
こども:聞き馴染みないですよね、私も元々は知らなかったのですが、小さい頃LEGOとか積み木が好きでずっとしてたので、懐かしいなと言う気持ちで始めたのですが、それが案外はまってしまって。
ーなるほど。
こども:私が2年の時がすごい先輩達が多くいてメンバーが揃っていたのですが、
ーメンバーが揃う?
こども:能力の高い先輩方がいたにも関わらず、地区大会であっさり負けてしまって、先輩達がごそっと抜けて部が存続できなくなってしまいました。
ーよく今まで部が続いてましたね。
こども:それで落ち込んでいたところに、野球部の友人がバッティングピッチャーでもしてくれないかと誘ってくれて、
ーバッティング練習を行う際のピッチャーですね?
こども:そうです。最初は近い距離から投げたりしていたのですが、だんだん昔の感覚を思い出してきて、
ー昔の感覚?
こども:家でボールプールのボールを無限に投げていた感覚です。15年ぶりくらいにボールを投げて、その当時のボールよりかは硬いですし重いですが、だんだんコツをつかんできて、遠い距離から投げられるようになりました。すると、球速も上がってきて、変化球なんかも投げられるようになって、公式戦でもエースを温存しておきたい場面で短いイニングを投げたりしていたのですが、それが伸びていって長くなって、チームも勝ち進んでしまってという感じで、
ーそれで、甲子園を優勝されると
こども:まあ春ですけどね。
ーいや、十分すごい結果ですよ。そしてプロの注目も集めドラフト1位候補の筆頭とまで評され、春夏連覇も期待される中、夏は不参加となります。
こども:もともと助っ人の人間ですし、夏は暑いですからね。
ー野球部の仲間からは何と?
こども:もちろん出てほしいとは言われました。でも受験を制する者は夏を制するとも言いますし、
ー夏を制する者は受験を制するですね。
こども:そうとも言いますね。あとは大谷翔平(※)さんの話を出しました。
(※編集部注)日米両リーグで活躍したプロ野球選手。今では当たり前となっている投打の二刀流選手のパイオニア的存在。
ーどのような話を?
こども:私ももちろん大谷さんの活躍は知っていますが、世代ではなくって、父がばっちり世代で、「投打の二刀流は当たり前になってくる。これからは野球と別のスポーツを高いレベルでやる人がどんどん出てくる」ってよく言っていました。
ー先見の明があったお父様であったと。
こども:先見の明があったかはわかりませんが、様々なスポーツをやってみたいという私の意思を野球部の仲間達も最後は尊重してくれました。
ーでは受験シーズンも何かスポーツを?
こども:元来体を動かすのが好きなので、机に向かって勉強ってのがなかなかしんどかったので、室内でもできるボルダリングを趣味程度でやってました。
ーそれは何かきっかけが?
こども:小さい頃、斜面を駆け上ったり、壁をよじ登るのが好きでした。1歳7、8ヶ月くらいの、1人で歩けるようになって間もないころに、地元の京都駅に大階段っていって、ビルで言うと10階くらいの高低差がある170段くらいの階段があるのですが、1人で登り切ったって話を親からよく聞かされていました。それを思い出して、1人のスポーツで、気分転換にはいいかなと思って始めました。
ーそちらの成績は?
こども:本当に勉強の合間の時間しかできてなかったのですが、やりだすと子供の頃、斜面とか階段、壁を登ってた頃の純粋な気持ちを思い出してきて、やればやるほど楽しくって、当時の日本記録より速いタイムは出せていました。
ーそれは初耳です。
こども:非公式の記録ですからね。
ー日本代表やオリンピックを目指されたりなんかは?
こども:その当時は、受験に集中したかったので、代表になるとか、オリンピックってのは考えてなかったですけど、何かしらの種目でオリンピック出場っていうのは遠い目標としては持っています。
ーでは、いつかオリンピックでの勇姿に期待しております。
こども:はい、行けたら行きます。
ー京都の方の行けたら行くを生で聞かせていただいたところで、登るといえば忘れてはいけないのが、先日行われた箱根駅伝ですよね。山登り区間の5区で区間新記録での区間賞、改めておめでとうございます。
こども:ありがとうございます。
ー走りに関してはいつ頃から本格的に?
こども:小さい頃から公園などの広い場所に行ったらほっといたら4.5時間平気で走り回ってたみたいで、持久力はもとからあったと思います。でもレースというか、そういうのを意識しだしたのは祖父の存在が大きいかもしれないです。
ーお祖父様?
こども:母方の祖父なのですが、60歳くらいからランニングを始めまして、60過ぎで10000メートル50分くらいのタイムで走ってたそうです。
ーそれは速いですね。
こども:ハーフとかフルマラソンも出たりしていて、その祖父と一緒に走ってたこともあって、その経験があったから箱根を目指しましたし、箱根の目標があったから受験勉強も頑張れたかなと思っています。
ーお祖父様から走りのフォームのご指南があったとか?
こども:そうなんです。私が産まれる時に左の肩が骨折というか脱臼みたいな感じになってしまったようで、骨自体はくっついたのですが、右に比べると左の腕の上がりとか振りが若干動いてなかったそうです。祖父自身は体調面を気にして60歳を過ぎて走り出したので、誰かに教えてもらったりとかはしてなくて完全な我流でしたが、祖父から左の腕も振るようにと口を酸っぱくして何度も言われたことを覚えています。
ーお祖父様の思いも乗せた走りだったわけですね。
こども:毎年箱根駅伝を楽しみに見てる人なので、恥ずかしい走りはできないなと言うのもタイムに出たかなと思います。
ーただ、レース前はコンディション面でかなり心配の声があがっていましたが、当日のコンディションはいかがだったのでしょうか?
こども:天皇杯の決勝に90分出た翌日ということもあり、さすがに不安はありましたが、駅伝、サッカーの両チームのスタッフ、関係者、家族などの助けもあって、そこまで自分の中では心配はなく当日を迎えることができました。
ー久しぶりの元日決戦において、1ゴール1アシスト大活躍で、優勝にも貢献されましたが、こちらを振り返っていかがでしょうか?
こども:正直私が生まれてからは天皇杯の決勝が元日ではなかったので、ピンとはきていないのですが、父なんかは、子供の頃は元日に天皇杯観た後は自然とサッカー少年が公園に集まってみんなでサッカーしてたみたいなので、そういう話を聞くと、文化というか伝統的なものであったんだなと思いますし、再びの元日決戦という場で結果を残せたことは大変嬉しく思っています。
ーお父様もサッカーをされていた?
こども:サッカーを始めたのは完全に父の影響です。というか父のせいです。
ーおや、穏やかじゃないですね。
こども:いや、全くそんなことはないのですが、父もサッカーをしていまして、多分サッカーが好きで、サッカーをしたかったと思うのですが、友達というか、サッカーをする仲間みたいなのがいなかったみたいで、その要員として、サッカーさせられてたのが最初ですね。
ーサッカーを始められたのも、複数のスポーツをされるきっかけになったのもお父様なのかなと、本日のインタビューで感じたのですが、最後に、今になって、その当時のお父様に伝えたいことなどはありますか?
こども:くだらないことを長々と書いてないで早く寝ろ。
ー本日はお忙しい中、貴重なお話を本当にありがとうございました。
こども:ありがとうございました。
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