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油絵と同じく

│優雅に、シンプルに、美しく│


油絵は描き直せる。
そのため人によっては
下からどんどん前の絵が出てくる。


わたしのエッセイも同じだ。
自分のエッセイを見返す度に
細かな修正を加えている。


自己紹介なんかは顕著で度々修正している。
『わたし』というものが
一瞬一瞬で変化するからだ。
一貫していることは世界の法則だけ。


書き直すと
画家が色を重ねていくように
わたしの言いたいことがどんどん浮かび上がり
完成に近付いていくのだ。
そういう意味でわたしのエッセイは
いつまでも未完成で完成することはない。


人生も同じではないだろうか。
何度も何度も修正を加え
1番完成度が高いのはきっと最期の瞬間だ。


自分という芸術品づくりのため
毎日修正を加え続ける自分にしかできない
一生かけた大仕事。
未完の状態で完璧な素晴らしい芸術品。


途中で変わってもいい
途中でやめて別に取りかかってもいい
途中で休んでもいい


大切なことは
自分が唯一無二の芸術品だと氣付き
それを自分のペースで
修正し続けていくことだ。


以前お付き合いしていた年下の男性が
「夜空さんが散歩してる姿って
 PVみたい感じなんだろうな」
と言ってくださったことがある。


もう10年ぐらい前のことなのに
感動して未だに忘れられない言葉。
なんて素敵な感性なんだろう。
残念ながらご縁はなかったけど
わたしに多大な影響を与えてくれた。


思い込み本にももちろん採用した。

例えば

わたしは芸術品で
生きる姿が映画のようで
とても絵になる。

みたいな感じだ。
(実物はもう少し肉付けしている)


PVも素敵な表現なのだが
『映画』という言葉に古き良き時代の面影と
スクリーン内に凝縮された美しさを
イメージするのでこちらにした。
モノクロの『ローマの休日』のイメージ。


素敵な芸術品や映画に出会うと
とても贅沢な氣分になる。
甘く美しい時間が流れる。


高いものである必要はないし
形あるものである必要もない。


自分が「これ素敵!」と
心を震わせるようなものとの出会いと
それらを愛し続けることができれば
とても贅沢で甘美な時間になる。


そういうものに出会うために
そういうものをお迎えするために
それらと同じ周波数でいることが大事。


人生とは時間の連なりなのだから
時間の名前やテーマを決めていい。


わたしの人生という時間の名前は
とても贅沢で甘美な時間

とかね。


そう思い込めばそれが当たり前になって
勝手にどんどん寄っていくし
誰かにそう思わせることは重要ではなく
わたしがそう思えればそれでいいのだ。


(2024.1.9 言靈実践49日目)



夢がどんどん叶う
洗練された優雅な世界がわたしの世界

夜空 🌃

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