僕は国語の授業が大嫌いだった

僕は小学校から、中学、高校と、数ある教科のなかで「国語」が一貫して嫌いだった。
理由は「答えが明確でない」から。

算数と比較するとわかりやすいのだが、「1+1=2」である算数に対して、「筆者はこのときどう思ったか?」「あなたの意見を30文字以内で述べよ」と問われ、記述式の場合、先生から「これは、まあマルです」「これは、少し違ってますのでサンカク、マイナス2点としましょう」とか言われて、「マルとマイナス2点の線引がわからない!」と僕は毎回腑に落ちなかった。
結果、小学校の中学年くらいから国語が嫌いになった。
「正解」が先生基準じゃないか、納得できない。
そんな感じ。

とにかく、そんな風に国語が嫌いだったのだが、不思議と30年近く経っても、授業で勉強した物語の一節を覚えていたりする。
それが「物語の強さ」ということだろう。

と、以下のnoteの投稿を見て、思ったりした。

僕がこのエントリーを見つけたときは、応募は終わっていたのだが、個人的に「心に残った国語の教科書」を思い返してみたいと思う。

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「大造じいさんとガン」

「だいぞう」とタイピングしたら「大造じいさん」とレコメンドされるくらいなので、他の小学校でも教科書に載っていたのだろうか。
メジャーな作品なのだと思うが、正直タイトルしか覚えていない。
おそらく語感が良いので覚えているのだろう。
ちなみに今、Wikipediaや個人blog等であらすじを読んでみたのだが、残念ながらピンと来なかった。

「春先のひょう」

あられの大きいものが「ひょう」ということを、この話で知った。

話の内容としては、病気で熱を出している母親かきょうだいがいて、熱を冷まさないといけないと思っていたところに、ひょうが降ってきたと。
これ幸いと、外に出て駆け回ってひょうを拾っていたら、気づかぬうちに近所の人の畑を踏み荒らしており、作物を台無しにしてしまったみたいな話。
良いことと悪いことが表裏一体になっているような話で、子どもながらにどう解釈していいのかわからなかった記憶がある。
(実際の物語は、ある母親が子どもに語った戦時中の思い出話だった。当時看護師であった母親が、患者さんのためにひょうを拾いに出たという流れ。戦争中で物不足なので熱を冷ます氷もないという背景で、「物不足」というのが伏線にもなっており、食べ物も少ないなかせっかく育った作物を荒らしてしまう部分にも繋がる)

じゃあ、ひょうは拾わずに病人をただ指を咥えて見ていればよかったのか。
ひょうを拾うのはいいが、まわりを確認すべきだった。
いやいや、そんな余裕はないだろう。
など、いろんな意見があったと思うが、僕はどれが正しいかなんてわかるはずがないと思っていた。
そういった「決められない」という性格も、僕の国語嫌いの要因だ。

作品不明で、グレーコート氏が登場する話

検索すればたいていのものが見つかる世の中だが、やはり例外もある。

その一つが、僕が覚えている国語の教科書に出てきた物語で、登場人物に「グレーコート氏」という、親切なおじさんが登場する話。
タイトルもどんな内容かも覚えていないのだが、「グレーコート氏」というニヒルでハードボイルドなネーミングを強烈に覚えている。
文字通り、グレー色のコートを着た男で、困っている主人公を何度か助けてくれるという設定だったはず。
それ以外は、さっぱり覚えていない。
誰か知ってる人がいたら、ぜひ教えてください。

「繁栄の花」星新一

僕のベスト・オブ作品なんだが、星新一さんの「繁栄の花」。
中学のときの国語の教科書に載っていた。

で、この物語にいたく感動した僕は、はじめて自主的に買ったマンガ以外の本が、この「繁栄の花」が掲載されている文庫本『宇宙のあいさつ』であることをしっかり覚えている。
その後も国語嫌いは高校卒業まで続くのだが、『宇宙のあいさつ』は今でも所有しているし、大学に入り、本を読むことが好きになってからは、当然のように星新一は好きな作家となる。

しかし、ここでも検索の限界にぶち当たる。

「繁栄の花」にはメール星人という宇宙人が登場するのだが、当時の教科書にはタコみたいなメール星人の挿絵が載っていた。
この挿絵画像も、どこを探しても見つからないのだ。

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コチラは僕の記憶をたどって描いたものです。

ちなみに「繁栄の花」のざっとしたあらすじは以前のエントリーにも書いてあります。


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