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それでも、毒になる親 6.放置される子

体操教室や幼稚園へ通いはじめてもなお、子どもたちの運動機能や、コミュニケーション能力への不安は大きかった。

そこで、保健師や小児科医の指導に従って、子どもたちが少しでも楽しく体を動かしたり、お友達と遊んだりできるように、私は毎日、公園へ連れて行くことにした。


上の子は、遊具には目もくれずに砂場へ直行し、公園にいる間中、一人でひたすら砂遊びだけをした。

ぶつぶつとつぶやいている内容から、幼稚園での一日を自分なりに、繰り返しシミュレーションしているようだった。

下の子は、じっとしていることが難しく、目を離すとどこへ行くか、何をするかわからない。

どんなに気をつけていても一瞬の隙に、転んだり、ブランコや滑り台から落ちたりして、大声で泣いた。

それでも私は頑なに、公園通いを続けた。

子どもたちに「公園、行きたい?」と尋ねると「行きたい! 行きたい!」と声を弾ませる。

毎日、体を動かさなければ、という思いも強かった。

雨でない限り、暑い日も、寒い日も毎日、欠かさずに出掛けた。

私にとって、この頃の公園通いは、一日のうちの楽しい予定というよりも、子育てにおける重要なタスクの一つだった。


毎日、同じ公園へ通っていると、たくさんの小さな知り合いができた。

近所の小学生たちは、一度家に帰ってランドセルを置いてから公園に集まる。まだゲーム機が当たり前の時代ではなく、公園はいつも賑わっていた。

中には下校途中に公園に立ち寄り、そのまま遊ぶ子どもも少なからずいた。

だんだん親しくなり、顔と名前を覚えると、私は気になって尋ねた。

「おうちの人が心配してるんじゃないの?」

「家には誰もいない」
「夜まで誰も帰って来ない」
「お母さんは寝てるから、帰ったら叱られる」

私は不意に胸を突かれた。何十年も前の自分が、目の前にたくさんいるような気がした。

孤独な子どもたちが、これほどまでに多いことを、私は知らなかった。


小学生たちは競うように、いろんなことを話してくれた。幼児を連れている近所のおばちゃんは、どこか安心できる話し相手のようだった。

「お父さんもお母さんも、お兄ちゃんのことだけ。お兄ちゃんは受験だから、私が家に帰ったら、うるさいから駄目だって」

「お父さんが、ストップウォッチを持って後ろで見てる。手が止まったら叩かれる。家にはテレビがない。勉強の邪魔だから」

「お母さんは、私が寝た後に帰って来る。毎日千円置いてあって、ご飯はコンビニで買う。食べないで取っておいて、欲しい物を買う時もある」


きっとそれぞれの家庭に、それぞれの事情があるのだろう。他人が迂闊に口出しできることでもない。

時代は過渡期であり、ちょうど専業主婦世帯と共働き世帯の数が逆転しはじめた頃で、シングル家庭も年々、増えていた。子どもの小学校入学を機に、パートをはじめる母親も多かった。

そんな大人たちの事情により、学童保育が終了する四年生からは事実上、多くの家庭で、子どもたちは放置されているようなものだった。

私はやはり、言いようのない怒りが沸いた。
それは、子どもを産む前の私が、反面教師だと断じてきた親の姿に他ならなかったからだ。


小学生たちは、話を聞いてもらえることが余程、嬉しいらしく、学校から大急ぎで駆けてきて、取り合うように私に話しかける。

同時に何人もに話しかけられて、私は必死で耳を傾け、相槌を打って相手をした。時には、子ども同士が小競り合いをするまでに、私は人気者になった。

それは言い換えれば、この子たちが日頃、とても寂しい思いを心の内に秘めている、ということだ。

私には、大勢の小学生のお母さんになってあげられるような、気持ちの余裕はなかった。目の前の自分の子どもたちのことだけで、頭も心も手も一杯だった。

私は自分の包容力のなさを、そんな必要もないのに恥ずかしく、苦しく思った。そして、なお一層、この子たちの親に対する怒りが沸いた。


そうして私は、子どもたちが小学生になっても自分は決して、そんな母親にはなるまい、と固く心に誓った。

私なら、常に側で見守っているだろう。そして、子どもたちの様子を敏感に察知する。もしも困っているようなら、適切に手を差し伸べる。

勉強よりも、成績よりも、もっと人として大切なことを教えるのだ。

私は鼻息も荒く、自分の幼少期を投影した怒りと、尊大な理想像とをごちゃ混ぜにしていた。そしてそれは、またしても「自分だけの正義」で武装することに他ならなった。


私は自分なりに、できうる限り精一杯の愛情を注いできたつもりだったけれど、子どもたちの心の内の辛さや、苦しさについては、本当のところは何一つ、理解できていなかった。

それは「不幸なすれ違い」だったのだと思う。

けれども親である私の側が、経験の多い分、いち早く、すれ違っていることに気付かなければならなかった。

それなのに気付くことができないまま、私と子どもたちの心は更に、すれ違いを大きくしていった。

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